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◇恭平くんが事故にあった時の担当医がセクハラ医師だったら
先週、僕は交通事故に遭って怪我をした。
右足がどうもひどいみたいで、まだ痛いのか痒いのかわからない。
血がいっぱい出て、ちょっと命が危なかったみたいだと、母さんが言ってた。
「あぁ、良かった。恭平くんが死んじゃったらお母さん、どうしようかと思った。ごめんね…。お願いだからお母さんより先にいなくならないで。」
健気でか弱い母さんはそう言って、涙が枯れちゃうんじゃないかと思うくらい、毎日ポロポロと泣いた。
僕はそれがつらくって、一日のうち大半を眠って過ごした。
あまり目覚めないことが母さんを更に不安にさせているなんて、夢にも思ってなかったんだ。
いわゆる「あくじゅんかん」ってやつだ。
そのとき僕はふわふわと、時には浮かび時には沈む不安定な、文字通り夢を見ていたんだ。
僕の担当の先生は、真木さんっていう若い男の人だ。
真面目だけど、ジョークも言うし、励ましてもくれた。
「おはよう、恭平くん。薬は飲んだ?」
そう言って明るく部屋に入ってくる真木先生が僕は気に入っていた。
「おはようございます。」
「お。元気そうだな。さあ〜今日は、検査をやるよ。」
真木先生はにっこり笑って僕の手を触る。
「握手。握り返して。」
「ん。」
僕はギュッと力をこめた。
真木先生の手は、大きくてごっつい。まるで…父さんみたいだ。
僕の父さんはどっかの会社の社長さん。話したことはあんまりないけど、手の平は母さんや僕なんかよりとても大きいことを、僕は知ってる。
「いいよ…強い力だ。反対は?」
真木先生に言われて、僕は反対の手を握る。
「問題なし。恭平くんは右利きかな。」
「うん。」
「だと思った。先生も右利き。」
「えーっほんと?一緒だね。僕の母さんも右利きなんだよ。」
「そうなんだ。偶然だねえ。」
真木先生は紙に何か書きながら、僕の発見にウンウンと頷いた。
「恭平くん、字は書ける?」
「書けるよ…もう四年生だもん。」
「さすが。じゃあここに自分の名前、書いてみて。」
先生は今まで自分で書いてた紙を裏返して僕に渡した。ペンを受け取って、僕は言われたとおりのことを書く。
“佐久間 きょう平”
三文字目の「間」が、力が入らなくてクネクネした。
「強く書いた?」
「うん。」
「そう…。また明日も書いてね。」
真木先生は少し元気のない声で言った。それがなんなのかはよくわからないけど、僕もつられて元気がなくなる気がした。
でも、次に先生は笑って言った。
「明日は恭平くんの小学校の名前だよ。長いけどがんばって。」
「書けるよ!」
「じゃあ校長先生の名前も、書ける?」
「ん?………校長先生は、校長先生でしょ?」
「えーっ?そんなまさか。お母さんに聞いてごらんよ。」
「えーっ?」
僕は母さんに聞いて、その日初めて校長先生や教頭先生にも僕みたいに名前や名字があることを、知った。
真木先生の“検査”は毎日あった。
病院にいる間は、午前中は真木先生、お昼と午後は母さんと明美、それから夕方に双子が病院に来て、夜になる前にみんな帰って一人になるのが習慣だった。
やがて体の傷は癒え、リハビリというやつが始まった。
ずっとベッドで寝ていた足はヘロヘロにやせ細り、まるで女の子の腕みたいになってた。
思うように力が入らなくて、なんか変な感じ。
でも、一歩前へ出る度に母さんが、もう目の前にケーキを十個積まれたってそんなに笑えないだろうってくらい、ニコニコするので。
僕はひたすら努力した。
異変に気付いたのは、三日目だった。
それも、僕自身じゃなくて、付き添っていた明美が気付いた。
いつも僕の足元できゃっきゃっと笑っていた彼女は、覚え立ての言葉で僕に言った。
「きょーへいにいちゃん、みぎのあし、ピリピリしてるの。」
「え?」
「ピリピリ。してるの?」
明美は律儀にも言い直した。
ピリピリしてるとは、つまり足が痺れてるってことだ。
そんなことないけどなあ、って思ってたら、ニコニコしていた母さんが、ハッと深刻な顔をして真木先生を見た。
「先生…」
母さんは何か言いたそうだったけど、その前に真木先生が僕のとこに飛んできた。
「恭平くん、ちょっと、先生と来てくれる?」
「うん…。何するの?」
「大丈夫、五分で終わるから。」
「あ…、明美は?」
「お母さんと待っててもらおう。……佐久間さん!」
真木先生は母さんを呼んだ。ちょっとボーっとしてた母さんは、慌てて明美を抱き上げに走った。
僕は真木先生に抱えられ、誰もいない部屋に入った。
薄暗くて、少し湿っぽい。
真木先生はベッドに僕をおろし、右足を抱えた。
「何か感じたら、すぐに言ってね。」
「何かって?」
「つまり、痛いかってことかな。」
真木先生は真面目な顔をして、僕を怖がらせることを言った。
「い、痛いの?」
おずおずと先生を見上げると、真木先生は、僕の気持ちを理解して笑い出した。
