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◇孝平さんと明美ちゃんの話
明美は喉が乾いたので、お茶でも飲もうかと部屋を出た。
双子の兄の部屋からは音楽が漏れていて、外泊の多い次男がいることが伺える。
逆に静かな三男は不在であろう。彼がいたのではこんな大きな音量で、しかもカラオケしていては怒られること請け合いだからだ。
兄の良平はどうやら大学で音楽サークルに入っているらしい。よくは知らない。
明美は階段を降りた。
一階には長兄の恭平がいて、テレビを見てるか、台所で何やらしているかどちらかだろう。
そう予想していたのに、その期待は半ば裏切られた。
彼はコタツに入り、テレビもつけずにぼんやりとして、雑誌のページを捲っていた。
エプロンはしていない。
「兄ーさんっ。何してるの?」
明美は陽気に声をかける。
すぐに恭平が振り向くように顔を上げ、明美を安心させる黒い瞳で笑いかけた。
「うん、ケーキをね。」
「ケーキ?」
「父さんの誕生日に、ね。」
「………あっそう。」
明美は冷ややかに目を細め、当初の目的どおり台所の冷蔵庫へと進んだ。
彼女にとって父親は天敵以外の何者でもないのだ。
兄は呆れたように息を吐いた。
しかし何も言わない。言っても無駄なことはわかっていた。
代わりに別のことを言う。
「それにクリスマスもあるし…」
「クリスマス?今年は何のケーキにするの?」
打って変わって明美は話題に食いついた。
「去年はチョコレートのやつだったよねえ?」
「うーん、そうだったかなぁ。」
恭平はあいまいな返事と共にコタツから手を出して頭を掻いて、雑誌のページを捲った。
どうやら見ているのは料理雑誌らしい。
明美はコップに麦茶を注ぎ、それを持ってコタツの中に仲間入りした。
恭平が少し横にずれる。
妹は身を乗り出して恭平の持っていた雑誌を覗き込んだ。お陰で恭平の視界からは後頭部しか見えなくなった。
「おーい、見えないだろ。」
「えー!あ、明美これがいい!」
明美が指差したのはティラミスだった。
「またチョコじゃないか。」
「いいじゃーん。あ、これも美味しそうだな…」
「どれ、……見えないんだけど。」
明美の頭で、ね。
「ぶっしゅどのえる…?って書いてある。」
「ああ、木の枝みたいなケーキね。」
「そうそれそれ♪」
「明美も作れば?」
「はっ?」
「清二くん喜ぶよ。」
「うーん…」
「あ、じゃぁ練習に父さんのバースデイケーキ、二人で作ろうか。」
「は〜っ?やだ。」
「本番は清二くん。練習は父さん。うん、いいじゃないか。」
恭平は名案だと言わんばかりに大きな声で言い手を打った。
明美は慌てる。
「よくないっ。よくないよっ!」
「決まり決まり〜♪今度の日曜な。」
「えっ。えぇっ?兄さん?」
「何?」
「明美やだよっ!あの人にケーキなんて作らないよっ!」
「どうして?俺だって食べたいんだよ、明美のケーキ。清二くんにあげるのなら食べられないじゃないか。」
ああぁぁ、そんな言い方卑怯だ。
兄さんに食べたいって言われたら、そりゃ明美だって食べてもらいたいような、気も……
「なっ、決まりな。今度の日曜日。」
兄の笑顔に。
明美は拒否する力を殺がれてしまうのだった。
日曜日。
台所には恭平と明美が立っていた。
出かける準備をしていた聡平や良平が思わず足を止めるくらい、その光景は珍しいものだった。
というか双子にとってはある意味恐怖である。
どんなものが出来上がるのか。
良くても悪くても、半分以上が彼らの腹の中に消える運命なのである。
それこそ拒否権はない。
「お、おいっ、明美。」
「兄貴の言う通りにやれよ。逆らうなよ。」
双子は交互に焦りの声をかけてくる。これから相手の言うことがわかっているのか、それとも言いたいことが共通し過ぎているのか、器用に喋るものだと明美は関心する。
「明美は兄さんにいつも逆らってませんけど?」
「それはそうなんだけど…。」
言葉を選ぶのは聡平である。
「いつも以上に注意を払えっつーことだよ!バカ明美!」
反対に選ばないのが良平である。
「何よー!!きっと美味しいの作ってやるもん!!」
「よっしゃ!その意気だ!ガンバレ!」
「兄貴、頼むよ。マジで頼むよ。」
気合で乗り切ろうとするのは良平で、心配性で余計なお世話なことをするのが聡平である。
明美はぷーっと頬を膨らませて二人のやかましい兄を台所から追い出した。
「早くどっか行って!」
いってきまーす、と二人は逃げるようにその場から駆け出した。
明美は鼻息も荒く、恭平を振り返る。
「兄さんっ、やろう!!」
「…はい。やりましょう。」
力を抜いて、と恭平は笑った。
とりあえず兄の言うとおり兄のするがままに作れば失敗することはないと明美は信じている。
結局、作るケーキは第一候補のティラミスになった。
休日なのにも関わらず出社していた孝平は、夕方の5時頃何も知らずに帰宅した。
ただいま、と声をかけると中から人が出てくる。
いつものように靴を脱ぎ、鞄を預けようと顔を上げたところで面食らった。
「あ…」
愛?
