終わっていると仰いますが


 始まってもいないぜ、俺の人生。
 消費者金融で二十万。働いてないのに二十万。返済期限はたしか先月。実際は先々月。一日に数度携帯が振動するが目視による確認を経てスルー。自転車漕いでどうにかこうにか遣り繰りしてきたもののそもそも借金で踏んでたペダルだ。いつか止まると分かっていたはずだ。しかし二十万。どうにも捻出できぬ。切迫しておる。勤勉実直の父親から首を括るように宣告されて三年。どうにか生き延びたものの命が惜しい。三年の間に失った友人の数を指折り数える。切迫しておる。他に頼れる消費者金融はどこかあったか。なかったか。ヤミしかないのか。そもそも無理か。腎臓一つ担保になるのか。信用がないか。死ぬしかないのか。死にたくないのだ。
「あ」
 忘れていたわけではない。俺の知っている人間で一番頭が良い男。いけ好かない男だが、最早頼れるのは奴ばかりとなった。親指の赴くまま携帯片手に怪しげな人脈持ちの男の番号を探す。片桐、片桐。以前電話したのはやっぱり三年前。今ほど金に逼迫しておらず、楽で割りのいいバイトを紹介してもらった。なんだかよく分からないが治験という人間ハツカネズミの仕事は非常に俺の性にあっていた。なにせ寝転がっているだけで金がもらえるのだ。無能怠惰を自覚しておる俺にうってつけの仕事だった。
 常識も倫理観も恐らく恐怖だって金次第でどうとでもなる。金で買えないものもある、と素敵なことを言う者もあるが、そんなものはないと俺は言える。金があればアホだって賢い大学へ通える。国立大学へ通うご子息ご令嬢のブランドバッグ。不細工だって結婚できる。セックスできる。外車に乗って広い家に住める。犬とか飼える。大型犬。ぺディグリーチャムとか食わせたりする。半端ねぇ。ペディグリーチャムという響きが最早セレブ。セレブの犬の方が俺より美味いもん食ってる絶対。俺も食いたい。

「あ、どうもお久し振りです。……いやー久し振りにどうですか、一杯……ハハ、違いますよそんな。ええ、ええ、いや、ちょっと仕事を回して欲しいなーなんて……ええ、急ぎなんで片桐さんの人脈に頼れないかなー……なんて、ええ、思いまして……稼げたら稼げるだけ良いんですが、……はい! なんでも出来ます!」

 翌日ファミレスのエアコン直下の座席で対峙した片桐は糊のきいたワイシャツ姿。金を持ってる社会人の風格である。そしてその隣にタンクトップの髭のおじさん。多分、その筋の人間ではなかろうが、他の筋のにおいがする。
「単刀直入に言うとAVなんだけど」
「お安い御用です! 顔出しも大丈夫です!」
「男同士のビデオだよ? あなた大丈夫?」
 髭のおじさんの心遣い。しかしおじさんの風体からある程度予想できたことだ。
「うんこ食べる以外だったらなんでもします! やる気あります!」
「……そんな金に困ってんの?」
「崖っぷちです! すごくお金ほしいです!」
 眼前の両者共に苦笑い。これが金を持っている者の余裕か。
「まぁ……じゃあ性病検査の結果出てからだね。……前払いしたらあなた逃げそうね」
「そんなとんでもない! 信じてください!」
 髭ダンディーの疑惑の目。疑われるのは慣れている。信用を裏切るのも慣れている。いくら貰えるのか分からぬが、いくらか貰えたらばっくれてしまいそうだ。
「撮影一週間後ですよね? 僕のとこで預かりますよ」
「金を? ちょっと……急を要する返済が一つあるんでそれはちょっと……」
「いや、身柄を。……ていうかどんだけ借金あるの?」
「把握できないくらい。とりあえず目先の二十万だけはなんとかしたい……って、感じ、でー……す」
「片桐くん、ダメだこの子なんとかしないと」
「とりあえず今日その二十万返済させますよ」

