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◇杉野くんのお姉さんの話
姉が帰って来た。
父の実家に。
その日のうちに、母の妙子から電話が来た。
『拓巳、今週の土日、おじいちゃんの家に来れる?穂波ちゃんがあなたに会いたいって。』
杉野は一瞬、本気で迷った。
断るべきか否か。良平との約束もあるし。
黙っていると、妙子が言った。
『無理しなくてもいいと思うのよ。…苦手なんでしょう?』
そう言われては逆に断れない。反射的に首を振る。
「そんなことないよ。行くよ、母さん。」
杉野は極力明るく答えた。
正直に言うと、苦手だった。
彼女は政治家だった祖父の血を引いて何をするにも優秀だ。面倒見もいい。杉野のコミュニケーション能力は、彼女の英才教育の賜物であると言っても過言ではない。
性格そのものは杉野自身も好きだ。姉として敬ってもいる。
ただ一点だけを除いて。
「拓巳!」
玄関を通ると同時に、姉の穂波が駆け寄ってきた。
肩くらいまでのサラサラヘアを風に揺らして。
「穂波さん。お帰りなさい。」
「ただいま。それよりお姉ちゃんって呼んでって頼んでるのに。前から言ってるでしょう。」
穂波が目を細めて言う。
そう、穂波と杉野は父親は同じだが母親の違う、異母姉弟だ。つまり杉野拓巳の母・妙子と杉野の姉は、何の関係もないことになる。
仲が悪いわけではないが、杉野は無意識に遠慮している部分があった。
杉野は話題を変えようと、鞄を置いて靴を脱ぎ始めた。
「…疲れてるんですか?なんだか元気ない。」
「全然。飛行機に長時間乗ってたら、腰が痛くなったけど。それだけ。」
穂波が鞄を持ち上げた。
「へぇ?穂波さんでも疲れることがあるんですね。」
「…体力の塊みたいに言わないで。拓巳は……しばらく見ないうちに男前に変わった気がします。お付き合いしている方でもいるのかしら?」
出た。
この話題は嫌いである。
相手がこの人でなかったら、良平のことを暗に示した冗談でも言えるのだが。それもできない。
「穂波さんこそ、いい人がいるって聞きましたよ。」
「んー、半年前に別れたっきり。募集中です。でもかっこいい男はみーんな女持ちなんです。」
「あはは。そうですか。」
「そうよ、で、どうなんですか?拓巳は。」
「…それは後でね、姉さん。」
杉野は苦笑して、穂波から鞄を受け取って家の中へ歩き出した。
洋風の表玄関と違い、裏玄関は和風の造りになっている。
つくづく手の込んだ庭に面した廊下を渡り、杉野は12畳の客室へ通された。
杉野は部屋の奥に鞄を置き、マフラーを外した。
コートを脱ぐのを手伝うために自然に寄った穂波からは、何かの花のような甘い香りがする。コートをハンガーにかける彼女は、杉野が知っているどの女性よりも細い。
この折れそうな体のどこに、年中風邪を引かないで世界中を飛び回る強靭な体力が隠されているのかと思う。
二人は揃って寝たきりの祖父を見舞い、親戚に挨拶して回った。
注目されたのはアメリカ帰りの姉の方で、拓巳はただ彼女の後をついて歩いているようなものだった。
正直退屈で、いてもいなくても同じではないかと感じる。
しかし、通り一辺倒の挨拶をにこやかにして回る姉の後ろで欠伸をかみ殺していると、すかさず姉が話を振ってくる。
「で、拓巳の調子はいかがですか?お仕事、うまくいってます?」
その度に、杉野はしたくもない仕事や私生活の話をそれなりにする。
もちろん一番大切な人の話は隠して話す。
父親の方の親戚は杉野から見れば頭が固く、みんな女で年が離れているから、本当のことを話しても理解してくれない。そして学歴や職業だけはやたらとエリートが多いので、多少のコンプレックスも感じてしまう。
若くてのんびりした母とちゃらんぽらん保健医に育てられた杉野には、話が合いそうに思える人がいなかった。
唯一血の繋がった姉の穂波とはこれでも一番仲がいい。
話の最後に必ず出るのが、杉野の苦手な結婚話だ。
その話題になると杉野は辟易してしまう。
穴があったら隠れたい。いっそのこと逃げ出してしまいたくなる。
「拓巳くんももう23歳ですし…」
が決まり文句だ。
一般的に言ってもまだまだ若い部類だと思うし、この年で独身の人は腐るほどいる。なのにどうして、大人は結婚させたがるのだろう。
しかも“結婚”というのは女性とするのが一般的だ。
杉野拓巳が例外であることは誰も知らないし、知られたくも無い。
もし知られてしまったら、強制的にお見合いさせられ、あれよあれよという間に本当に結婚させられてしまう。
