選択肢 P8
「おはようございます。」
朝8時。
竹本は一分も遅れず佐久間家の玄関に現れた。
あくびをしながら出迎えた恭平が寝ぼけ眼で彼を見下ろす。
「おはようございます…。」
「おや。その様子だと、社長も寝坊されたんでしょうか。」
「えっ。いえ、父さんはちゃんと起きてます。もうすぐ準備が終わると思います…。」
「そうですか。ではここで待たせていただきますね。」
竹本はにこやかに言うと、玄関の隅の方で背筋を伸ばして直立した。
恭平が家の中に入ってすぐに、スーツに鞄を持った孝平がいそいそと現れた。
挨拶をした竹本に軽く目配せをして、靴を履く。
「昨日の資料、お読みになりましたか。」
「ああ、読んだよ。それについて相談しながら行こうか。恭平、行って来る。」
恭平にも目配せをして、孝平はいち早く玄関を出た。
寝不足などまったく感じさせない手早さだ。
「では、行って参ります。」
竹本は丁寧に恭平へと頭を下げて、孝平の後を追った。
車に乗り込んで、孝平は鞄から昨晩竹本から受け取った封筒を取り出した。
仕事の話になると孝平はものすごい集中力で物事をこなしていく。
見習おうと思っても簡単にできることではなく、これぞ孝平の天賦の才能だと竹本は思う。
頭の回転も体力も、何もかもが適わない。
孝平の自宅から会社のあるビルまではそう遠くないのだが、その短い間に二人は意見をまとめた。
というか、ほとんど孝平の意見に竹本が従うという形だ。
その後通常の業務をこなし、昼に、孝平は峰山を呼び寄せた。
「二日酔い……。」
社長室に現れた峰山は頭痛を噛み締めたような顔をしていた。
孝平はわかっていたこととはいえ、呆れ顔をするしかなかい。
「飲みすぎなんだ、お前は。」
「わかってますって…でも飲む時はがばっと飲まないと。」
「がばっとやり過ぎなんだ。」
「へいへーい。ちくしょー、もっと飲ませておけばよかった。」
「何?何か言ったか?」
「いーえ、何も申しておりません!」
峰山は舌を出して誤魔化した後、ふと真剣な表情になった。
孝平もそれを受けて表情を戻し、呼び出した本当の理由を告げる。
何年ぶりかの事業拡大へ乗り出すことに決めた。
これからまた忙しくなるだろう。
「恭平くんにもよく言っておいた方がいいですよ、社長。」
「わかっているよ。」
「それに…」
峰山はちらりと社長室のドアの方を見て誰もいないことを確認し、孝平に顔を寄せた。
小さな声で耳打ちする。
「ん?」
「今以上に仕事が忙しくなったら、竹本くんと、なおさら別れづらくなるんじゃないか。」
「…。」
聞き終わって、孝平は眉根を寄せて峰山を見た。
それとこれとは関係ないだろう、とその表情は物語っている。
「おい。余計な心配はするな。」
「でもさ、俺は心配しているわけですよ。社長がこのまま竹本と続いていったら…」
「お前、竹本のこと嫌いなのか?」
「はぁ?馬鹿言わないでくださいよ。俺はお前はいい部下を持ってるなぁと思っていますよ。」
「…では、なんだい。続いていったら?」
峰山がまた、小さな声で耳打ちした。
「竹本くんが駄目になる気がするんだ。貴方なしでは生きられない。そんな弱さを持った危ない雰囲気を感じる。」
「…。」
今度は孝平は黙り込んだ。
その意見は一理ある。
孝平がすぐには手を切れないのも、それを感じているからかもしれなかった。
孝平と同じく峰山も、黙って様子を伺っていた。
次に孝平がどう出るか。
無関係な峰山にとっては、それがある意味楽しみでもあった。
孝平はしばらく考えて、峰山の顔を見た。
峰山がまっすぐに見返して、首を傾げる。
孝平は、大半の人を惹きつける、あの独特の微笑をみせて言った。
「仕事ができれば、なんの問題もないだろう。」
「はぁ?」
「そうあり続けるかなくなるかはあいつ次第。私は私で行ける所まで進むつもりだから、その後を追うかそれとも諦めるかはあいつが決めることだ。私の知るところではないよ。」
よく言うよ、と峰山は苦笑した。
口ではそう言っているくせに、竹本や峰山、他の協力者が遅れ始めると必ず救いの手を差し伸べてくれる。
少なからず手を回してサポートしてくれる。
孝平の人気はそういう点からきているといっても過言ではない、と峰山は思っている。
「竹本にとって、私についてくるということ以外にも、たくさんの選択肢があるだろう。あいつはまだ若いから。」
「ずいぶん、冷たく出ますね。」
「そうかな?…では、お前はどうする?」
え?
峰山は一瞬何を聞かれたのかわからなかった。
自分は竹本とは立場が違うし、若くもない。
だがすぐに理解した。
選択する権利は自分にもある。誰にでもある。
一つ選択し終わって、その結果がどうであったか確かめる前にまた次の選択肢が現れる。
選択を重ねて行く内に時というものは過ぎていくのだと、昔どこかで読んだ本に書いてあった。
「俺は、今までどおりですよ。佐久間孝平という人物と会社を立ち上げた時からずっとね。」
「ふふ。」
孝平は予想していた通りの答えに満足そうに笑った。
佐久間孝平という男に惚れた竹本伸彦。
彼は今後、何をどう選択するのだろう。
その時孝平はどう出るのだろう。
長く孝平と共に時を過ごしてきた峰山にも、これだけはわかりそうになかった。