「ああ、大丈夫だよ。そんなに痛くない。」
優しく笑う先生の顔は、僕をすごく安心させた。
さすがだ。
真木先生は右足の裏からふくらはぎ、膝、もも、と順番に触ってく。
撫でられてるようで、チョット気持ちいいなあ、って思ってたら太もものお股寄りのところで、ギューッとむちゃくちゃ痛くなった。
「うわあっ…」
「え、何?どうした?」
「痛い!先生、痛い!」
僕は腰を浮かせて暴れた。
本当に痛かったんだもん、先生の指。
先生は力を緩めて、謝った。
「ごめんごめん。痛いのはここ?」
「うん…」
「こっちは?」
指を少し下にずらして聞いてくる。そっちはあまり痛くない。
「う〜ん、よくわかんない。」
「ここは?」
「いたぁいっ…」
さっきと同じとこをつままれた。相変わらず手加減がない痛さだよ。
「ふうん…」
先生は、怖い顔してしばらく黙った。
僕はおとなしく、先生の前に座ってた。
この時先生には、既に僕の右足に何が起こっているかわかっていたのかもしれない。
とにかく先生は、気を取り直して僕の足の違うところをつまんだ。
今度は弱く、少しくすぐったいくらいの力だった。
「感じる?」
「うん…でも痛くないよ。」
僕は頷いて、先生の顔を見上げた。薄暗い中、先生が笑ってるのがわかる。
僕の足の付け根あたりを探っていた先生の指は、どんどん、内側へ寄っていく。
そこ…ちょっと恥ずかしい…かも。
「せ、先生…?」
「うん。」
真木先生は優しく頷いて、僕を見た。心から安心するいつもの笑顔だったので、僕はつられて微笑んだ。
その隙を見計らったように先生の指が僕の、大事なところを触った。いや、ひっかいたのだ。
「…ぁ!」
思わず出そうになった声を両手で押さえて、僕は先生のことを左足で蹴飛ばした。
全身から変な汗が吹き出して、恥ずかしいやらドキドキするやらで僕は頭がおかしくなったかと思った。
その時初めて、僕はお医者さんの先生を蹴飛ばしてしまったことに気付いた。はっとして、足を引っ込め、恐る恐る先生を見上げた。
真木先生は怒っているかと思ったけど、ニッコリと笑って、部屋の電気をつけた。
「これ以上はまだ早いだろうなぁ…惜しいことに。」
「え…?」
「いや。大丈夫、恭平くん。お母さんに会いに行こうか。話したいこともあるし。」
「うん…。」
僕は先生の態度を不可解に思いながらも、頷いた。
車椅子がないことを思い当たって、先生が来たときと同じように僕を抱え上げてくれた。
「もし、」
「え?」
「もし、これからの恭平くんの生活が事故に逢う前と違うものになってしまったとしても、全然気にすることはないからね。」
「…」
それは、暗に元の生活には戻れないと、言っているのかなぁとおぼろげながらに感じた。
「何か不都合があったら、僕がついてるから。僕が特別に恭平くんの診察をしてあげるよ。」
「…特別なの?僕?」
「うん。僕の初めてのちゃんとした患者さんだから。」
真木先生は少しはにかむように言って、扉を開けた。
廊下には明美を抱えた母さんが、彼女をあやしながら俯いていた。僕と先生を見ると、救いを求めるように駆け寄ってきた。
「先生…!」
「お母さん、恭平くんは元気ですよ。正常です。」
勇気付けるように笑った。
母さんはほっと一息ついて、先生と僕について歩いた。
「恭平…大丈夫?」
「うん。母さんこそ、僕より参ってるみたい。笑ってないと、明美が可哀想だよ。」
僕の言葉に、母さんは困ったように唇をかみ締めて、少し瞳を潤ませた。
母さんに聞こえないように、先生が僕の耳元に口を寄せて囁いた。
「さっきの検査は、お母さんには内緒だよ。お母さんには先生から説明するから、君は何も言ってはいけない。いいね?」
「うん。先生、任せたよ。」
僕は頼もしい先生の背中にすがるように、大きな先生の体を回らない手でぎゅっと抱きしめた。
「はは、痛いよ、恭平くん。」
「うん。先生、だーいすき!」
「…大きくなってくれるのが楽しみだなあ。」
真木先生は意味深な目で僕を見たけど、その時の僕はその意味がわからなくて、心からニッコリ笑い返していたと思う。
***
◇後書き
リクエストありがとうございました。
幼い恭平くん視点の一人称文にしてみました。彼が事故に遭ったのは10歳のときで、学校からの帰り道、母親に頼まれた頭痛薬を買いに行く途中の横断歩道で、トラックに轢かれてしまったのでした。担当医の真木先生は、実はゲイで、病院の最寄り駅から3駅離れた少し交通の便の悪い場所に年の離れた男とその子供と三人で住んでいて…という設定を妄想しちゃいましたが、10歳の恭平くんが知っているはずがない、という結論に達したため全てパーになってしまいました(苦笑)
これからもマイペース更新を続けるつもりの管理人ですが、
三年目もゆったりまったりなお付き合いをよろしくお願いします。m(_ _)m
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