オートマティック



 組長相手の時間外労働から解放されて、樋口が一番に考えたことは一つだった。今まで会いたいと思えばある程度こちらの意に沿った。しかし、これからは呼び出す口実がないのだ。藤原の揺らめく瞳を思い出し、樋口は溜息を吐く。自分から進んで訪ねてくるような相手ではない。
 嫌われ憎まれている訳ではないのだろうと思う。だからといって自ら懐へ飛び込んでくるとも思えない。樋口は事務所のデスクに頬杖ついてアレコレ巡らす姦計に空しくなって伸びをした。樋口がどれだけ考えようと、すべては藤原次第なのだ。

 樋口が帰路に着き玄関前でポケットに手を突っ込んで鍵を探っていると、隣住人の老婆が「ちょっとちょっと」と声を潜めて話しかけてきた。愛想よく「こんばんはー」なんて返していると、老婆は口の横に手を添えて「気をつけて下さいよ」と言う。
「どうかしましたか?」
 樋口が問うと、老婆はいえね、と前置きして答える。
「ここ最近、柄の悪い男が樋口さんのお宅の周りをうろついてるから」
「……趣味の悪いシャツを着てる……?」
「そうですそうです。ヤクザみたいに柄の悪い男でした」
 老婆の恐怖するような顔に苦笑して、大丈夫ですよと答える。
「彼なら僕の友人です」
 あらっ! と老婆は声を上げ、決まり悪そうに笑うと「なら良いんですけど」と品の良い声で取り繕い自宅へ帰っていった。
 苦笑しつつ樋口は妙に気が逸るのを感じた。
 高槻から聞いた番号へ電話をかける。長い長い呼び出し音にも負けないくらい、樋口には揺るがない確信があった。今、藤原はディスプレイを眺め迷っている。藤原も分かっているのだ。電話に出たら、また樋口に捕まるということが。
「…………」
 呼び出し音が止んで、無言が返ってくる。藤原君、と樋口が呼べば何? と掠れた声が返ってきた。
「久し振り」
「おう」
「良かったら夕飯でもどう?」
「……おう」
 まともな言葉は一つとして返ってこなかったが、藤原はこれから樋口邸へ向かってくれるらしい。さて、ここからが勝負だと樋口は頭を働かす。
 今までやってきたように無理やり肉体の快楽で屈服させるか。藤原は綿雲よりも流されやすい。他人に支配されることを心の底で望んでいるような人間だ。そして樋口は他人の心の中へ入り込むことを得意としていた。
 恐らく樋口が望めば、藤原を手中に収めることは困難ではないだろう。けれど、強いるようなことはしたくないと樋口は思う。何故だか甘やかしたい気がするのだった。

 チャイムが鳴る。妙に急く気持ちに呆れ、樋口は深呼吸して気を落ち着かせる。年甲斐もなくウキウキしたりして、樋口は照れくさいような気持ちになった。
 扉を開けると俯いた藤原の頭頂部が目に入った。いらっしゃいと言っても藤原は答えなかった。俯いたまま、部屋へ上がってくる。
「顔見せて」
 樋口は藤原の顔を両手で挟み上向かせる。優しくしたつもりだったが、藤原は困ったような苦しそうな顔をしていた。目に浮かんだ迷いが樋口をも迷わせる。己の欲望が藤原を追い詰めるのだろうか。
 逃げれば良いと思う。樋口は藤原に口付ける。拒まれたら、追うのを止めようと思いながら。
 唇を舐め口内を暴く。されるままになっていた藤原の腕が首に巻きついてくる。樋口の口付けに応え息を乱す。
 シャツの中へ手を入れ素肌を撫でる。ベルトを外すと、藤原は拒むように樋口の手を押さえた。
「……いや?」
「じゃねぇけど! ココでヤんのかよ?!」
「それも良いかなぁ」
「ふざけんな」
 藤原の気勢に苦笑しつつ、樋口は満面の笑みを浮かべ寝室へ手を引いていく。嫌がる素振りに愛しさが募り、すぐにでも抱きしめたい気がした。


