三矢の教えの逸話がごとく、『河井ずぼん先生に萌えを教える友の会』の三人は会長宅で定例の活動報告を行っていた。
五年前のデビュー以来エロ漫画業界に限らず別名義を用いて一般誌でもイラストレーターの仕事をこなす河井ずぼん。いつかエロ漫画業界を捨てて一般誌で名を馳せるのだろうと友の会一同一抹の寂しさを抱きつつ、それがずぼんの望みならばと涙を呑んで応援していた。しかしこのずぼんの仕事振りが良くなかった。
ずぼんの別名義仕事の中心である『QQQ』での仕事は不定期、ずぼんデビュー誌である『淫獄館』での掲載も最近は不定期になっていたのだった。
「もしやずぼんは我々が考えている以上に危機的状況に立たされているのでは……?」
掲載のない『淫獄館』を眺めながら会長がぽつりと呟いたのは数ヶ月前。
「まさか……、淫獄館デビューの中では順調なのでは?」
「一般紙でイラストとかやたら面白くない漫画とか描いているじゃないですか」
すると会長おもむろに友の会活動記録ノートを取り出すと、すっと該当箇所に指を置く。
「一般誌で活動を始めてから淫獄館での掲載率が鈍っている。ずぼんは淫獄館での立ち位置は悪くないはずだ。にもかかわらず、だ」
「一般仕事を優先させているだけではないか?」
「だとしたら俺はこんな疑問を提唱しない!」
「つまり……?」
「一般誌にずぼんの原稿が握りつぶされている可能性!」
「まさか!」
「恐らくずぼんは美大卒のサブカル人種だ……、淫獄館で描くのは本意でないのだろう。しかし! 憧れのオシャレ誌ではエロ出身ということで不遇を味わっているのではないか」
「しかしQQQにはエロ出身が何人もいるが……」
「我々の声が届いていないのかもしれない」
「声……」
「一般誌にアンケートを送ったことがあったか?」
会長の静かな声音に副会長、書記は共々息を詰まらせた。
「送って……ない」
「ずぼんもエロを捨てるのかという一抹の寂しさがあって……」
「もうそんなことを言っている段階ではないのかもしれない」
「はっ! ずぼんはよくあとがきにお肉が食べたいと書いていた……」
「恐らく食べれていないだろう」
六畳の部屋に寒々しい沈黙が下りた。ずぼんに裏切られたと思って裏切っていたのは我々ではないのか、と三者の瞳が通じ合う。
「食わせてやろう! 国産牛を! レアで食っても美味い肉を!」
がっしりと肩を組み合った深夜二時。『河井ずぼん先生に肉を食わせる友の会』のほんのり涙味のする発足であった。
以来、ずぼんが掲載されている雑誌にはそれぞれアンケート五枚以上のノルマを課し、掲載されてない雑誌、コミックスに挟まっているアンケートに気になっている作家は? 登場してほしい作家は? という項目には必ずずぼんの名を記した。名前を変え、筆跡を変え、筆記具を変え、それでもずぼんの名は楷書でしたためる。美大卒サブカル好きでドMボクっ娘ずぼんに肉を食べさせるために、という強い気持ちがノルマの過酷さを忘れさせた。
「今月は青年誌8、少年誌1、少女誌10にBL誌1か……」
「少女誌はまだしもBLまでとは裾野を広げすぎではないか?」
「そんなことはない……、妹の雑誌を見てピンときたのだ。サブカル好きでエロを描く女は恐らくBLも好きだと……」
「言わんとするところは分からなくもない。ならばBL方面へもう少し力を入れてみるか」
「少年誌は削っても良いんではないでしょうか」
「いや、なにが契機となるか分からん……少年誌も継続だ!」
三人目を見交し合って固く頷きあうと、それぞれ眼鏡を押し上げてずぼん宛のファンレターをしたためるのであった。
河井ずぼん女疑惑が出てからというもの各人のファンレターには萌えの過剰押し付けのほか、意外と考えている俺、君を理解してあげられる俺、君にとってメリットのある俺アピールが混ざるようになったのは紛れもない事実であった。三者三様他の友の会メンバーに対してはずぼんに対しクールで客観的な意見が言えるファンを気取りつつ内心ではずぼんに好かれたくて必死であった。いつかずぼんからメアド付きの返信が来るはず、と期待を込めて、けれどそんな素振りは見せず、「今回のネタやばいぜ!」などと言ってみせるのであった。
「だけど会長」
「なんだ斉藤、言ってみろ」
「我々のずぼん検証でずぼんはドMボク女で誰とでも寝る股のゆるい女であとえーっと……」
「美大卒サブカル好きで女である自分に違和感を覚えつつ肉体の快楽に逆らえない十九歳」
「ああ、はい。そういう女だと結論付けましたよね」
「それがどうした」
「で、緊縛アイスプレイの回以降恐らく特定の男と付き合っているんじゃないか、と。もしやずぼん、その男に養われているんではないでしょうか……」
「……」
書記斉藤の言葉に会長、副会長共々に息を呑んだ。作品が出るたびに行ってきたずぼん検証、プロファイリングの結果に期待を募らせ胸高鳴らせてきたそれは、肝心のところから目を逸らし続けていた。ずぼんの男。そんなものが実在していては自分たちの、いや自分の、ずぼんと付き合いたい妄想が根底から覆されてしまうからだ。
「……相手も……だ……」
ペンを持つ手を震わせて副会長山田は静かに言った。
「相手も女だ! 付き合ってる男? 笑わせるな! 相手はお姉様です!! ハードS女で日々ずぼんの身体を開発しているんです!!」
「落ち着くんだ山田!」
「前髪を切り揃えボンテージしか着用しない、ペニバンの似合うお姉様なんです!!」
二人揃って百合百合しているんです! バシンと机を叩く。言い切った山田の呼吸は千々に乱れていた。そんな副会長の鬼気迫る様子に斉藤はおずおずと手を挙げる。
「すみませんトイレ借ります」
「行ってこい斉藤! しかし決してずぼんをネタに使うな! 抜く時は作品で! 分かったか!」
「流石っす会長!」
斉藤が前屈みで部屋を出て行くとしんとした静寂が訪れた。二人の荒んだ息遣いが段々と治まり、会長はぽつりと呟いた。
「しかしずぼんがハードS女に飼われているとなると大変なことになるぞ……」
「ええ……とんでもないことに……」
もしずぼんと付き合ったら、自分は身動きの取れない状態に緊縛されてお姉様のずぼんに対するお仕置きを見せ付けられるのか。それとも二人がかりでエロエロいことをされてしまうのか。書記が席を立った手前言い出さないが、二人とも股間は張り裂けんばかりに期待を表していたのであった。
「目標は、サイン会」
二人は目を見合わせ、固く誓い合うのであった。