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◇杉野くんと恭平くんのからみ
「あれ?杉野くんじゃない。」
外科病院の受付で。
不意にかけられた声に杉野はボールペンを止めた。聞き覚えのある柔らかい口調。
顔を上げると予想通りの人物がいた。
「恭平さん。」
二歩ほど先に立っている。
彼は杉野の顔を確認するなりにこりと口元を弛ませた。
「どうしたの?怪我でもした?」
「いやちょっと…火傷を。」
「どこ?」
「腕です。…あ、すみません。」
受付にいた看護婦に睨まれて、杉野は慌ててボールペンを走らせた。
恭平は黙って杉野の後ろを通り過ぎ、待合室の長椅子に腰掛けた。
右足を軽く引きずる、スリッパの音が耳に残った。
杉野は受付を済ませてから恭平の元へ歩いて近寄った。恭平が一つ横へずれたのでそこに座る。
「診察、終わったとこですか?」
足を見ながら聞いてみた。
恭平は頷いて、手に持っていた処方箋を見せた。
「あとは薬だけ。」
「薬…?今も飲んでるんですか?」
「うん。痛い時だけね。」
「へぇ…」
確か、恭平の怪我は交通事故での後遺症だと良平が言っていた。小学生の時だと記憶しているから、何年もその痛みと戦ってきたことになるのか。
「杉野くんは?」
杉野は腕を捲って傷を見せた。肘の下あたりに、ガーゼがしてある。
「一昨日、天ぷら作ろうと思ったんですよ。海老を入れた途端ビシャーッて油が跳ねて、大きいのが直撃!」
「うわぁ。」
「…って感じですね。ほっといたら膿んで来ちゃいました。」
「えぇ?何やってんだよ…すぐに冷やすんだよ、そういう時は。」
「うっ…すいません。」
謝っても仕方ないだろ、と恭平は肩をすくめた。
時間が経つと、杉野の診察の順番が来た。
「そんなに時間かからないだろうから、待ってるよ。」
恭平の言葉に杉野は笑って頷いた。
傷を診てもらい薬を塗ってもらっている間に考えた。恭平が自分に声をかけてくるようになったのはいつからだったろう、と。
初めて会ったのは良平に告白した、あの夜だ。
高校で二年間も同じ校舎に通っていたわけだから、どこかですれ違っていたかもしれない。同じ電車に乗ったこともあったかもしれない。
良平と知り合って、仲良くなって、自然と恭平とも顔を合わせる機会が多くなったわけだが、そのことを彼はどう思っているのだろう。
誰にでも向けられる、人の良さが滲み出ているあの笑顔からは本心を見抜けない。
杉野が戻ってきても同じ場所に恭平は座っていた。
一緒に薬をもらって、二人揃って病院を出た。
駅前へ向かうバスの中は空いていた。
二人掛けの席に先に恭平を座らせて、杉野はその隣に滑り込んだ。
その様子を見て恭平は、彼はモテるだろうなと思った。さりげなく優しい。格好つけてるわけじゃない。自然な動作で、相手をいたわるところがある。
それを伝えようと思ったら、同時より少し早く杉野が口を開いた。
「突然ですけど、恭平さんは俺のことどう思ってますか?」
「えっ?」
突然何を言い出すのだろう。
恭平は杉野の言う意図が分からず沈黙した。
嫌な態度を取っただろうか?知らず知らずのうちに、思い込ませる言動をしただろうか。
杉野は恭平の耳元に口を寄せて囁いた。
「弟くんを好きになっちゃって。奪っちゃって。」
「………は?」
「イヤですよねぇ、そりゃ…」
杉野は首を縦にウンウンと振り、自己完結してしまっている。対照的に恭平は首を横に振った。
「そんなことないよ。考え過ぎだよ。」
「じゃあ、どうですか?正直に、思うままに教えてください。できる限りの努力はしますから。」
「そりゃ…、す、好きだよ。」
「そんな愛の告白で誤魔化されても困りますよぉ。」
「ち、違うって!」
「お世辞はいりませんから。」
恭平は苦笑して溜息をついた。
そんなに不安に感じているのなら、本当のことを言って安心させてやるしかない。
「お世辞じゃなくて。俺は杉野くんのこと、好きだよ。良平の選んだのが杉野くんっていう人間でよかったと思ってる。本当だよ。」
恭平はできるだけ真剣な表情で言った。
杉野がふざけるのをやめて、瞳を揺らした。
恭平の言葉は何故か心の奥に響く。
「何を心配してるのか知らないけど…。不安になったのはなんで?」
バスが信号で止まった。エンジンが切られ、急に静かになる。
二人は黙って、再びバスが発車するのを待った。お互いそっぽを向いて、窓の外を眺めた。
今日はいい天気だ。
やがてバスが発車する。
杉野は言った。
「なんとなく…こうして恭平さんと静かにバスに乗るようになるなんて、想像してなかったから。」
「ん。」
確かに今、乗っている乗客の中で離しているのは自分達しかいない。あとは病院帰りのお年寄りのみだが、二人からは席がだいぶ離れている。
静かだった。
「いつからこんな風に仲良くなれたのかなぁって。良平しかいないですよね。で、あぁ良平のお陰かぁと思ったら、なんか迷惑かけてるのかなぁって、思いました。」
最後は作文みたいだった。
恭平は黙って杉野を見ていた。
「実は俺、まだ親に自分のこと言ってないんです。」
恭平は一度だけ顔を合わせた杉野の母を思い浮かべた。
ちょっとお茶目な、暖かい雰囲気の人だった気がする。
「俺が良平にぞっこんで、しつこいくらい束縛してると思うから、良平は俺以外と付き合ったりしたことないでしょ。」
「うん、らしいね。」
「だから…時々良平にも思うんですよ。いろいろ悩ませてるだろうなぁ…って。」
そうかな?
