地獄の季節



 目の前に地獄がある。
 弁護士の足元にうずくまる年嵩の全裸の男……正確には目隠しと、荒縄で身体を拘束された男。背中に背負った昇り竜がその男の正体を紛れもないものにする。
 樋口は男に靴を舐めさせながら煙草を燻らせている。言葉を発しようとする高槻に気付き、そっと人差し指を唇にあてる。穏やかに笑う顔が、高槻には恐ろしかった。
「さあ、新しいご主人様が見ているよ。気に入ってもらえるようにしっかりね」
 樋口は器用に足を動かし、爪先で男の顎を持ち上げる。男はよだれを零し、言葉にならない呻きを発する。普段の威厳に溢れた男の姿を思い、高槻は胸がむかつくような気持ちになった。
 高槻の様子に樋口は笑い、灰皿に煙草を押し付けた。つまらなそうな目をして手の中に隠れる何かを触る。すると高い電動音の後、男の悲鳴が部屋中に響いた。高槻が走り寄ろうとするのを制し、樋口は男の頬を優しく撫でる。
「いい子にしていなさい」
 それだけ言って、高槻を促し部屋を出ていった。一瞬、男をこのままにして良いのか悩んだ高槻は男の腹の下に昂るものを認め、奥歯を噛み締め樋口の後を追った。

「一体どういうことなんですか」
 隣の部屋で声を上げる男を気にして小声で問う。樋口は「見たままだよ」と笑った。
「君んとこの親分さんに呼び出されてる暇ないからさ、僕。代わってもらおうと思って」
 よろしくね、と言って笑う。人の好さそうな弁護士が悪魔に見えた。
「ふざけるのも大概にして下さい。一体、オヤジは……」
「いじめられんのが好きみたいだよ」
「そんな……」
「適任だと思うんだけどね。君が駄目なら他をあたるし」
 答えを待たず、樋口は部屋へ戻っていく。
 他にあたる……他……。自分の組の組長があんな醜態を晒しているなんて他所に知れたらどうする。面目丸つぶれじゃないか。
 高槻は眉を顰め、地獄が待つ部屋へ戻った。

「ああぁっ…! おっ…お願いします……ご主人さま」
 肩書きも忘れたように男は声を震わす。高槻は不愉快に思いながら、言い知れぬ熱を感じていた。いつも自分勝手で横柄な男が、己よりも若い男に甘えた声で強請っている。あの帝王のような男が……。
「ほら、咥えさせて欲しいんだって」
 樋口に目配せされ、高槻は戸惑う。嫌悪感は確かにあった。しかし、その一方で男を征服したいような気もあった。
 ……俺の正体を知ったらこの人はどんな顔をするんだ。
 思いながら、高槻はスラックスをくつろげ、己のものを男の口元へ持っていく。鼻息にくすぐられ倒錯感に支配される。男は目隠しをされた上に荒縄で腕の自由をも奪われていたので、探るように舌と唇を動かしている。荒い息が犬のようだ。
 男を見下ろし、高槻は下肢が熱くなっていった。横目で樋口を見遣ると口元に皮肉のような笑みを浮かべているだけである。
 腰を押し付けると男は鼻を鳴らして高槻のものへむしゃぶりついてくる。遣りづらそうなので、高槻は男の頭を押さえ腰を動かした。
 喉を犯され男は歓喜に濡れたような息をする。小さくなっていた電動音がまた高まり、男の身体がビクリと震えた。歯を立てられなかったことに、高槻は男の慣れを感じた。樋口はリモコンをいじりながら笑っている。
「目隠し外してあげたら?」
 面白がって言う樋口に、高槻も賛同した。高槻を認めて男は一体どんな顔をするのか、考えるだけで高槻は欲情する。
 口で奉仕させたまま目隠しを外してやると、男は上目で高槻を窺った。驚いて見開かれる目――。
 高槻は激しく喉に突きたてた。男は苦しげに眉を顰めるが、決して歯を立てない。
「……知りませんでしたよ、オヤジにそんな趣味があったなんて」
 唇目掛けて放たれて、男はうっとりとした悲鳴を漏らす。唇を舐め、男は高槻のものをも舌で清め始めた。自分の言葉を聴いてないような男に、高槻は苛立った。
 髪を掴み顔を上げると、男の色欲に濡れる瞳に出会う。失望のほかに言いようのない劣情に高槻は惑った。
 樋口の方を見遣ると、彼はもう帰り支度を済ませ部屋を出ようとする。目が合うと樋口は思い出した、という顔をして「ああ」と声を発する。
「それ、さっきからイかせてないから」
 横目でちらりと男を見て、すぐに高槻に笑いかける。見遣ると、男の昂りは根元を縛られ、赤黒く怒張し先からたらたら雫をこぼしている。
  じゃあね、と言って部屋を出て行く樋口の背中の乱れのないことに高槻は心底恐ろしさを感じた。
(こんな男に……オヤジはどれだけ仕込まれたんだ……)

 込み上げてくる感情は高槻の胸を乱しながら名付けを拒む。正体の知れない熱が衝動を呼ぶ。
 男の身体を締め付ける荒縄を掴んで床に蹲らせ、尻を高くあげさせる。
 緩やかに振動するローターを抜いて指を突き立てると、緩んだそこは二本三本と高槻の指を咥えていった。
「ああっ…お願いします…ま、前をっ…!」
「前を?」
 内側を擦りながら前を撫でてやると、男は身体を震わせ悲鳴を上げた。しばらくは言葉にならぬ悲鳴を上げていただけだったが、よほど苦しいらしく喘ぎ喘ぎ高槻に請うた。
「んっ…ねがいします…ああッ! いっ…かせて、下さい」
 床に頬を擦り付けて喘ぐ男の全身は赤く染まり、背中の昇り竜が際立って見える。高槻は男の媚態に一層いじめたいような気持ちになった。
「いかせてやるよ」
 薄っすら笑みを浮かべながら、高槻は男の中へ己のものを埋めていく。男は悲鳴を上げながら芋虫のようにのたうった。挿入自体はあまり慣れていないようだった。
 身を埋めながら男の戒めを解いてやり、どんなものかとそれには触れず腰を動かしていく。男は呻き、切羽詰った声で放出を請う。
(ああ、やっぱり……)
 男は内部からの刺激だけではまだ達するには至らないのだ。それならそうなるまでに乱してやろう。高槻は締め付けに眩みながら思う。
 縛られみだらに身をくねらせる竜を指でなぞり、高槻は満足気に笑う。

「竜が捕まってらぁ!」



 バスローブ姿で煙草をやる男は、もう普段の己の姿を取り戻していた。
 きつい調子で名を呼ばれ、高槻は姿勢を正す。不思議と恐怖心はなかった。頭の中に、貫かれて達した男の高い声が再生される。
「今日のことは忘れろ、いいな」
 威厳溢れる男の声に、高槻はくっと笑った。
「弁護士先生に見限られて、一体他のだれに醜態を晒そうって言うんで?」
 沈黙した男の頬に触れ、目の奥を覗く。そうだ、支配してしまえばいい。男が望むままを演じられるように。高槻の口元に浮かぶ笑みに、男は自制を失っていく。
「俺はアンタの言う通りにする。自分で決めればいい」
 突き放したような言い方でされた命令に男は迷い、高槻の爪先に口付けることで答えを返した。



(05.5.2)
置場