◇恭平くんがトラブル(or事故)に巻き込まれ、心配する孝平さん


【いと愛しキミ】



会議が終わり、いつもの社長室へ戻った矢先に電話が鳴った。
呼び出し音のリズムから外線であることが伺える。
また良平が何か問題起こしたのかな、なんて嫌な予感を感じつつ、孝平は受話器を上げた。
「もしもし。」
『あ、兄さん?俺…孝介だけど。』
背後がざわついている。
相手は自他共に認める不出来の弟だった。
「ああ…どうした。何かあったのか。」
『うん。さっき恭平くんが電話をくれてね。』
「恭平が?」
『変な勘ぐりはしなくていいよ…。実は今彼は病院にいるらしいんだ。』
「病院?」
次から次へと別々の意味で気になる単語が出てくる。

孝平は受話器を持ち直し、背もたれの大きな黒イスに腰掛けた。
「どういうことだ?」
『俺もよくはわからないんだけど…どうも事故に巻き込まれたみたいだ。バイクの。』
「えっ?ひかれたってことか?」
頭の中が真っ白になった。

孝平の狼狽を感じ取った孝介が慌てて補足する。
『電話をかけてきた声の様子だと、大丈夫だと思うよ。』

そんなことを孝平は判断できない。
落ち着いた孝介の声に焦りばかりが募る。
恭平の身に何があった。
あの笑顔が苦痛に変わるかと思うと、急に背筋がぞっとした。
十数年前の交通事故の時に感じた悪寒より数倍酷い。

「……それで?」
孝平はできるだけ平静を装う形で聞いた。
こんな時まで努めることはないと自分でも思うが、どうやら長年の癖になっているらしい。
この状況で判断ミスなんてできない。
「恭平はなんて?」
『あ、そうそう。それがどうも迎えに来て欲しいらしい。少し足を怪我したみたいで…』
「そっ…」

それを早く言え!!

「孝介!」
『えっ…、な、なに?』
「お前、今どこだ。」
『それが照子の実家なんだ。頼まれたもののすぐには行けそうもない。それで…』
「わかった。私の方で何とかする。病院の場所は?」

孝介は病院の名を言った。
よく行く病院ではなくて、孝平のオフィスビルからも少し距離があった。
車で20分というところか。

孝平は受話器をおき、今度は峰山のデスクの内線番号を押した。
2コール目で会話口に出た峰山は、事情を聞くと迅速に対応した。
『出回りに出ている加藤という男が、たぶんその病院の近くにいるからすぐに行かせましょう。』
峰山は部下の前では同期である社長の孝平を敬い、敬語を使う。
それが時々不自然に聞こえて孝平は笑みを堪えるが、今はそれどころではなかった。
「ああ、頼むよ。すまないな…ありがとう。」
『また連絡します。』

本当は自分の足で駆けつけてやりたいが。
…孝介の言葉を信じるのなら、命に係わる怪我ではないのだろう。

孝平は目の前の作業に戻ろうとしたが、峰山の次の連絡のことが気になって集中できなかった。
5分、10分がとても長く感じる。
恭平の怪我というのはどのくらいだろうか。
足だと言っていた。それは左右のどちらだろう。
右足が心配だが、左足も痛めることはできない大事な部位である。
そもそも迎えに来て欲しいというくらいだから、歩けるのだろうか?

…やはり自分が迎えに行けばよかった。

気持ちが逸り、後悔が積もり出す。
孝平は自分が冷静さを失っているほど取り乱しているということに気付かなかった。
視界が揺れる。指が震えて文字が書けない。
この震えはどこから来てる?
命に別状がないことはわかっているのに。
心配でたまらない。