良平はそこら辺はあまり悩んでないような気がする。元々割り切って行動する性格だから、悩むくらいならとっくの昔に諦めて杉野を捨てているだろう。
と、実の兄は思ったが黙っていた。
「最初に好きになったのは俺だから、やっぱ俺の責任だよなぁ…って思うんですよ。責任は最後まで取りますけど…っていうか取らせてください。」
「うん。プロポーズみたいだね。」
「…でも、自分の母親の顔思い浮かべると…その自信がなくなっちゃうんです。ショック受けるだろうな…って。」
「…。」
「それと同じこと、良平の家族も感じてしまうんじゃないかって。」
「…ああ、それで。」
恭平は頷いた。
フロントの停車ランプが光り、バスは停留所に寄って止まった。
気付けばあと五分くらいで駅前に着くだろう。
「いいこと教えてあげようか。」
「はい?」
恭平は息を吸った。窓の外を見たまま。
「うちの叔父の話は、知ってるでしょ?」
「あ…うん。はい。」
恭平の目の端で、杉野が小さくなるのが見えた。
ついこの間まで、恭平がその叔父に無理矢理犯されていたことを杉野は知っていたからだ。なおさらのこと恭平が彼と同じ趣向の自分を好いているはずがないと思った。
「叔父の兄は、うちの父だけど。」
恭平は窓の外を眺めながら続けた。
「父も杉野くんと一緒なんだ。良平も聡平も明美も、誰も知らないけど。」
「……えっ。」
杉野が体ごと回して恭平の方を見た。
窓の外を眺めたままの恭平は、涼しい表情のどこかに、照れているような不思議な感じがした。
やがて窓から目を離し、恭平は杉野を見て微笑んだ。
「うちのことは大丈夫だよ。俺もいるし、父もいる。」
「…っ!」
急に力が抜けた。
安心し過ぎて、嬉し過ぎて、ともすればそのまま抱きついてキスでもしたい衝動に駆られた。
へなへなと前かがみなり、杉野は両手で顔を覆った。
赤くなって黙り込んだ杉野の隣で恭平が言う。
「安心した?」
杉野はコクリと頷いた。
駅に着いて、二人はバスを降りた。
杉野は会社へ、恭平は帰路へ。電車の路線が違うので、思いのほか早く別れは来た。
「今日はありがとうございました。」
「ん?たまたまだろ、お互い。」
恭平は何でもなかったかのように言う。
それでもお礼がしたかったのだ。
「あ、でも。」
恭平は右手を上げて、人差し指を口元に持っていった。
「父のことは内緒だよ。隠してないけど言う必要もないって。よく言われる。」
「はは。」
杉野は笑った。
良平が父親を好いていないのは、きっとそこだ。あまり本心を喋らない人なのかもしれない。
「杉野くんのお母さんにも、言わなけりゃならない時がくる。その時をじっと待つんだ。無理する必要はない。」
「……はい。」
杉野は頷いた。恭平が言うならそうなのだろうと思えてくる。
「じゃあまたね。」
「気をつけて。」
二人は手を振って別々の道へ歩き出した。
***
◇後書き
リクエストありがとうございました。
杉野くん&恭平くんトーク、いかがでしたでしょうか?思いのほか長くなってしまいました。。番外編ではお兄ちゃん的役割を担っている杉野くんです(一応最年長ですし…)が、恭平くんと一緒だとやっぱり恭平くんがお兄ちゃん的存在になるようです。(*^ー^*)
これからもマイペース更新を続けるつもりの管理人ですが、
三年目もゆったりまったりなお付き合いをよろしくお願いします。m(_ _)m
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