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◇子供の良&聡のほのぼの(迷子、怪我)。愛さん登場
良平と聡平が小学生になる前の事だが、孝平は家族全員をクラシックコンサートに連れていったことがある。
既に四児の母だった妻の愛は、1ヶ月以上前から少女のように浮かれていた。
兄の恭平は事故で足を悪くする前のことだったから日中は人並みにサッカーだ野球だと外を駆け回っており、薄暗いホールで気持ちのいい音色が自然に流れてくる空間にいると、必然的に眠ってしまった。妹の明美は彼の膝の上で、これも兄の後を追うように夢の中へ入ってゆく。真ん中の双子は上の空でふざけ合っている。
せっかくの家族孝行もここまで来れば笑うしかないと、孝平は気にもとめなかった。
それよりもお洒落をしてめかしこんだ妻が美しく見え、その上嬉しくて仕方がないようだから、良しとしようと思った。
さて、良平と聡平は早々に飽きたのか、曲と曲の間にトイレへ行ったきり二人揃って姿を消していた。
初めに席を立ったのは良平で、その後を追うように、自然な動作で聡平が続いた。
ホールを出て、顔を見合わせる。
「聡、トイレ?」
「ううん。良こそトイレじゃないの。」
「ちがうよ。飽きたんだもん。ねむいし。」
「おれも。」
「たんけんしよっか。」
「しよっか。入口はあっちだったよね。」
二人は母に手を引かれて歩いてきた階段を目指した。
「おれがさきー!」
「おれのがはやいー!」
「きゃははは!」
笑い転げて赤い絨毯の上を駆け下りて、角を曲がる。
遠くで制服を着た見張りの青年の背中が見えたが、上手くすり抜けて自動ドアの向こうへ。
外はまだ十分に明るかった。
「どっちから来たっけ?」
「くるま?」
「あっちかなぁ。」
良平が指さしたのは、少し離れた公園だった。
木がいっぱい茂ってて、それなりに人が出入りしてて、それっぽい。
聡平は首を傾げていたが、良平は構わず歩き出した。
「良ちゃん、ほんとにそっち?ちがうんじゃない?」
「ちがったらもどればいいさ。」
あんまり行くとお母さんに怒られるんじゃないかなぁ?
聡平は少し気が咎めたが、目の前に広がる世界への好奇心には勝てなかった。
何しろ一人じゃない、良平がいる。
この時の二人には怖いものなど何もなかったのだ。
二人は公園の敷地内に入ってしばらく歩いたが、父の車どころか他の車さえ一台も見当たらない。
それよりブランコ、砂場、鉄棒と誘惑が多すぎる。見渡す限りいじってみたいものばかりで、二人は目を輝かせた。
順番に吟味した結果、二人はシーソーを選んだ。これなら二人同時に遊べるし、何よりどっちが先に地面につくか、競争心が湧いた。
やってみると、意外と苦労する。下に行こうと思っても片方が下にいるときはもう片方は上にいるしかないし、ずっと下に留まり続ける力そのものがなかった。
二人はほぼ同じ重さなので必然的に交互に上下するしかなく、むしろ下から上へ移動する際のフワリとした感じに病みつきになった。
ぎったん、ばったん。
時折思いつきで左右の位置を変えてみたりして。
コロコロと笑いながら、飽きることなく。
ぎったん、ばったん。
