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└4:約束


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進は携帯電話を閉じた。
孝平おじさんが、出ない。

仕事中は普通、繋がらないから半ばわかっていたことだったが。

進はこの日、良平にくっついて彼の大学に来ていた。
今は授業を受けている良平を待っているところだった。
時間になるとゾロゾロと教室から学生が出てくる。
チャイムが鳴らないところが高校と違うな、と考えていたら良平が出てきた。
肩にショルダーバッグをかけて、手には透明のノートケースを抱えている。
進を見つけると、袖をまくった腕を振って駆け寄ってきた。
良平は派手な服装でもないし顔もとびきり格好良いわけでもないのだが、見る者を惹きつける何かがある。
実際、進は良平と共にいくつかの視線がくっついて来たのを感じていた。

「わりぃな、一時間半も待たせちゃって。この授業、出席重視でさ。」
爽やかに笑った良平自身はきっと気付いていないだろう。

「何の授業ですか?」
「流体力学。物理だよ物理。」
「物理!?はぁ〜…僕には無理ですね!」
「俺も無理だな!」
とまるで他人事のように笑う。そして、いつも杉野に頼りまくりなんだ、と付け加えた。
ちなみに杉野拓巳は学生時代から流体力学の授業など受けたことはない。良平が泣き付くので、教科書を読み、参考書を買って来て教えてやる。専属の家庭教師のようなものだった。

「杉野さんって、良平兄さんの彼氏ですか?」
「…、エ?」

良平は驚いて進を見た。
今、さらりと彼氏って言ったか…?
進は良平が絶句したので的外れなことを言ってしまったのかと思い、慌てて首を振った。
「あ、違いますよね。普通、彼女ですよね。彼女ですか?」
「いや…」
良平はなおも言い淀んでから、周りに目をやって進の腕を引っ張った。
授業が終わったばかりの廊下では、人通りが多過ぎる。

進は戸惑いながらもおとなしく後に従った。
やがて、使っていない教室に入った。

「す…杉野っていうのは男だけど。」
「じゃあ、やっぱり彼氏ですか?」
「そ、そうじゃなくて。付き合ってるってなんでわかった?俺一言も言ってねぇじゃん!」

それを聞くなり進は突然笑い出した。お腹まで抱えている。
良平は驚いて頬を染めた。

「な、何…」
「あははは!だって良平兄さん!」
「何!?」

「かわいい!!!」

進は笑うのをやめない。それどころか、そのまま良平の体ごとぎゅっと抱き締めた。
思考の止まっていた良平は現実に引き戻され、はっとして進を見た。
良平を抱き締めながら、まだ笑っている。

「だ…っ!やめろ!離れろ!!」
「あはははは!!」

ひとしきり笑い終わるまで進は良平を離さなかった。
現役水泳部というのは嘘ではないらしく、良平では叶わない腕力をしていた。
これで何か変なことでもしてきたら殴り飛ばして逃げてやる、と思っていたが、進はただ笑っているだけのようだ。
やがて、満足したのか笑いを止めた。
良平にしがみついたまま、言う。

「…良平兄さん。」
「あ?なに。離す気になったんなら早くどけ。」
「誰にも言わないって、約束してくれますか?」
「…何を。」

進は沈黙した。
笑い声が止まると、この教室はなんて静かなんだと思う。
廊下の向こうで学生の声が聞こえるが、それがなければ空間ごとどこかへ切り離されたようだった。

進は黙っていた。
なかなか続きを切り出さない。
良平が業を煮やして口を開く。
「おい、何。言えよ。」
「…やっぱりいいです。」
進が離れた。
その腕を今度は良平が掴む。
「途中でやめるな、気持ち悪い。」
「なんでもないです。」
「それがなんでもないってツラか?」

言われてはっとし、慌てて頬に手を添える。
どんな顔、してたんだろ……
進本人にはわからなかった。

「話してみろよ。…父さんの話だろ。」
「…。」
「嫁になるなんて。馬鹿な奴。」
「…。」
「ほんとのところはどうなんだよ。嘘もいつわりも、意味ないよ。ただの時間の無駄だ。だからお前の本当のところを言え。」

良平の目はまっすぐだった。
強く自信に溢れる眼光が、父親の孝平にそっくりだと思った。
血は争えない。

「何しに来た?」

進は唇を噛み締める。

「誰かの助けを必要として来たんだろう。俺、口は固いよ。兄貴にも明美にも、隠し事はいっぱいある。」
「でも…」

進は俯いた。
思い悩むように視線をウロウロさせて。
日に焼けた肌が薄暗い教室に溶けてしまいそうだった。
辛うじてつなぎ止めていたのは掴んだ腕の体温。

やがて進は顔を上げた。

「本当は、孝平おじさんに相談したいことがあったんです。」
「へぇ?」
「…何回か電話をかけたんですけど…いつも恭平兄さんが出て。つい、名前も名乗らずに切っちゃってました。」
「はは。」
良平は恭平のきょとんとした顔を思い浮かべた。無言電話が多いとか、言ってたようなないような。

「実は僕、困ったことになっちゃって。」
一旦言葉を切り、ごくりと唾を飲む。

「内緒ですよ…?」
「ああ。」
「笑わないでくださいよ?」
「うん。」
「良平兄さんが、男の人と付き合ってるから言うんですけど…」
「なんだよ…。必要なら俺の話もしてやろうか。」
「えっ。はい、ぜひ聞きたいです!」
「その前にお前の話だ。」
良平は肩からバッグを下ろして教室に並べてある机の上に置いた。
おもむろにイスを引いて座りこむ。

「お前も座れ。」

長居を決意したらしい。
良平の言葉に従って、進は彼のすぐ前の席に腰掛けた。

「誰にも言わないでくださいよ?」

この期に及んでまだ用心するのか。進にとってはだいぶ重要なことらしい。
良平は進をじっと見つめたままコクリと頷いた。

「約束する。」

信用させるように言った。


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