社長室 P1



「恭平さん。社長がお呼びですよ。」
佐久間恭平は、書類をめくる手を休めて声をかけてよこした相手を眼鏡の薄いガラス越しに見上げた。
父の秘書、竹本だ。
彼はにこにことしながら恭平に手を差し出した。
「この仕事は私がやっておきましょう。あと少しのようですし。」
「あ、すいません…。」
恭平は差し出された手に書類を預けると、席を立った。
右足を少し引きずるように歩くのは、小学校の頃に交通事故に遭った時の後遺症だ。

恭平は、大理石の床をゆっくりとエレベーターの方へ向かい、上のボタンを押した。
ここは三階で、社長室は十四階だ。
この会社の社長とは、佐久間孝平、つまり恭平の実の父であった。
足が不自由なためにろくな就職のできなかった恭平は、仕事が決まるまでの間ということで、この父の会社に週三日アルバイトとして通っていた。それももう三ヶ月になる。仕事にも慣れてきた。

恭平はやってきたエレベーターに乗り込んで、十四階で降りた。
社長室の前でノックをして中に声をかける。
「父さん?俺だけど。」
中からガチャリと扉が開いた。

「おお、恭平か。よく来たな。」
父の孝平はすでに四十歳を五つも過ぎているのだが、髪の毛は黒く、皮膚もどこか若々しい。
好感のもてるような独特の笑顔で息子を出迎えたのだった。
「体の調子はどうだい?」
孝平は、後ろ手に扉の鍵を掛けて聞いた。
それにちらりと目をやりながら、恭平は父の目をまっすぐと見て答えた。
「お陰様で、見ての通りだよ。」
「では元気そうだな。よかったよかった。」
孝平は部屋の中のクッションに息子を座らせると、自分は紅茶の用意を始めた。
「父さん。俺、やるよ。」
「いいんだ、お前は座ってなさい。」
基本的に父は優しい。
その人柄を持ってして、仕事も成功を納めているようだった。

「来週、明美の授業参観があると言っていたね?」
「うん。明美は俺に来て欲しいと言っていたけど。父さんが行くべきだよね?」
「ああ…私もそう思うが、どうも会議が入りそうでね。」
孝平の言葉に、恭平は少し呆れたように溜息をついた。
「また?それじゃ明美がかわいそうだよ。」
「お前が行ってくれないか、恭平。」
父は息子の言葉を無視して、話を進めた。これも毎度のことだ。
「…わかったよ。その代わり、またあいつに嫌われても知らないよ。」
「それを言われるとつらいな。」
孝平はそう言いながらもあまりショックを受けているようには感じられない。
恭平の妹の明美は18歳の高校生で、父のこういう所をひどく嫌っている。

孝平は入れた紅茶を持って恭平の隣に腰掛けた。
この大きな社長室には他にも座るところはたくさんあるのだが、彼は恭平にぴたりとくっついた。

「父さん。」
「なんだい?」
孝平は恭平に紅茶を手渡しながら、逃げようとする彼の腰に手を回して押さえた。
「人が来るかも…竹本さんとか。」
「呼ぶまで上がってくるなと言ってある。」
「まだ、お昼だよ。」
孝平は自分の分の紅茶に口をつけて飲んでから、それを前の机に置いた。
「わかってるよ。」
恭平の腰に回した手を、そのまま這うように上に擦っていく。
「でも、私と恭平の間に時間なんて関係あったかな?」
あいていた手を恭平の唇にそっと触れると、彼の紅茶を持った手がぴくりと震えた。
「紅茶…飲むかい?」
「あ…」
孝平は恭平の持っていた紅茶を手に取ると、彼の口にカップを近づけた。
促されるままに口をつける。熱いアールグレイの紅茶が恭平の喉へ落ちた。
「つ…っ。父さん。自分で飲める…。」
「そうかい。手が震えているけれど。」
孝平はそう言って恭平からカップも置き皿も取り上げてしまった。
さらに眼鏡もはずさせる。
「私はね、明美に嫌われても仕事はできるが。」
そう言って紅茶で濡れた恭平の唇を再び手でなぞるように触れる。
恭平の呼吸が少し早くなるのが、腰の動きでわかった。
「お前に嫌われると、きっと何も手がつかなくなるだろう…。」
何時の間にか睫毛が一本一本確認できるくらい近くにお互いの顔がある。
恭平がそれに気付いた時には、父の孝平の唇に彼の唇が重なっていた。
一度触れて、少し離れ、角度を変えて再び重なり合った。
孝平のやわらかい舌が唇の上を走る感覚に、恭平はくらりと目眩を感じた。
反射的に薄く開いた口の中へ、舌が侵入してくる。
お互いの息遣いが、ずれた隙間から不規則に漏れた。

「ん…っ。んふ…っ」
鼻にかかったような恭平の微かな喘ぎ声に、孝平はさらにキスを重ねた。


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