孝平はペンを置き、腰を浮かせた。
やはり自分の目で確かめに行こう。そう思った。

そこへ。

プルルルル…

内線が鳴る。
孝平はまるで今からそれが鳴るのだとわかっていたかのような素早さで受話器を取り上げた。
「はい、私だ。」
『峰山です。加藤が恭平くんを車に乗せたって。バイクに乗っていた相手の方の怪我は酷かったようですが、恭平くん自身は元気だそうですよ。』
峰山の声も何やら呑気そうに聞こえる。
相手が気楽そうに見えるのは孝平自身が焦り過ぎている所為だと、この時の孝平はやはり気付かない。
現状を客観的に判断できなくなっていた。
峰山は孝平にとって呑気に聞こえる声のまま、続けた。
『とりあえず自宅に向かわせたけど、それで良かったですか。』
「ああ、構わない。どうもありがとう。加藤くん、だったか…彼にも礼を。」
『伝えます。』
孝平は頷いて、受話器を置こうとした。

今すぐ家に帰ろう。そうすれば恭平の帰宅に間に合う。

すると受話口から峰山の声が、続けて聞こえてきた。
『…社長、』
「うん?」

『恭平くんが、今日の夕飯はすきやきだと、伝えてくれと。』
「………は?」

一瞬で頭の中がリセットされた。
頭の中をぐちゃぐちゃと掻き回していた熱が、すうっと冷めていく。
状況を整理する。
バイクと接触しかけて怪我をした恭平。
その彼が言ったスキヤキという単語を冷静に分析している自分に、やっと気付いた。

「…すきやき?どういうことだ。」
『心配するなってことじゃないでしょうかね。それとも早く帰って来て欲しいってことかな。』
「さあ…よくわからないんだが。」
『どちらにせよ、彼にとっては自分の怪我の話題より今晩の夕食の方が気になるというわけだ。つまり、やっぱり心配することはないって言いたいんでしょうね。』
それじゃ、と言って峰山は孝平より先に電話を切った。
孝平はしばし呆然とする。

恭平からの伝言で、孝平はすっかり平静を取り戻した。

数分前まで取り乱していた自分が脳裏で再生される。
するとふつと笑みがこみ上げた。
あれは誰だったのだろう。
まるで自分ではないような気分にさえなる。

孝平は今の今まで格闘していたペンと書類に目を落とす。
そこに何が記されていて、これから何を書こうとしていたのか、皆目思い出せない。
文字列の向こうに、孝平は目を細めた。

…恭平。

彼でなければ、これほど混乱するものか。
父がこれほど取り乱しているだろうことを、恭平が予想できたはずはない。何故なら彼は孝平のことを、どうやら仕事第一人間だと信じて疑っていないようだから。
…それはある意味、ある程度の範囲内で真実なのだが。
それに反することもあるのだと、わかっていない。
もちろん孝平本人ですら自身に驚くことが多いことを誰も知らない。

今すぐ目の前で元気な笑顔を見たい。
今すぐ抱き締めてやりたい。
心配したんだと伝えたい。

孝平は物憂げな表情でため息をつき、窓の外の空を見上げた。
厚い雲が遥か向こうに見える。


30分後、孝平は再び受話器を上げた。
番号を途中まで押し、手を止める。
先ほどの書類は当に書き終え、竹本に渡してきた。
しばらく考え、受話器を戻す。
脇に置いてあった通勤用バッグから携帯電話を取り出して、孝平は仮眠室へ入った。
番号を探し、通話ボタンを押す。

耳元でコールが鳴る。
1回。
2回。
3回…4回。

出ないか。

そう思って諦めかけた時、ブツンと何かが切れるようないやな音がする。
しかし孝平はその次に聞こえるだろう音に耳を澄ませた。
思わず眉間に皺が寄る。

『あ、もしもし。父さん?』

愛しいくらい柔らかい声が、耳の奥に聞こえた。


***


◇後書き

リクエストありがとうございました。

横断歩道を渡っていたら、バイクが突っ込んできて、お互い避けようとして転びました。歩行者の恭平くんは膝に怪我をした程度だったのですが、バイクで転んだ運転手の方は両太ももあたりからダラダラ血を流してました…でもその人すっごいイイ人で。むっちゃ謝ってくれました。そんなお話を、恭平くんは孝平さんに夕飯後にします(笑)長くなりそうだったのでそこまで書けませんでした。。。

これからもマイペース更新を続けるつもりの管理人ですが、
四年目もゆったりまったりなお付き合いをよろしくお願いします。m(_ _)m


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