勢い良く地面を蹴って、空中に浮く瞬間がたまらなく楽しい。
夢中になっていた聡平は、力いっぱい掴んでいたはずの両手が弾みで外れたことに気付かなかった。
「あっ…!」
良平が叫んだ声が遠く聞こえ、一瞬だけ空が垣間見えた気がした。
「お兄ちゃん。お兄ちゃん、起きて。」
恭平は心地良い眠りから目を覚ました。黄色っぽい光の中に母親がいて、覗き込んでいる。
目をこすりながら体を起こすと、顎下にあった明美の顔が揺れた。首をかくっと垂らして口を開けたまま眠っている。
恭平は慌てて両腕で小さな体を支えて、母を見た。
「もう終わったの?」
「まだよ。途中休憩。」
「ふぅん。…素敵な演奏だったね。」
「あらやだ、眠っていたのによく言うわね。」
母が笑ったので、恭平も歯を見せた。
ところで母の隣にいるはずの父の姿が見えない。
「それよりお兄ちゃん、良くんと聡くんがいないのよ。」
「トイレでしょ?」
「トイレって言って出て行ってから10分以上経ってるのよ。今お父さんが見に行ってくれてるけど。」
「へぇ。迷子になったかな。」
「やだわ。」
愛は心配そうな顔をして頬に手を当てた。恭平は舞台の右横にあるアナログ時計の針を見た。
「休憩何分まで?」
「20分。まだ始まったばかりよ。」
「そう。僕もちょっと探しに行ってくるから、母さん明美をお願い。」
「え?お父さん戻ってからにしたら?恭平までいなくなったらお母さん困る。」
ほどなくして孝平が戻ってきたが、館内には見当たらないらしい。
恭平は父にバトンタッチして席を立った。外界の変化を察知して明美がぐずったので、仕方なく手を引いて歩いた。いくら待っていろと言っても泣くのだから仕方がない。
去り際に父が追いかけてきて、自分の携帯電話を息子に持たせた。その頃は限られた人しか所持していなかった代物だ。
「何かあったらお母さんの番号にかけなさい。使い方はわかるね。」
「うん、行ってきます。」
「いってきま〜。」
明美が無邪気に手を振った。
恭平は途中まで明美に合わせてゆっくり歩いたが、やがてそれでは日が暮れると気付いたのか、妹を抱きかかえて早歩きを始めた。
小学三年生、いくら育ち盛りといえども幼児を抱えて普通に歩けるというのはそれなりに立派だ。
外はまだ明るいが、日は確実に沈みかけていた。
「さて、どっちに行ったかな。」
恭平は左右を見渡す。右は大通りですぐに横断歩道、左はまっすぐに歩道が続いていて、その先に公園が見えた。
「明美ならどっちに行く?こっちか、あっち。」
「ん〜……まっすぐ。」
「こっち?」
恭平は驚いて横断歩道を指差した。車の通りだって激しい。
「ちが〜う。えーと…おハシもつほう。」
「それ右だろ。」
「ちが〜う。こっち。」
明美は小さな右手を上げて、横断歩道と反対側の道を指した。
なるほど、抱っこされている明美は恭平の向いてる方向とは逆を向いているのだ。
「そうか、ごめん。明美の言うとおり。兄さんもこっちだと思うな。」
「ウン。」
明美は正解を褒められて嬉しいのか、にっこり微笑んで恭平の首に抱きついた。
二人はすぐに見つかった。
周囲の大人が何事かと駆け寄って来るほど大きな声で、二人揃って泣きわめいていた。
どうしたの?どこから来たの?お名前は?
