メロドラマティック



 じりじりと夏が深まっていく。照りつける太陽の光線を頭上に感じながら、藤原は地べたに這いつくばる男をつまらなそうに見詰めた。
 藤原の仕事は暴力がすべてだった。若いうちは頭を使うような仕事は任されない。ほとんどが人を殴り、恐怖を植え付け服従させるものだった。
 小柄な体格ではあったが喧嘩慣れした藤原はメッポウ強かった。藤原が唯一人に誇れる事は暴力のほかなかった。自分は人を力でねじ伏せるのに向いていると思うし、好きでもあった。
(あの男に出会うまでは……)
 藤原は自分がサディストなのだと思っていた。人を傷つけるのを厭わず、むしろ他人の苦痛に下肢が熱くなったものだ。
 それが、今ではどうだ。
「おい、そいつ事務所に連れてけ」
 自分より若い舎弟に言いつけ、藤原はその場から去ろうとする。
「アニキはどこへ行くんで?」
「ちょっとな!」
 凄みを利かせそれ以上の追求を拒む。雪駄をチャラチャラいわせながら藤原は舎弟たちと別れた。


 あの忌まわしい日以来、藤原の身体は変わってしまった。呪いのようなあの言葉が、まさに藤原を苦しめていた。
 公衆便所の個室の中で、藤原は熱い息を吐いていた。
 壁に背を預け、不愉快な異臭のなか己を慰める。
 スラックスの前をくつろげ取り出した性器を荒々しく扱き、早く熱を解放しようと焦れる。
「…う……っはぁ!」
 ケモノのような息を吐き右手を汚しても、藤原は満たされることがなかった。
 あの日、樋口に弄ばれて以来、藤原は性的な満足を得られなくなっていた。馴染みのソープ嬢を相手にしていても一人で慰めていても、あの日感じた以上の快楽は訪れなかった。

「僕じゃなきゃ満足できなくなってるよ」

 そう言った樋口のふてぶてしい笑い顔を思い出し藤原は低く「畜生」と呟いた。
 ポケットの中から携帯電話の着信音が鳴る。ディスプレイには兄貴分の名前。
「悪いんだが、また先生の所へ行ってくれないか」
「……なんですって?」
「弁護士先生の所だ。また連絡がつかねぇんだ」
「いや…俺は……」
 どう断ろうか考えていると、「オマエしかあの勝手な先生を連れてこれないんだ」と神妙な声が返ってきた。自分の兄貴分にあたる人にそこまで言われて断れるはずがなかった。
「今から向かいます」

 閑静な住宅街に馴染まぬコワモテのヤクザがひとり。
 眉間に皺を寄せ睨みつける藤原を、樋口はにこにこと笑いながら迎えた。
「遅かったね」
「うるせぇ! なんで俺が迎えに来なきゃなんねぇんだ!」
 怒鳴り声に樋口は肩を竦めて見せるが、それがどことなく楽しげで藤原の怒りを煽った。
「ふざけんなっ!……なんだって、俺は」
 藤原の頭の中は乱れていた。嫌いなはずの樋口の笑う顔に欲情している自分を見出したのだ。
「どうしたの?」
 樋口の声に、自分の中で果てた時の息遣いを思い出してしまう。
 そんなはずはないと打ち消しても、樋口の体温を求めている己がいた。
「……っ!」
 藤原はこんがらがっていく思考を手放して、強引に樋口の唇に己の唇を付けた。
 いきなりのことで歯がぶつかる。呆気に取られる樋口の顔を見て、藤原は青ざめた。
 (俺は何をしているんだ!)
 見境ない自分のはしたなさに羞恥し、余裕を取り戻し微笑む樋口にまた怒りが湧いてきた。
「帰る!」
 そう宣言して踵を返すが、藤原の腕は樋口に捕らえられていた。
「帰すと思うかい?」
 樋口の目は獲物を捕らえ今まさに食そうとする肉食獣のような獰猛な色気を放っていた。その目に、逃れる事もままならず見入ってしまう。このままではいけないと思いながら、身体を引き寄せる力に逆らえないでいる。
 藤原は樋口の腕の中に収められ、この妙な雰囲気に困惑していた。
「ゆっくりしていきなよ」
 頭上から降る声に惑いながら、藤原は頷かず樋口の胸に額を押し付けた。