 そんなこんなで決定されたビデオ出演。そして目前で水泡に帰す二十万。
「利息分、俺に借金だからな」
 舌打ちしつつ片桐が返済を終え戻ってくる。
「はい! もちろんです!」
 俺の二十万よ……。財布の中に三十八円。どうしろというのだ。
 片桐宅へ向かう間、電車賃からなにからなにまで片桐に恵んでもらった。
「どうせ何もすることないんだから家のことくらいしろよ」
 独身者のくせに住む3LDK。妬ましくてならない。ヘラヘラ笑ってもちろんです! と言ってみるも別にする気ない。
「とりあえず一週間オナニー禁止だから」
「朝立ちした場合はどうすればいいですか!」
「萎えるまで放置してください」
「家の外だったらやってもいいですか!」
「家の外とか中とか関係なくて一週間精子を出すなってことです。ていうか外には出しません」
「夢精したらどうしたらいいですか!」
「後悔してください。ていうかいい歳して夢精とかしないでください」
「地獄ハウスKATAGIRI!」
「うるせーよ。精子飛ばないAVにどんだけ価値があるんだよAVなめんな」
 つまりそういう理屈で一週間の精子排出作業の禁止が言い渡されたのであった。とはいえ抜け道はいくらでもあるように感じられる。抑圧されると余計に解放したくなるのは人間の常で普段の生活上それほど熱心にパッションの解放に至らない禁欲的な俺が今無性にオナニーに義務を感じている。
「隙をみつけてやってやろうって顔だな」
「とんでもない!」
「稼ぎたいんだろう?」
「はい! 仰るとおり!」
 そうして地獄。六日目にして若干の甘勃起に至る俺の愚息を参考のためと見せられたゲイビデオを以て静める。片桐の温情かどう見ても俺の親父と同い年くらいのオッサンがゴリゴリに犯されている様は不快というより涙を誘う。ちゃんと生きなきゃ俺もダメ。頑張らないと。頑張って生きないと。画面の中で呻いてるオッサンは俺のバッドエンドその一という感じがする。妻子はあるだろうか。恐らくないだろうな。自分の息子ほど歳の離れた男のちんこしゃぶってはたかれて、ケツ犯されて泣いちゃってるのに頑張って。偉いな自殺もせずに生きるため頑張っている。
「参考になったかしら?」
「ええ、すっごい勇気もらえました」
「頑張ろうね」
「頑張ります!」
「とりあえず明日二本撮るから」
「とりあえず……っていうと最終的には何本撮るんですか?」
「出来次第だからなんとも言えないけど、二十万って金の重みを実感してもらわんと」

