◇孝平さんと竹本さんの浮気現場を目撃する恭平くん


【不意に。】



その時俺は、確か大学生だった。
父との初めての性交渉は既に済んでしまっていた。
だけどカラダが気持ちよかっただけでココロは追いついてなかった。
その所為かどうか、あの頃の俺は愛だとか恋だとか、付き合うとか友達だとかの境目がよくわからなくなってた。
それでなくても家事や弟妹のことに気を取られていたから、外へ出ても特に身のある会話もせずに過ごすことが多かったように思う。
外泊はおろか、カラオケやボーリングで遊ぶこともあまりしたことがない。
とは言っても人並みに知り合いがいたから、大学祭や学年末なんかのイベントでは楽しんだ。女の子に想いを告げられたりして、贅沢にもお付き合いしたりした。
その瞬間はちょっぴりドキドキして、女の子は可愛く見えて、幸せだと思っていた。
…でも、好きとか愛してるとかの実感が持てないのは変わらなくて。
結局長くは続けられなかった。

俺の体質か運命かはわからないけど、何人か男の人も好きになった。
友達としてなのか、それとも恋愛対象としてなのかは今でもわからない。
そもそも父との関係が親子愛なのか恋愛なのか、はたまた理不尽なことの強要なのかもよく理解できていなかったから。

ただ好きだと感じた相手には、俺が父からもらった優しさと安堵感を同じように俺も与えてやりたいと、考えるようにはなっていた。


「あ。」
「?」
テレビを見ていた恭平は、おもむろに声を上げた。
ソファで商業誌を眺めていた孝平が顔を息子に向ける。
恭平も父を見ていた。
「何?」
「ううん、なんでもない。」
「……何故そんな見え透いた嘘を吐くのかな…」
孝平は呆れた表情をとったが、追求はせずに雑誌に目を戻した。
それなのに横顔に視線を感じる。

「…言いたいことがあるなら言ってみなさい。」
「な、何でもないって。ちょっと嫌なことを思い出したなあって…」
「嫌なこと?」
「…。」
恭平が黙ったので孝平は再び顔を上げた。
恭平はコタツに手足を入れてテレビを見ている。
画面は夜の街で、男女が手を繋いでレストランに入っていくシーンだった。
「…嫌なこと?」
孝平には恭平の意図するところがわからないようだ。それどころか恭平の予期しない深読みをしてきた。

「過去にお付き合いした人のこと?」

「えっ!違うよ!」
恭平は慌てて否定した。
これまでの孝平の所業がそうさせる。
自分は恭平以外の人とも体を重ねていたくせに、恭平に他の男が寄ることを許さないのだ。
大学を卒業してからのここ数年に、孝平の独占欲はムクムクと成長し続けている。
時にはその怒りの矛先が恭平自身にも向くのだからたまらない。
「そういうことじゃないよ!俺のことじゃない。」
「へえ…。」
孝平の目がすうっと細くなった。
恭平はヤバイ、と身を固めたが、孝平はすぐに機嫌を戻して目を伏せた。雑誌のページを捲る。

拍子抜けしてぼうっと見ていると、孝平は三度目に顔をあげた。
「なんだ。どうした?」
「いや別に…」
「気が散るから言いなさい。ここに来て。」
孝平は自分の隣をポンポンと叩いた。
同時に座り直し、雑誌をコタツ机の上に置く。
恭平は左足を動かして毛布をどけ、言われた通りに示されたソファの上に移動した。

「で、何?嫌なことって。」
さっそく聞いてくる。
相手を捕らえる強い視線に恭平はドキリとした。

「気にし過ぎだよ父さん。」
「恭平が思わせぶりにだらだよ。聞いて欲しそうに言うから。」
「俺のせい?」
「…お互い様だ。」

孝平は目を細めた。
今のは笑ったしるしだろう。
挑発的な瞳を恭平に向けてくる父は、大概機嫌よくいたずらを仕掛けてくる。
恭平の予想通りに、孝平は手を伸ばしてきた。
避けるように体をひねると、背中が横になり天井が見えた。
白い蛍光灯の手前に孝平が現れる。

「言ってみて。」
「言わないって決めたんだ。」
「誰が?」
「俺が。それに昔のことだから父さんも覚えてないと思う。」
「え?私のことか。」
孝平は意外そうな顔をした。
本当に“昔の恋人”のことだと思っていたらしい。
恭平は背の後ろに肘をついた。
上体を起こす。
すぐ近くに孝平の首元が見えた。
喉仏が動いて、唇が言葉を発する。

「…余計気になるじゃないか。」
父が少し機嫌を損ねたことが声の調子でわかった。
恭平は唇に見とれるのをやめて睫を上げた。
父の顔がとても近くて急に羞恥を覚える。
しかし重なった視線に目を離せなくなった。
頬が熱くなる。