だがしかし、すぐにそんなものは見間違いだと気付いた。
「おかえりっ!言っとくけど明美が自主的にここに来たわけじゃないから!ちょっと今日は特別なだけだから!」
例にも漏れず孝平にとってすぐには理解不能なことをいい、末の娘はプリプリと頬を膨らませてさっさと踵を返して去っていった。
気後れして黙っていると、明美と入れ替わりに恭平が笑いながら出てきた。
「ふはは。なんて顔してるのさ。」
「うーん…恭平だと思ってたから…。一体どういった風の吹き回しだい?」
孝平の鞄を受け取った恭平は、姿勢を正して少し寄り、囁いた。
「娘のために一肌脱いでくれませんか、お父さん。」
孝平は真顔になって恭平を見た。
つまりは、こういうことだ。
「お誕生日おめでとう、………お父さん。」
明美は言った。
テーブルの上にきれいに飾って置いてある、クリスマスケーキのような茶色いものを指差して。
よく見なくても、それはチョコレートかココアパウダーの色だとわかった。
「……ん?」
「父さんの誕生日、18日でしょ。少し早いけど。」
恭平が補足した。
明美は最初の一言を言ったきり、兄の背に隠れるようにして徐々に孝平の視界から消えようとしている。
孝平は少しぼんやりとして、明美の姿を探した。
その時には完全に恭平の背に隠れていた明美を、回り込んで目を合わせる。
突如として目の前に現れた父の顔に、明美は驚いて一歩下がった。
「わっ。」
「明美が作ったのかい。」
「そ、そうだよ…。兄さんと!」
清二にあげるための練習にねっ!
いつもの強がりが、この時ばかりは明美の喉でせき止められた。
父の歳を取った男性的な顔からは明美の力では何も読み取れないし、向けられたことのない興味なんて湧かないし、長く目を合わせていたら息が詰まって死んでしまいそう。
明美は身の置き場に困り、目を泳がせて恭平の袖を掴んだ。
それを見てようやく孝平が視線を逸らせた。
その先は明美の手から恭平の腕に移り、肩、顎、そして目へと運ばれる。
「恭平くん。」
「はい。」
「驚いた…。」
「早く食べたいって〜?もうすぐ良や聡も帰ってくるから、一緒に食べよう。」
恭平は父娘の両方に言い聞かせるように言って、明美の肩を叩いた。
防御壁のなくなった明美は一瞬不安そうな顔をしたが、孝平と目が合う前に兄の後を追いかけた。
孝平はというと、しばらくケーキや娘の顔を眺めた後、ネクタイを外して着替えに行った。
「嬉しそうだなあ。」
「え?」
恭平の呟きに明美は顔を上げた。
彼は目を細めて父の去った方向を見て微笑んでいた。
「明美のケーキ。父さんとっても嬉しそうだったな。」
「え〜…?そうなの?明美はわかんなかった。」
清二のように、上に馬鹿がつくくらい正直に態度に出してもらった方が断然わかりやすくてイイ、と明美は思ってしまう。
「…美味しくないって思うかもしれないよ。食べてみたら。」
「美味しくないわけないよ。それは俺が保証する。」
「…。」
それはそうだろうが。
「それにさ、やっぱり娘に作ってもらったものって特別だと思うんだよなあ。」
「え?」
「清二くんの練習に作ったって、父さんに言ったらだめだよ。」
恭平は不思議と悲しそうな顔をして、明美に言った。
どういう意味がこめられているのだろう。
それにしても明美が作ったものにあの父が喜ぶだろうか。
兄のことは信じているが、その発言だけは俄かに信じられなかった。
同じ家にいて同じ時間をたくさん過ごしてきたはずなのに、明美の記憶の中の父親像はとても希薄だ。
迷惑顔であしらわれたことしか思い出せない。
自我が芽生えてからはろくに話してもいないし。
…兄たちだけが全てだった。
だから明美はこの日、今まで味わったことの無いくすぐったい感情に戸惑ったのを隠すために恭平の注意を破り、本番のケーキはクリスマスに清二という彼氏の元に届けるのだということを孝平に言ってしまった。
その時の孝平は、無表情を少しだけ崩した。
とても人間っぽい、父親っぽい、おかしな表情をした。
明美はそれを、生涯忘れることはないだろう。
***
◇後書き
リクエストありがとうございました。
日曜日、今年は16日でした…ので、その日をイメージして読んでください。偶然にもクリスマスに更新することになりましたが、聖夜も明美ちゃんのケーキと恭平くんのクリスマス料理で佐久間家は平和に過ごせることと思います(*^-^*)v
これからもマイペース更新を続けるつもりの管理人ですが、
四年目もゆったりまったりなお付き合いをよろしくお願いします。m(_ _)m
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