聞かれれば聞かれるほど心細く、お互いの声しか聞こえないくらい息継ぎも忘れて泣き喚く。
そんなところへ人混みを掻き分けて、兄が来た。
「いたいた。なんで泣いてるんだ。」
なんてちっとも心配してなさそうな口振りで近付いてくる。
「にぃちゃんっ!!」
先に見つけた良平が涙と鼻水でいっぱいになった顔ごと恭平に抱きついた。
お陰で恭平は前につんのめりそうになり、危うく明美を落とすところだった。
「にーちゃん!にーちゃん!うぁぁあんっ!」
「何だよ…どうしたの。」
「聡平が…そうへいが、ち、いっぱい……」
「血?」
恭平はさすがにぎょっとして、明美を地面に下ろした。
近所のお母様方に囲まれていた聡平は、肘と膝を見事に4箇所擦りむいて、ワンワン泣いていた。
服や地面にも数カ所血が滲んでいた。
恭平はその1つ1つを丁寧に眺めて、右肘の怪我が最も深いことを知った。それ以外は傷自体が大したことない。
「にぃちゃん、どう?いたい?バイキンいっぱい?」
「大丈夫だよ。良平が泣いてたら聡平がもっと痛くなるだろ?だから泣くな。」
「そ、そうなの…」
不思議なことに良平は泣きやんだ。鼻をすすって袖で涙を拭いている。
恭平は泣き止まない聡平に向き直り、ポケットからハンカチを出した。ほっぺたの涙を拭いてやると聡平が目を開けた。その隙から涙が次から次へと流れ落ちる。時折小さな体全体をしゃくりあげている。
「聡平、歩ける?バイキンを洗わなくちゃ。」
「やだぁー!いたいからやだぁー!ひいっく」
「仕方ないな…。」
恭平は泣き止まない聡平をしばし諦め、遠巻きに見物していた子連れのおばさんに駆け寄った。少し話し、二人して同じ方向を指差し、お辞儀をして恭平が戻ってくる。
「近くに水道があるって。行こう。」
「やだっ!」
「おんぶしてあげるから。」
「え…?」
「ほら立って。乗れ。」
兄は背中を向けてしゃがんだ。
その背になぜか、明美がのしかかる。
「おんぶー♪」
「こらぁ…明美じゃなくて。聡平兄さんだろ。」
「えー。」
恭平は笑った。良平も笑って、妹の小さな腕を引っ張った。
つられて聡平も、涙を止めた。
恭平の服を引っ張りながらどうにかこうにか立ち上がり、自分より少しだけ大きな背中にのしかかる。
兄は2度ほど体を揺すり、いとも簡単に立ち上がって歩き出した。
視界が高くなった。
恭平が一歩踏み出す度に揺れてあちこちが痛い。
でも兄の背中は温かくて、優しくて、居心地が良かった。
「にいちゃん…」
「ん。」
「ありがと。」
コンサートが終わった頃には日が落ちていた。
ホールのロビーで座って待っていた兄弟は、母がその姿を見つけた時に目を開けていたのは恭平だけだった。
血の止まった聡平は、泣き疲れたのか良平と手を繋いだままクゥクゥ寝息を立てていた。
父にあらましを説明すると、彼は帰り道に車で薬局に寄ってくれた。
消毒液にも絆創膏にも聡平は泣かなかった。
偉いわね、と母が褒める。聡平は良平と顔を見合わせて、本当に偉いのは兄ちゃんだよねと囁き合った。
だがしかし、褒められたのは満更でもなく嬉しい。
その日の夜は我が儘を言ってリビングに布団を敷いてもらい、家族で川の字になって寝た。
左から孝平、恭平、良平、聡平、明美と愛。
実は孝平だけがやってられないと嫌がったのだが、一度だけでいいからと愛がなだめて渋々承知させたのを子供たちは知らない。
「ほら良平、ちゃんとお布団かけなさいよ。聡平もよ。」
「はいお母さん。でもにいちゃん、けがしたとこがいたいよー。」
「早く寝ちゃえ。明日は痛くないかもよ。」
「にいちゃん、あしがいたいよー。」
「良平は痛くないだろ…」
「あけみねー、はがいたいのー。」
「虫歯かな。」
「それじゃ歯医者さんに連れていかなくちゃかしらねぇ。」
「やっぱいたくなぁい。」
「何だよー。」
あはは、と声を上げて笑った恭平の後を追ってみんなが笑った。
関心が低く機嫌の悪かった父もこの時ばかりは微笑んだ。
静まり返ってすぐに、子供たちは眠りに落ちた。父も母も後を追う。
夕方聞いたバイオリンやフルートの奏でる音楽が遠くから響いて船をこぐ。
ゆったりと、ゆるやかに。
***
◇後書き
リクエストありがとうございました。
おんぶする役目は初め良平くんを考えていたのですが、泣くばっかりでおんぶしてくれなかったので、、、やはりお兄ちゃんになってしまいました。ごめんなさい;;「ほのぼの」さが足りないですね…!!(´Д`;;)
これからもマイペース更新を続けるつもりの管理人ですが、
四年目もゆったりまったりなお付き合いをよろしくお願いします。m(_ _)m
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