「わっ…」

恭平の心境をいち早く察知して、孝平の手が胸元を撫でた。
「今、どんな顔してたかわかるか?」
「え?…っ!」
孝平が指を立てて恭平の服を引っ掻くように爪を立てた。
小さな衝撃だったが、左目の頬が無意識に引きつる。
恭平は孝平を見上げた。彼は恭平を見下ろして、ぐいっと顔を近付けた。
唇が斜めに触れ合う。
恭平が思うより早く、孝平は一度離れた。
彼の舌が舐めた体温が残り香のように唇に残った。

「キスして欲しそうだったよ。」
「えー…。」
「私が何かしたかな、恭平に嫌なことを。」
「してないよ。」
「またそういう…」
「嘘じゃない。あの頃父さんが俺のことどう思っていたかはわからないけど、今とは状況が違ったんだ。」
「どんな風に?」
「…強いて言えば、あの頃はこんな風に、こんな会話をするような仲じゃなかった。俺も父さんも別々だった。」
「…。」
「誰かが悪かったわけじゃない。」

レストランへ入っていった男女は今、テレビの中で楽しそうに食事をしている。
数分前には仕事に追われているサラリーマンとキャリアウーマンだったのに。
彼らは一緒に車に乗って、この場所にまでやってきた。
薄暗い駐車場から二人は降りて、それから少しの間、車の横でキスを交わした。
短くて長いキスを。

「当時の自分のことだってあんまり良く思い出せない。でも見たことを思い出すと、あぁなんか嫌だなって、今の俺は思う。それくらいの話。」

その光景が、数年前の父の姿に重なった。
誰かの車に送ってもらって帰宅した孝平は、家の前で、車から降りたばかりのその人と抱き合った。
辺りは暗くて顔はよくわからなかったけど、たぶん男の人。
そしてたぶん……、あの時はわからなかったけれど。
父の背中に回された彼の手が、やたら白くて美しく見えたのを覚えている。
二人は長いこと抱き合っていた。キスも交わしていた。
恭平は部屋の窓から偶然に、その光景を目撃した。

頭が働かなかったのか、ショックだったのか、二人が離れるまでずっと見ていた。

今になって思い出した。

忘れていたのに。


「…なんとなくわかったぞ。」
孝平は言った。
勘が良過ぎるのも困りものだ。それともまた、勘違いをしているのか。
そして唇を寄せてきた。
恭平は甘んじてそれを受け入れた。
先ほどと違い長いキス。
強く舌を吸われ、絡めとられた。
角度を変えて余すところなく濡らされる。
息が上がり、酸欠になっても離したくなかった。
腕を伸ばして孝平の体にすがりつく。
ずれた唇の隙間からどちらのものともわからない唾液がこぼれ落ちた。

「は…。…ぁ…っ」
恭平が小さく熱っぽく呻いた。
唇が離される。

「昔のことは忘れろ。」
「わ、かってる…。」

恋愛と友情の区別もつかなかった自分に、彼を妬む資格なんてないのに。
上手く人を好きになれなかった自分が、愛する人のために尽くし続ける人を罵ることなんてできやしないのに。
思い出すだけで胸が苦しくなるのは何故だろう。
今が幸せだからって、明日も目の前の人が傍にいてくれるという保障なんてどこにもない。

「ちょっと思い出しちゃっただけ…。特に深い意味はない。です。」
恭平は手の甲を眉間に押し付けた。
間違っても涙をこぼすとか弱い部分を見せたくない。
自分はこんなに弱くはないと思いたい。

恭平の手首を孝平がそっと掴んだ。
ゆっくり額からずらされる。腕につられて前髪がふわりと浮いた。
孝平は覗きこむようにして恭平を見ている。
指先で顎の輪郭を撫でられた。

恭平は、孝平の唇を見た。
瞼が伏せられ、睫が揺れる。
その仕草が引き金だったかのように、孝平が恭平の顎を持ち上げた。
当然のように重なる唇が、今は何にも変えられないほど愛おしい。

恭平は父の背中に腕を回し、強く抱きしめた。
離れないように。

離れたくない。

放したくない。

今の恭平には愛することがどういうことか、わかる気がしていた。


***


◇後書き

リクエストありがとうございました。

不意に思い出した過去の光景が今から思うと理解できる、なんて経験をしたことはありませんか(´・ω・`)恭平くんはあるみたいです。厳密に言うと「浮気」ではないのですが、恭平くんは充分不安になってしまったのでご容赦ください。竹本さんですよね、たぶん…(^^)

これからもマイペース更新を続けるつもりの管理人ですが、
四年目もゆったりまったりなお付き合いをよろしくお願いします。m(_ _)m


+戻る+