そして半軟禁生活の始まりだ。
良平の元になんて一生かかっても帰れなくなってしまう。
それくらい恐ろしいところなのだ、杉野家は。
「この前ね、お見合いのお話が来ました。」
突然姉が言うので、杉野はギクリとした。
挨拶周りが終わり、杉野の泊まる客室に二人して戻ったときには日が暮れていた。
部屋には和膳が用意されており、家にいるのに高級旅館なみの接待が行われる。
「穂波さんに、ですか?」
「違いますよ、拓巳にです。」
「え゛。」
固まった。箸が指から零れ落ちそうになる。
「聞いてませんか?」
「はあ…。」
「そうですか、やっぱり。私は直接は知りませんが、おじい様が妙子お義母様に伝えたらしいのです。」
まったく知らなかった。
妙子もそういった素振りは見せなかったはずだ。
「その時お義母様はおじい様に、『拓巳にも見せたが、会いたくないと言っている』とおっしゃったようなのです。」
「……あっ、俺が見たことを忘れてたんですね。はい、見ました。美人でしたね。」
「わかりやすい嘘を吐かなくてよろしい。」
う。
杉野は黙って俯いた。
穂波は向かいの席で、くすくすと笑う。
「わかってますよ。妙子お義母様のお気持ちもわかります。一人息子をもう少し長く手元においておきたいための嘘でしょう。」
「はあ…。」
「おじい様もご承知のようです。」
「なんというか…助かります。」
「それはそうと、私に拓巳の気持ちを聞いて来いと、こうおっしゃるわけですね、おじい様は。あなたはお義母さまの大事な息子であると同時に、おじい様にとって唯一の孫息子なのです。」
「う、うーん…。」
これを言われるとつらいのだ。
まだ良平にも言っていない事実。
成人した時から、いやその前からずっと、杉野拓巳には祖父の多大なる期待とおせっかいと家柄などが圧し掛かっている。
妙子が何不自由なく暮らしてゆける杉野家から幼い息子を連れて出て行った理由は、何も夫婦の不仲だけが原因じゃない。その大きなプレッシャーから杉野を守るためだった。
そのことがわかったのは高校を卒業してからのことだ。
良平だったら、杉野の迷いや遠慮を吹き飛ばしてくれるだろうか。
「穂波さん、俺にはまだ結婚っていう考えはないんですよ。おじい様にも直接伝えることが必要ですね。」
杉野はやんわりと、しかしきっぱり意思表示した。
穂波は小首を傾げてくりっとした目で弟を見つめた。
「誰か心に決めた人でも?」
「…そういうわけじゃないですけど。」
良平、ごめん。
心の中で謝ってみる。
「結婚する時期や相手は自分で決めたいんです。たとえ時間がかかっても。」
許されるのならすぐにでも一緒になりたい気持ちは、今は心の奥底にしまいこむ。
良平もわかってくれる。
「あなたはいつもそう言うけれど。おじい様も私も、他の親戚の方たちも心配してますよ。」
「わかってます。」
「拓巳は結婚するつもりがないのじゃないかって。」
「……は?」
「私は感じるのですけど。」
「……まさか。言いすぎです。」
「私は早く姪っ子や甥っ子の顔が見たいです。」
「やめてくださいよ。まさか…少し酔ってます?」
杉野は穂波の席にあったお銚子に手を伸ばした。
持ち上げると軽い。
…いつの間に飲んだのだろう。
「穂波さーーん。飲み過ぎだよ!」
「そうだったかしら?」
「日本酒弱いくせに…」
「早く子供を生みなさい。」
「はいはい。って生むのは女性で、俺ではないですよ。」
「元気で若いうちに、」
「言ってることが年寄りくさくなってきてますよ。」
杉野は苦笑交じりに立ち上がり、襖を開けて人を呼んだ。
奥から使用人らしき女性の声が応えた。
「ねえ、拓巳。」
「はい。」
「私は生みたくても、もう生めないのだから。代わりにあなたが。」
杉野は肩越しに少し振り向いて姉を見、ため息をついて目をそらした。
***
◇後書き
トリさん、リクエストありがとうございました。
杉野くんのお姉さんはかつて読者さまの投票で誕生したキャラクターです☆キーワードは主に「女系家族」「年が離れて」「気が強い」「教育係」って感じでしたかな(笑)年齢は30歳手前。英語ペラペラの国際人の設定です。口調からはわからないかもしれませんが、気は強い予定…!
これからもマイペース更新を続けるつもりの管理人ですが、
四年目もゆったりまったりなお付き合いをよろしくお願いします。m(_ _)m
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