◇孝平さんのヤキモチ話、相手は恭平くん


【小さなヤキモチ】



「暑い…」
「え?」
自社に戻る途中の車内。後部座席に座っていた孝平は顔を上げた。運転席の竹本が何事か呟いたからだ。
「ああ、すみません。あまりに暑いもので。」
「クーラーつけてるだろう?」
「ええ…でも直射日光がすごくて。」
「そうか…」
孝平はバックミラー越しの竹本から目を離し、窓の外を見た。

「蕎麦でも食べようか。」
「はい?」
「この辺になかったかな。」
孝平の気遣いに竹本は遠慮がちに微笑んで、頷いた。


「いらっしゃいませ〜!」
暖簾をくぐると竹の匂いがした。
浴衣に前掛けを着けた女中が出て来て二階の席へ案内してくれる。
二階は一階よりも若干広く感じた。四人席が六つ、二人席が五つ。座敷が……

「ぶはっ」

見渡した先の席で誰かが吹き出した。自然とそこを見やると、見知った顔が、気まずそうに孝平を見ていた。
後ろに立っていた竹本も孝平の視線を追う。

「し…っ社長!?」
ガタンと音を立てて立ち上がったのは矢吹博人だった。
「やあ。」
孝平が手を振る。すると矢吹の相席に座っていた人間も立ち上がった。ちょうど肩のあたりまである仕切りでその存在が見えなかった。

彼と目が合う。

「あれ…?父さん。」
「…。」
恭平の呑気な声に、孝平は黙り込んだ。
今日、恭平は勤務日ではないはずだ。事実、彼はポロシャツにジーンズという随分ラフな格好をしていた。
つまり、出勤でもない日に私服を着て、いつもどおり勤務している矢吹にわざわざ会いに来たことになる。
おまけに昼飯の蕎麦を一緒につついているのだ。

…これは、聞いてないぞ。

「場所…変えますか?」
竹本が小さな声で孝平に言った。それが矢吹の耳にも届いたのか、彼は慌てて上着と鞄を手に取った。
「いえ!俺はもう食べ終わってるので!恭平くんが食べてるの待ってただけなんで!帰ります!」
「え?矢吹さん…そんなに慌てなくても。お昼休みまだでしょ?」
恭平が不思議そうに彼の袖を引いた。
「いや…っていうか…」
「俺もあと数分で食べ終わりますから。もうちょっとだけ。ね?」
矢吹は困ったように恭平を見た。気まずい空気を感じているのは自分だけなんだろうか?

すると横から孝平が言う。
「そうだよ矢吹くん。連れをおいて先に店を出て行くなんて、言語道断だよ。座ってなさい。」

ニッコリと微笑んだその笑顔に。

矢吹には自分の血の気が引いていく音が聞こえた…



その日、帰宅した恭平を出迎えたのは孝平だった。
出張から帰ったらまず一眠りする孝平が起きていた。
リビングに入って来た恭平を見る。その顔に恭平は首を傾げた。

「…不機嫌、なの?」

いつもと変わらない、表情が少なめの顔に若干驚きの色が宿った。
「…そう思うか?」
「うん。仕事、うまく行かなかったの?」
まるで見当違いのことを聞いてくる。不機嫌であることは見抜けるというのに。
「それとも竹本さんと喧嘩でもした?」
「するわけない。」
「そっか。」
恭平は台所に入り、持っていた買い物袋を下ろした。冷蔵庫を開けて、買ってきたものを順番に詰めていく。
「じゃあ今日は予定を変更して、父さんの食べたいもの作ろうかな。」
夕飯の話である。
「何がいい?」

「恭平。」
「…?」
手を止める。嫌な予感がして振り返るが、孝平はリビングのソファに座ったままだった。
肘をついて恭平を見ている。というか、眺めている。様子からすると、夕飯の話について言ったのではないらしい。
恭平は恥ずかしくなって微妙に頬を赤らめた。
「…何?」
「恭平。今日、あの蕎麦屋で何をしていた?」
「何って…矢吹さんと蕎麦を食べてたんだよ。」
恭平はきょとんとして言った。別にやましいことはしていないつもりだ。
恭平がよく本を読むことを知った矢吹が、その中のオススメを一冊貸して欲しいと言ったので休みを利用して貸しに行った。ただそれだけのことだった。
落ち合う場所が、偶然あの蕎麦屋だったのだ。