「この間のメロン、おいしかったよ」
 ノンビリとした口調でいう樋口に、ああそうと気のない返事をする。二人掛けのソファで身を硬くする藤原はとても穏やかにお話できる気分ではない。しかし樋口はそんな焦れる藤原の様子を愛らしく思いだらだらとおしゃべりを続けている。
「……おい」
 意を決したように樋口の目を見据えた藤原に、樋口は「なに?」と余裕を見せる。
「……なんでもねぇよ」
 ぶっきらぼうに言ってそっぽを向いた顎を取って樋口は自分の方へ困惑する顔を向けさせる。
「強引にしてほしいの?」
「なっ……!」
 藤原の眉間に寄せた皺へキスし、樋口は藤原のシャツの中へ手を差し込んだ。
 藤原は身体を捩って抵抗するが、弱々しいそれはただ樋口の欲情を誘うだけであった。
 首筋に埋められた頭。肌を撫でる指に震え、藤原は甘い息を漏らす。
 煽るように頼りない動きで全身を這う指に焦れ、藤原は声を上げる。
「……っ! こんなの……!」
「いや?」
「…ッるせぇ」
 強がる藤原に樋口は微笑み身体を離した。
「おいで」
 優しく言われるままに寝室へ連れられる。
(俺は何をやっているんだ……)
 思いつつも、樋口の言うなりに従ってしまう。樋口が優しく取る手は、さっきまで人を殴っていたのだ。口付ける口はさっきまで暴言を吐いていた。それなのに――。
「ふっ…ぁ」
 零す息は甘く濡れて、自分で発した声であるのに藤原を追い詰めていく。
 柔らかなベッドに二人分の体重を預け、樋口は藤原の趣味の悪いシャツを脱がしていく。身体を撫でられ呼吸を乱しながら、藤原も樋口のシャツのボタンに手をかける。
「……素直だね」
 驚きつつ樋口は喜色を浮かべ藤原の目の奥を覗く。その目を避けるように俯き「うるせぇ」と言った藤原の声は艶かしい色を帯びていた。
 従順な藤原の様子に満足して樋口は可愛がる手を早くする。以前とは違うマトモな手順で追い上げられて、藤原も素直に快楽を受け入れることができた。
 恋人のように互いの身体を愛し合う。
 二つの呼吸が一つになるような錯覚に溺れ、藤原は樋口に取り縋る。
 樋口と出会って知った器官の快楽に理性をなくし声を上げる。「早く」と声を震わせた藤原に口付けて、樋口はゆるく解れた入口に身を沈めていく。
「あぁ…! んっ…あああっ」
 身体を押し開いていく感覚に悶え藤原は樋口にしがみついた。
 大丈夫? と耳元に囁かれ藤原は優しい吐息を返した。


 シャワーを浴びて戻った藤原は壁掛け時計を見て髪を拭く手を止めた。
「やばい……」
「なに?」
 樋口は藤原を膝の間に座らせて髪を拭いてやる。悠長な様子に藤原は焦れて樋口の膝を叩く。
「電話っ! オヤジがまた……」
「ああ…、大丈夫。さっきしたから」
 ああそう……と落ち着いた藤原は俯いて柔らかいタオルに髪の毛をメチャクチャにされる。黙ってはいても、内心では気になることばかりなのである。
「まったく……、君の所の親分さんにも困ったものだね」
 呟いた樋口の顔を見上げ「どういうこと?」と訊ねる藤原の顔は子供のようにあどけなかった。先ほどまでの欲情に濡れる瞳との差に樋口はよろめく。
「……ないしょ」
「なんだそれ」
「守秘義務ー」
 ワケわかんね、と吐き捨てた藤原の唇を塞いで樋口はこれ以上の追及を逃れた。




(05.4.24)
置場