![]()
◇矢吹×恭平のラブラブあまあまなお話
本日、土曜日、晴天。
矢吹博人は予定より1時間も早く目が覚めてしまった。
休日だから多少ゆっくりしたものの、まだ7時半だった。
のんびり起き上がり、顔を洗ってトイレを済まし、食パンを焼いて目玉焼きをこしらえる。
溜まっていた洗濯物を洗い食器を片付けても時間はまだたっぷりある。
しかしなんとなく落ち着かなくていつも通り急いで食べてしまう。
ジーンズにTシャツを2枚重ね着し、先週アウトレットで購入したバッグに必要なものを詰めてゆく。
忘れ物はないかと3回くらい確認しても、待ち合わせの時間まではまだ2時間近く残っていた。
困ったものだが、じっとしていると余計なことまで考えてしまいそうになるので。
矢吹はそのまま家を出た。
早々に待ち合わせの駅に着いてしまった矢吹は、地下街やらゲームセンターやら服屋やらをぐるぐると徘徊した。カフェで慣れないコーヒーも飲んでみた。
やっと彼が改札口に姿を現したのは、時計で12時を示す10分前。
つまり彼は約束通りにやって来た。
「あれ?お早うございます。遅くなりました。」
佐久間恭平は、爽やかに笑いかけてきた。
ボーダーのポロシャツにベージュのパンツ。腕時計は皮ベルト…
矢吹はスーツと違う恭平の格好を上から下まで凝視する。
「…矢吹さん?別に珍しいブランドものではないですよ。」
恭平は照れくさそうに手首を隠したので、矢吹は顔を上げた。
気付かれたのが腕時計だけでセーフだったといえるだろうか。
「別に遅くなんかないよ。良かった、来てくれて。」
「やだなあ。俺、楽しみにしていたんです。」
恭平は無邪気な顔で笑った。
動揺しないよう警戒していたはずなのに、矢吹はその笑顔に心臓が高鳴るのを感じた。好きな人に笑顔を向けられるということがこんなにも幸福だと感じられるなんて。
最後に付け足すように、最高の笑顔のままで恭平が言う。
「この映画、観たかったんです。」
あ、そっちですか……?
チケット売り場には人の列ができていた。
それを横目に、矢吹と恭平は階段を昇る。事前にチケットを購入しておいて正解だった。
矢吹は恭平のために一段一段ゆっくりと昇った。
恭平が遠慮気味にすみません、と謝ったので、矢吹は気にすることないよ、と笑ってみた。
事実、右足に少し障害を持っていてもそれをハンディキャップとも思わず周囲に明るく優しく接している恭平を見ていると、心の底から気にすることはない、と矢吹は思う様になっていた。
彼の中には見えないだけで、底知れぬ悲しみがあるのだろうか。
傷つけられた心が泣いているのだろうか。
その涙を、見せられる相手はいるのだろうか。
「この映画は、離れ離れになっていた家族が再生していくホームドラマなんだって。昨日、雑誌に書いてあったのを見ました。」
恭平はポスターを見上げて言った。
矢吹が恭平を誘った時も、こんな風にして恭平はポスターを見上げていた。
会社から駅までのほんの5分程度の帰り道、駅の掲示板に貼ってあったポスターを見て、彼は足を止めたのだ。
「事前に読んだらつまらなくない?」
「内容は読んでませんよ。でも気になるじゃないですか、役者は誰が出てるとか、あらすじくらいは。」
「確かに。…って言っても俺、芸能人の顔と名前を一致させてなかなか覚えられないんだけどね。」
「あは。それわかります。」
恭平は振り向いた。
柔らかそうな前髪が、ふわりと揺れた。
クリスマスの日、ふとしたことで泣き出した恭平を抱き締めた。
涙を止めたくて咄嗟に、思わずとった行動だった。
矢吹はその時の自分の心境を、思い出したくても思い出せていない。
あまりに記憶がぼんやりしていて、夢だったのではないかと思えてくるくらいだ。何故彼が泣いていたのかも、今となっては思い出せないし本人にすら二度と聞くことができない。
あの時、矢吹も恭平も体内に多少アルコールが混ざっていて、甘い雰囲気が漂っていた。
なんていったってクリスマスだ。魔法がかかっても、不思議じゃない。
ただ、夢じゃなかったと確信できる唯一の事実は、唇が触れたということだ。
キスをした。
一瞬じゃない。
事故でもない。
お互いに、重ね合い、少し離れて、また重ね合った。
矢吹の中では、2度目のキスは確かめるような意味合いを持たせたつもりだったが、あの時の恭平は応えてくれた。
…ような気がしている。
恭平の形の良い唇が閉じたり開いたりして、矢吹を誘った。
柔らかく暖かい感触に、舌が震えた。
何度も確かめた。
夢なんかじゃ、ない。
「…き、さん。」
えっ?
「矢吹さん?大丈夫ですか、お水でももらってきましょうか。」
気付けば辺りは薄暗く、目の前には大きなスクリーンがあった。映画の予告が流れている。
隣に座った恭平が、矢吹を覗き込むようにして、心配そうな顔を向けている。
「さっきから上の空ですよ。気分でも…」
「あ、大丈夫。ちょっと考え事してた。」
「…?矢吹さんが考え事?」
「…。ちょっと、その笑いはどういう意味よ、恭平くん。」
「あ、いえいえ。」
恭平はわざとニヤニヤした顔をしたままシートに背中を戻した。
矢吹は子憎たらしくなって、恭平のわき腹を肘で突いた。
「うっはぁ!」
奇妙な声を上げて恭平が背筋を伸ばす。
慌てて口元を押さえ、しかめっ面を矢吹に寄越す。
今度は矢吹が、わざとニヤニヤした表情を返した。
恭平が諦めたように肩をすくめて目を細めたので、矢吹もそれ以上ふざけることをやめた。
揃って前を向き、スクリーンを見る。
恭平の顔にはスクリーンからの光が当たり、どこか幻想的に見えた。
「あの時のことを、確かめようと思ってたんだけど…」
「え?」
あの時のキスは、本当に、俺としたのですか。
誰かの存在と、面影と、重ねていたわけではないのでしょうか。
例えば、社長とか。
「恭平くん。」
「はい。」
「観てる間さ、手、握ってていい?」
「………。ふふ。俺の妹みたいなこと言いますね?」
軽く流された。
触れそうで触れない肩の体温を暖かいと感じた。
相当に飢えているとしか言いようがないけれど、それでもいい。
彼のためなら我慢もできよう。
いつか、指先で触れ、掌を繋ぎ合えると信じている。
スポーツではなく日常生活で初めて、肩幅が広くてよかったと矢吹は思った。
***
◇後書き
リクエストありがとうございました。
あんまりラブラブな感じにはなりませんでしたね。でも今の二人の関係だと、肘で突きあって笑っているのが丁度いいと思ったのです。近付きすぎずに、遠ざかりすぎずに。矢吹くんの切ない想いは、恭平くんがどこか心の奥で悩んでいる限り、これからも続くことでしょう…。
これからもマイペース更新を続けるつもりの管理人ですが、
四年目もゆったりまったりなお付き合いをよろしくお願いします。m(_ _)m
+戻る+