「偶然だったね。あんなこともあるんだ。」
恭平が嬉しそうに微笑んだ。
孝平が立ち上がる。

「父さん?」
「蕎麦を食べる前は、何をしていたんだい?」
「何って…本を…、」
台所まで入ってきた孝平は、壁に肘をついて恭平を見下ろした。冷蔵庫の前でしゃがんでいた恭平は一瞬言葉を失った。

その時悟る。不機嫌なのは自分が原因かもしれない、と。

「えっと…俺何か悪いこと言った?」
「いや、別に?」
「だよね…まさか、俺が矢吹さんといたことを気にしてるとか?」
「…いや、別に。」

当たった。

恭平は孝平を見上げたまま笑いを堪えた。目を逸らす。
何もなかったと言うのに。
思いの外、気になっているらしい。

普段から嫉妬深い人なら困りものだが、仕事ばかり気にかけている孝平に、少しでも心配されているのが嬉しかった。

「…何を笑っているんだ。」
「ふふ。笑ってなんかないよ。ちょっと嬉しかったんだ。」
「…。余程その時間が楽しかったのかな、恭平くんは。」
「違…あ、楽しかったのは事実だけど、」
恭平は矢吹の面目のためにそう言って咳払いした。孝平がひくりと片眉を上げる。
恭平は目を逸らして冷蔵庫に目を向けたまま、付け足した。

「あそこの蕎麦屋さん、おいしいよね。今度一緒に行こう…」

言い終わるより前に。

恭平の視界に影が差した。
顔を上げると、孝平の形のいい唇に自分のそれを奪われた。
体がふらついて尻餅をつく。その手前で孝平が恭平の腕を引いた。

買い物袋が倒れる。
中からじゃがいもがコロンと転がり出たが、二人ともすぐには拾わなかった。

「…ン…ッ」
恭平は息が苦しくなって少し引いた。それを孝平が追って来る。いつもなら一旦離してくれるのに、それを許してくれなかった。
絡めた舌が吐息を混ぜて、やがて溢れた唾液が頬を伝う。離す間もなく角度を変えて、貪るように激しいキス。任せっぱなしだった恭平が、孝平の首に腕を回した。苦しい呼吸に耐えて、それでも欲しいと頬を赤らめる。

「はぁっ」
「…。」
孝平が唇を離した。二人の間で透明の糸が引いて、切れた。
脳内まで激しく誘惑された恭平は焦点の合わない瞳でどうにか孝平を見た。息を切らせて。
孝平は表情を変えず、恭平の頬を伝った唾液を指で拭った。恭平が目を閉じる。

「別に、出かけるなとは言わない。恭平の好きにすればいいと思うよ。」
「ん…うん。わかってるよ。」
「でも…」

孝平は言葉を切って、恭平の顎を軽く上げて頬に唇を寄せた。
「ん…っぅ、…父さん…」
目を閉じたまま、恭平が感じ入るように手を握り締めた。孝平の唇が、甘噛みするように優しく恭平の肌を這っていく。
ドクン、と心臓が高鳴った。

恭平が目を開ける。
孝平と視線を合わせた。

「でも、あまり楽しそうにされると、面白くない。」
「…うん。ごめん…ごめんね。」
「謝らるなと言っているだろう。こちらの立場がなくなるじゃないか。…意地悪をしたくなるんだよ。」

おでこにこつんと、おでこを合わせて。

孝平は帰ってきて初めて、悪戯をする前の、楽しそうな笑顔で微笑んだ。


***


◇後書き

リクエストありがとうございました。

なかなかヤキモチを妬いてくれない孝平さんに、何度となく来る「ヤキモチ」オファー。うーん、ぷゆなりに頑張っているんですけど、なかなか…;;今回もちょっとしか妬いてませんけど、いかがでしたしょうか?孝平さんの中の恭平くんの存在価値を認識するには、まだまだ足りない気がしますね(笑;)

これからもマイペース更新を続けるつもりの管理人ですが、
三年目もゆったりまったりなお付き合いをよろしくお願いします。m(_ _)m


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