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◇孝平さんが手を出したのが恭平くんではなく良平くんだったら
パチン、パチン……
縁側で父が爪を切る規則正しい音が聞こえている。
恭平はその心地良い音に耳を傾けながら、食卓に座って夕飯に使うもやしの根をむしっていた。
「そういえば、この前。」
ふと思いついたような口調で、孝平が言った。恭平は手を止めずに返事をした。
「何?」
「良平と…付き合ってるっていう彼。杉野拓巳くん、だったっけ?」
恭平は驚いて孝平を見た。
孝平は特に変わった様子もなく、自分の足の爪を注視している。
何に驚いたかというと、さり気ない口調で良平の恋人のフルネームをさらりと言ってしまう記憶力の良さだ。杉野拓巳の名前を恭平が教えたのもある時、一度きりのようなものだった気がする。
「彼に会ったよ。たまたまだけどね。」
「えっ。」
「恭平に写真を見せてもらっていたお陰で、一目見てわかった。」
もはや恭平は目の前のもやしのことはどうでもよくなった。
さっさと手放して、縁側へと歩み寄った。
座るために窓辺に手を突くと、孝平が腕を差し伸べてくれた。それに掴まり、覚束ない動作で孝平の向かい側に腰をおろした。
「杉野くんと…。いつ?」
「さあ、いつだったかな。……日曜日だな、先週の。向こうもこちらも偶然鉢合わせたものだから、ものの5分程度だったが。一緒にコーヒーを飲んだよ。」
恭平は二人が向かい合ってコーヒーを飲む姿を想像して、不思議な顔をした。
「うそぉ。」
「嘘じゃないよ、失礼だな。」
「いやそうじゃなくて…。う〜んと…、どうだった?杉野くんは。」
「なかなか賢そうな青年だったな。その割に気さくで話しやすい。」
恭平は父の的確な分析にまたもや驚いた。
「どんな話をしたの?」
「いや…どんなも何も…他愛もない話だ。良平をどう思っているのかと思ってね。」
孝平はその時の情景を思い出したのか、ふっと口元に笑みを浮かべた。
ふーん、と目を細めた今日を一瞥して、孝平は足元に視線を落とす。
恭平はその手から爪切りを奪い取った。
「あ、こら。返しなさい。」
「父さんにも親心っていうものがあったんだねえ。」
「…は?…」
「良平の恋人や友達に対して何の興味もわかないと思ってた…」
関心しているような口振りの割に、恭平は唇を尖らせて不満ありげだ。
珍しく、本心を隠そうとする気はないらしい。
孝平はそんな恭平の意図を計りかね、黙った。暗に恭平に続きを促している。
その沈黙に誘われて恭平は彼の気持ちを言葉にして紡いだ。
「もし万一…万が一、父さんが良平を手に入れてたら…きっとそんな対応じゃ済まなかったよねえ…」
「そんな対応って?」
「杉野くんの気持ちを確かめたり…一緒にコーヒー飲んだりってこと。」
「なんだい。それじゃ恭平は…それは単なる親心じゃないんじゃないか、って言いたいの?」
「んっ?……あ、そうじゃなくて…」
「私が良平に対しても、変な虫がつかないように目を光らせているとでも?二人の交際を破綻させようともくろんでいるとか?……思ってるわけだね、恭平くんは。」
「…。そんなこと…」
言いたかったのは紛れもなくそのことである。
父のモノになった自分には、孝平の目の届く範囲で彼の支配下にあるという事実があり、またその異常ともとれる支配の下にあるということが孝平との親子以上の関係を実感させてくれている。
孝平にとって自分は他の兄弟とは少しだけ違うのだ…という安心感のようなものがある。
しかし孝平が他の兄弟に対してもその支配力を発揮するとなれば話は違ってくるのである。
恭平が今、まさに不安に思っているのはまさか良平にまで…という、独占欲やら嫉妬心やら、弟に対する思いやりやらの入り混じった複雑な心境のせいだった。
もし、孝平が気に染めた者が自分でなくて良平だったなら、と妙な想像をしてしまう。
もしそうなら今の自分はここにいないだろうし、こうして父が杉野拓巳に出会った話をすることもなかったのではないか、と。
孝平は急にしおらしく黙り込んだ恭平の心理を推し量るためにじっと我慢していたが、やがて力を抜いて仰け反るように後ろに手をついた。
「ふう…。もし仮に、私が息子三人娘一人に誰彼構わず手を出す色魔だとしようか。」
いきなりの提案に、恭平は面食らった。
色魔、という単語に思わず吹き出しそうになる。
「君たち四人は私にとってこの世で最も厄介なものだから、さぞ苦労するだろうね。特に良平と明美なんて、とてもじゃないが手に負えない。だが不幸なことに私の意識にはプライドや独占欲が存在しているから、当然、注意はおろそかになって……今頃私の会社は倒産しているだろう。家族の連携も、恭平だけでは支えられなくなって、もろくも崩れさっている。…最悪だな。」
「…。」
「それに、ここは君が誤解しているところなんだが…」
孝平はわざと「君」の部分を強調して、恭平の顔を覗き込んだ。
「私は、セックスは好きだが誰でもいいってわけじゃない。もちろん、範囲が広いのは認めるけどね……」
ふふ、と自嘲気味に笑う。
恭平はあからさまに顔を真っ赤に上気させて口元を抑えた。
孝平は彼独特の得意げな、それでいて好感の抱ける微笑みをたたえている。
「息子だからという理由だけでは、身体まで愛することはできないんだよ。」
最後は締めくくるように静かに言って、手の平を出した。
「納得してくれたなら、爪切りを返してくれないかな。まだ薬指と小指、それから手にいたってはどの指もまだなんだから。」
諭すような口調に、恭平は困惑と恥じらいの混じった瞳で孝平を見上げた。
それを見て孝平がギクリと息を呑んだ。一瞬で形勢が逆転したことを悟らないわけにはいかなかった。
恭平は疑ったことを詫びるように肩をすくめ、右手に爪切りを構えた。
「変に疑ったりして、ごめんなさい…。」
幸か不幸か、彼は形勢逆転の事実に気付いていない。
孝平は下心を押さえて、恭平の出方に任せた。
「杉野くんのこと、気に入ってくれて良かった。俺も杉野くんのことは、気にいってるっていうか…いい人だなって、思ってるんだ。」
「ふうん…」
「こういうのも、親心って言うんだろうか…」
「それを言うなら兄心だろう。私と恭平では、親と子ほど違うんだから。」
「…そうかな。」
恭平は笑ったが、それは表面的なものだろうと孝平は感じた。
この責任感の強すぎる男は、母親代わりでい続けたために時折肝心なところを誤解している。
どう足掻いても、孝平には子供が子供の心配をしているようにしかみえない。そこが理解できていないらしい。
恭平は不意に父の足に触れ、指の爪を摘んだ。
孝平は足の裏から背筋までゾクゾクし、背筋を伸ばしてそれを隠す。
「…何をする気?」
「爪、切ってあげる。」
弟妹の小さな爪を切ってきたから上手なんだよ、と恭平は笑う。
孝平は目を細め、ため息混じりに穏やかに頷いた。
***
◇後書き
リクエストありがとうございました。
仮定リクだったので、恭平くんの杞憂のような格好にしてみました。恋する乙女(?)は疑心暗鬼です。それに加えて親子の関係も絡んでくるので、二人の気持ちは思ったよりも複雑なのかもしれない、と考えさせられました。
これからもマイペース更新を続けるつもりの管理人ですが、
三年目もゆったりまったりなお付き合いをよろしくお願いします。m(_ _)m
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