現在でこそ『DQ=魔王退治』の構図が固まっているが、
DQ1 | 竜王 |
DQ2 | 破壊神 |
DQ3 | 大魔王 |
DQ4 | 魔族の王 |
DQ5 | 大魔王 |
DQ6 |
DQ7 |
よくよく考えてみるとDQでは“魔王”のほうが新しい概念だったりする。
この魔王、どうして世界征服を企むのだろう? その理由は分からない。ただ、魔王がDQに初登場したDQ3にはこんな台詞がある。
「魔王は絶望をすすり、憎しみを食らい、悲しみの涙で喉を潤すという」
筆者ははじめてこの台詞を読んだときは
単なる比喩だと思った。
だが、よくよく考えると、
「魔王を怖れ絶望のあまり、人々は働かなくなってしまったのだ」(DQ3)
「この世界は 大魔王デスタムーアが作りあげた箱庭…。この町に連れて来られた人たちは皆平和を信じ、志を強く持っていた人たちばかり。しかし、元の世界へは決して戻れず、己の無力さを知り、こうして絶望してゆくのです」(DQ6)
DQ7に至っては、
- 女を人質にとって人々に自らの手で村を破壊させる
- 人々を動物に変身させるだけで決して殺さない
- 産まれてくる子供が怪物になってしまう呪いをかけて放置
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DQシリーズの大魔王は、人類を滅ぼしたり、支配することよりも、精神的に苦しめることに力を入れていた。
もしや、
- 魔王は絶望をすする
- 魔王は憎しみを食らう
- 魔王は悲しみの涙で喉を潤す
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これは比喩ではなく真実なのだろうか? もしかして
魔王の主食は人間の絶望や憎しみや悲しみなのか?
例えば、
- ヒミコに化けてジパングの人々を苦しめたヤマタノオロチ
- 国王に化けてサマンオサの人々を苦しめたボストロール
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こいつらはバラモスかゾーマに人々の絶望エネルギーを供給するために、こんな回りくどいことをしていたのかもしれない。また、
- バラモス自らポルトガのカップルを動物に変身させた一件も絶望エネルギー目当て?
- ゾーマがアレフガルドから昼を奪ったのは人々を欝な気分にさせて絶望エネルギーを頂くため?
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あと「大魔王が自ら人々の希望の星だった勇者を叩きのめす」というのは人々の希望を打ち砕く最高の手段なんじゃないかな? だから大魔王は最終決戦で勇者(或いは主人公)に直接対決を挑みたがる。
“大魔王”という言葉からは一見陳腐な印象を受けるが、
- もしかしたらDQは“DQ独自”の魔王の定義をDQ3で作り上げたのかもしれない。
- 『人類の負の感情を主食にするのが魔王』という設定はDQだけのオリジナルの概念。
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そう考えると最近のDQが“大魔王”に固執する気持ちもなんとなく分かる。
DQ5のミルドラースは他の大魔王とはまったく性質が違う。
マスタードラゴン「我が名はマスタードラゴン。世界のすべてを統治する者なり。よくぞ来たな。伝説の勇者の血を引きし一族たちよ。私が人として暮らす間に 再び世界の平和が破られてしまったらしい。魔界の門が大きく開けられ、魔界の王がこちらの世界に来ようとしているのだ」
ミルドラース「ついにここまで来たか。伝説の勇者とその一族の者たちよ。私が誰であるか、そなたたちには既に分かっていよう。魔界の王にして王の中の王ミルドラースとは私のことだ。気の遠くなるような長い年月を経て私の存在は既に神をも超えた。もはや神の封印をとくのにエルヘブンの民の力など要らぬわ。さあ来るがよい。私が魔界の王たる所以をみせてやろう」
ミルドラースだけは『魔界の王』という意味で『大魔王』と呼ばれている。
ミルドラース | 魔界の王を略して大魔王 |
他の魔王 | 人類の負の感情を糧にする特殊な存在 |
この差が、ミルドラースが他の魔王に比べて弱い(データ的にも設定的にも)ことに繋がっているのではないか? もう1度さきほどの台詞を引用するが、
ミルドラース「魔界の王にして王の中の王ミルドラースとは私のことだ。気の遠くなるような長い年月を経て私の存在は既に神をも超えた。もはや神の封印をとくのにエルヘブンの民の力など要らぬわ。さあ来るがよい。
気の遠くなるような長い年月を経ないと神の封印を解けないって、それ自慢になってないって…。
- ゾーマはルビスを封印しアレフガルド全土を闇に包んだ
- デスタムーアはゼニス城、ダーマ神殿、カルベローナといった要所を封印した
- オルゴデミーラはたった1つの島を除いて世界の全てを封印した
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こういった他の大魔王とは明らかに格が違いすぎる。
…なんか、むしろミルドラースが可愛くなってきた。