▼type-A
└02:たわいない嘘
∴∵∴∵∴∵∴
12月の風が吹く。
高い空の向こうに薄暗い雲が見える。
今日は冷たい雨が降るかもしれない。
「あけみーっ。いつまでそんなとこいるのぉ。早く教室戻ろうよ!寒いよー!」
4月にできた友達の市井詩織の声に明美は振り向いた。
屋上のさらに上に出た部分に、短いスカートを風になびかせて明美は立っていた。
風に煽られて顔へとかかった髪を払いのけて、彼女は一歩前に出た。
「今行くよっ!」
掛け声と共に身長以上ある段差を軽い身のこなしで飛び下りる。
詩織の開けたドアから校舎内へ入った。
「ねーねー詩織。今週の日曜あいてる?」
「えっなんで?」
「見たい映画があるの。一緒に行こうよ。」
高1の冬。
まだ進路も何も考えてなかった時期。
そして、学校の様子やクラスの友達について段々わかり始めてきた時期。
詩織は明美の誘いに申し訳なさそうに首を振った。
「今週の日曜ねー、お母さんと買い物に行く約束したの。しかも昨日よ。ごめん、明美。」
「あー…そっかー。残念。」
明美はぎこちなく微笑んで、廊下の窓から空を見上げた。
やな天気…。
「今日の三者面談の前にお母さんに交渉してみるね。」
「いーよいーよ買い物しなよ。次遊ぶ時買った服ちゃんと着てきてね!」
明美は笑って詩織の背中をバンと叩いた。
三者面談の話を担任が持ち出したのは先週の頭だった。
教師と生徒とその親の三者で成績やら今後のことやら話し合うのだ。
親と言っても明美の母親は当の昔に亡くなっているので今は仕事ばかりの父親しかいない。
中学までは代わりに長兄がいろいろやってくれたが、高校からはそうもいかないだろうと思っていた。
早く独立して働きたい。
いちいち親に相談しなければ何もできないなんてもうウンザリだった。
大嫌いだ、あんな父親。
「次、河野さん。」
佐久間のサまで待っている時間が苦痛だった。
詩織はイだからすぐに終わって羨ましいな。
それに、廊下で待っているのは親と生徒の二人連ればかり。
一人で待っているのは不運なことに明美一人だった。
ちらちらと自分を気にしてくる視線が嫌だ。
見ないでよ。
そんなに珍しいことじゃないでしょ、母親がぐうたらで遅刻してくるだけなのかもしれないじゃない。
「明美ちゃんのとこのお母さん、遅いね。どうしたのかな?」
隣りに座った鈴木さん。
もう、やめてよ、ばか…
「うん、道に迷ったのかな。忙しいって言ってたから来ないかもね。」
来るはずのない母親が道に迷ったりするはずないじゃない。
胸が、痛い…
そんな時。
耳慣れた独特の歩き方で廊下を歩く人の足音が聞こえた。
空耳かと思ったが、明美は反射的にうつむいていた顔を上げた。
私服にフードつきのコートを羽織った細身の青年が明美に向かって爽やかな笑顔を向けた。
まさか。
来るわけない。
プリント渡さなかったもん。
「明美!よかった〜間に合ったね。」
青年は来客用のスリッパを歩きづらそうに引きずっていた。
明美が息を詰まらせて呆然と見つめていると、あと数歩のところで彼が足を滑らせた。
あ、と彼の体が崩れるその前に、明美はガタッと椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
「兄さんっ!」
駆け寄った明美に恭平が目を合わせる。
こけるかと思ったのは気のせいで軽く引きずっていた右足のスリッパが脱げかけただけだったようだ。
「どうした?ごめん、間に合ってないのもしかして。」
優しく問い掛けて来る恭平に、明美はきゅっと唇を噛んで黙り込んだ。
友達が、そしてその親たちが見てるわ。
見てるけど…
「ど、して…。」
「雨が降りそうだったろ。取りに戻ったら、予想外に時間がなくなって。ごめんな。」
「…大丈夫よ、次だもん…。」
聞きたかったのはそういうことじゃなくて。
明美は目頭がじわじわと熱くなって来るのを必死になって堪えた。
ガラリと教室の戸が開いて、中から親子が出て行った。
担任の先生が名簿を見ながら言う。
「次、佐久間さん。…と、お兄さんかな。入ってどうぞ。」
平然とした彼の態度に明美は我に返り、そっと兄の手を引いた。
「行こう兄さん。」
兄の一回り大きな手を握ると誰の目も気にならなくなった。
不思議。
面談はあっという間に終わった。
一人でいた時間はあんなに長かったのに、こんなに短くてちょっと物足りないとさえ思った。
帰り道、明美は改めて恭平の顔を見上げた。
見た感じそこら辺を歩いてる若い男の人と何も変わらないのに。
こんなにも愛しく思えるのはなぜだろう。
明美は、寒そうに肩を縮ませてコートに手を入れて前を向く恭平の腕にしがみついた。
「わっ!」
「にーさんっ!買い物して帰ろうよ。」
「え。夕飯遅くなるよ。」
「いいわよ。良ちゃんも聡ちゃんも待たせておけば。」
「うーん。あ、ばか重いよ。」
明美は恭平の腕にうんと体重をかけて、それからぎゅっとひっついた。
きっと恭平は不思議がって困った顔をしてるに違いない。
「ね〜ね〜買い物。じゃなかったらね、プリクラ撮ろッ。」
「プリクラッ?」
恭平が声を裏返して驚いた。
何が楽しくて兄妹で……という心境である。
しかし明美はとても嬉しそうに笑っていた。
「…。仕方ないな。1回だけな。」
「そうこなくっちゃ!明美、みんなに自慢するからかっこよく撮ろうね!」
「ばか、しなくていいって!」
今まで母親がいないことをなんとなく隠してきた明美だったが、今度話題に出たら打ち明けてみよう、と思った。
まずは、詩織にプリクラをあげようかな…♪
∵∴∵∴∵∴∵
(c)puyu. All Rights Reserved.