 水音を立て樋口は藤原の昂りへ舌を這わす。根元から先端にかけて満遍なく愛していけば、藤原はきつく拳を握り快感を遣り過ごそうとする。内股に吸い付くと藤原は身体を震わせ息を吐いた。樋口は藤原の陰嚢をやわやわと刺激し亀頭部分に吸い付く。
「あっ! ああ、も…出るっ」
 藤原の声を聞き樋口は昂りから口を離し根元を擦ってやる。勢いよく放たれた精が散る。
「溜まってた?」
「るせぇ」
 樋口は笑い、藤原の頬に口付ける。藤原は樋口の首に巻きつき「俺もやろうか?」とぼそぼそした声で言う。
「……その、口で」
 樋口が驚いて藤原を覗き込めば、赤く染まった決まり悪そうな顔があった。
「可愛いこと言ってくれるねぇ」
 樋口の笑みに気を悪くしたのか「ウソウソ!」と前言撤回する。相変わらず耳まで赤く染めている。樋口は藤原の耳に唇を寄せ、「無理しなくて良いよ」と囁く。
「無理じゃねぇよ」
 拗ねた顔も可愛いと思う自分自身に呆れながら、樋口は藤原の唇に指を這わす。ふいに不安げに揺れる眼差しが現れた。
「口開けて」
 薄く開かれた藤原の唇に指先を差し込む。温かく柔らかい舌が迷いながら指先に絡み付いてくる。水音を立てながら指を吸う様はどこか口淫の仕草に似ていた。藤原もそれを感じているのか再度昂り始めている。
「ゆっくり仕込んであげるよ」
 唾液に濡れた樋口の指が藤原の秘孔を暴く。押し込まれる感覚に藤原は苦しげな息を吐いた。いつまで経っても身体を開かれる感覚に馴染まない藤原は眉根を寄せ奥歯を噛み締める。
「力抜いて……」
「できねぇ…っだよ!」
 苦笑しつつ樋口はそっと藤原の頬に口付ける。首筋から鎖骨のくぼみ、胸元へとキスをしていく。若いボクサーのように引き締まった肉体は段々と弛緩していく。樋口は埋めたままの指でそっと中を探った。
「んっ…、あぁっ」
 藤原の中が緩んできたのを見計らって樋口は指を増やす。昂奮しきった藤原のものへ口付け、滴る先走りを舌で掬う。馴染まない違和感と直接の刺激に藤原は仰け反り息を詰めた。
「も…、いいから……」
「限界?」
 藤原は目に涙を浮かべヤケクソに頷く。今更、自尊心などいう気はなかったが、それでも自らねだることは藤原に大きな動揺を与える。それを知っているのか樋口は藤原の耳元に唇を寄せ「僕も限界」と囁いた。
 柔らかく解れた所へ宛がい深く沈めていく。藤原は苦しげに息を吐き、樋口に縋りついた。


 樋口がシャワーを浴びて寝室へ戻ってくると、藤原はベッドに気だるく寝そべっていた。
「疲れた?」
「おー…、しんどいし腹減ったし。……何が夕飯でも? だよ」
「ごちそうさま」
 藤原はあからさまに舌打ちし、「いらねぇよ、そういうの」と少し笑った。
「何か食べたいものある?」
「なんでもいい」
 グッタリと身体を伸ばす藤原を寝かせたまま樋口は寝室を出ようとする。扉を開け、わざとらしく「あ」と声を上げると振り向いた。
「後で合鍵あげるから、僕がいない時は入ってきちゃって良いからね」
「なっ…!」
「今度近所のおばあさんを見かけたら挨拶しとくんだよ」
 真っ赤になって飛び起きた藤原の反撃を予想して樋口はさっさと部屋を出る。扉の向こうから微かに「いらねぇよ! バカヤロー」という声が聞こえて樋口は笑った。



(05.5.26)
置場