 そういうわけで。どういうわけだかカメラに向かって自己紹介。
「初めてオナニーしたのはぁー小五のときでぇー」
「初体験っすか? えー恥ずかしいなぁ……高三のときっすねー」
「彼女? 今っすか? いないっす」
 そういうわけで。どういうわけだかへへへと笑いつつ円満にインタビューが進んでいく。じゃ、オナニーしてみようか。そんな気楽さで始まるオナニーショウ。片桐を含め総勢四人の環視の下パンツを脱いで始める。これは無理かもしんない。ものすごい萎える。いや、オナ禁の成果。すごいぞ人間の欲求は。おっさん四人に見られてても全然平気。全然勃起。男ってケダモノ! って本当にそうなんだ。男なのにはじめて実感した。理性など貯めに貯めた精子の前では塵と同じ。いける!
「いいねーもっと脚開こうか」
 うるせぇ。うるせぇバカ。やめろ。萎える。ダメだ。二十万。おっぱい。おっぱいとか好きだから俺。風俗だって好きだから。だから頑張れる。だから頑張っていこうって思える。俺は金に欲情できる男。脚だって開く。なんだって見せる。
「はっ……うぅ」
 ……いった。「はうぅ」って言いながらいった。萌えキャラか? 俺は。いくらでも萌えるがいい。そして俺に金を払うがいい。オナニー披露で二万くらいか。そんなにねーか。いや、萌えキャラ成分で二万五千円くらいか。そんなにねーよ。仮に二万稼いだとして後十八万か。遠いな。
 なんだかどうでもよくなってきた。精子を出してしまったからか。ものすごくめんどくせぇ。帰りてぇ。借金とかもうどうでもいいじゃないか。踏み倒しちゃおうよ。逃げちゃおうよ。二十万分の淫売を演じてその後どうする。なにも考えてないじゃないか。四角四面の親父の顔が浮かぶ。生きていても恥を晒すだけだと言った。三年前だ。今まさに晒しておる。親父には申し訳ないことをした。お袋は泣くかもしらん。ビール飲みたい。ヒモになりたい。
 ケツ穴を弄られている間、俺の奥歯はとても優秀な働きをした。苦痛に耐えるうえで大部分を奥歯の噛み合わせに頼りきりだった。泣いた。ゴーグルをしたおっさんにケツを弄ばれている現実に泣いた。思っていたより痛くもない。受け入れてしまっている。なにも特別なことがない。俺の人生のようだ。
 アナル専用玩具を用いて拡張が行われる。生ちんぽも挿入されるのだろう。流れのままにすべて終わるのを待とう。平気平気。今更プライドなんかない。目を瞑っていればいずれすべて終わる。
「気持ちいいの?」
「うん、いいよー」
 知るかバカ。さっさと挿入しろバカ。だりぃ。帰りたい。ビール飲みたい。
 ギッ、とスプリングを鳴らし誰かがベッドへ上がる気配がする。マジかよ。初ホモセックスで3Pかよ。ご先祖さまに顔向けできんな。目を開ける。
「おっ……!」
 おいっ! もしくはおまえかっ! という言葉をすんでで飲み込んだ。新規参入者はゴーグルをつけた片桐だった。聞いてない。聞いてないというか、男優だったのか片桐。
「しゃぶって」
 マジか。マジなのか片桐。ぴっちりしたボクサーパンツから取り出している男根を。手際よく扱いて体を成す。亀頭の先を唇に擦りつけてくる。やるしかないのか、片桐。
 舌を出す。ちろちろと先のほうだけ舐めてみる。ダメだろうな、これじゃあ。しゃぶってないもんな。咥えるのか。咥えるのか。そうか。咥えようか。勇気を!
「んぐっ、んぅ……」
 口を開けた瞬間一気にねじ込まれた。片桐くんには僕のセンシティブなハートとか分かんないのかなぁ。失敬だなぁ。俺も知らんけど。ガンガンピストンしてくる。死ね。陰毛の中に鼻先が埋まる。これはわりと死にたいかもしんない。
「んっ、んっ、んぁ……、んむ」
 知らないおじさんのちんぽならまだ良かった。知ってる片桐のちんぽはダメだ。きつい。仕事と割り切れない。プライドが邪魔をする。憎悪。苦労を知らない片桐が憎かった。妬んでいた。見縊っていた。所詮金だけの男だ。ていうか長ぇよ。
「んんっ! まって、うむっ、ん」
 アナルの皺を広げるように熱い質量が押し付けられている。挿入か。ついに挿入されるのか。口を犯されながらケツも犯されるのか。どんなAVだよ。AVなのかこれは。そうか。それなら仕方がない。愛がないね。
「ふっ、……う、うぅ……」
 入ってくる。熱い。きつい。入ってくる。入っちゃうんだ。いまいくら分稼いだのかな。あとどれくらいで二十万なんだろう。顔を片桐の股座へ埋めた四つん這いはケツを高く突き出すような格好で、きっとカメラではちんぽの出入りするアナルを接写しているんだろう。
「全部飲んで」
 頭上からの声に見上げる間もなく口内に体液の迸りがあった。口内射精とか僕聞いてないです。吐いたれ。実行に移す前に片桐の大きな手が口を塞ぐ。マジか。飲むのか。というか口の中に精子が留まる方が不快だ。なら飲むのか。マジか。男は度胸。男は度胸。なんて理不尽な。
「んっぐ」
 飲んだ。全部飲んだ。死にてぇ。
「あーんして」
 苦い薬を飲まされた子供じゃあるまいし確認など不要だ。俺は俺の尊厳まで飲み込んだのだ。片桐は俺の空の口内を確認するとふふと笑った。
「偉いね」
 なんてことだ。褒められてちょっと嬉しいだなんて。俺まで笑ってしまう。アホか。
「んっ、ふ」
 上体を片桐に抱かれるような形でキスをする。ケツには相変わらず知らん生ちんぽが出入りしている。体勢がきつい。腰やばい。のに、ガンガン突いてくる。悪魔かこの男。
「おふっ」
 おや、背後でいきものが鳴いたようだ。なるほど射精をしたらしい。中出しか。そうだろうな。精子を飲んだ俺が今更直腸を汚されてショックなんてことはない。ビジネスライクな精子だ。そんなことよりキスがこんなに気持ちいいことが問題だ。テクニシャン片桐。もしくは片桐テクニシャンか、芸名が。それほどやばい。勃起しそう。してんのか。押し倒される。おっさんに背中を受け止められる。背中に直にちんぽが当たる感触がある。や、やだな、なんか。どくどくしてる。
「は、あっ」
 片桐の舌が離れてく。もっとキスしてたいな。気持ちいい。
 なんだか眠たい。手も足も全部投げ出して身体を二人に任せてしまって眠っちゃおうかな。ダメかな。いいかな。やっぱダメかな。
「あっ! あっ……、やだ」
 両乳首にローターが押し付けられる。むずむずする。くすぐったい電動が。そっとなぞっていく。むずむずする。引掻いてほしい。
 脚が開かれる。また入れんのか。今度は片桐か。またきついのかな。やだな。
「ん……、はっ! あっあっ」
 嘘だろ。ぬるっと入ってくる。背骨を伝ってぞわぞわとなにかが走る。快感か? 嘘だろ。なんで。
「あ、やめっ……、あっ、はぁっ!」
 乳首の上を転がっていたローターのひとつが亀頭の先に当てられる。舐るようにローターがちんぽを撫でる。ダメだ。やばい。左乳首とちんぽをローターで責められながらアナルを犯される。おかしい。内側も気持ちいいなんて。
「ひ、あぁっ、……んっ、ん!」
 片桐がキスをくれる。もっとほしい。首を抱く。もっとほしい。もっと犯してほしい。めちゃくちゃになりたい。
「はぁっ! あっ、あっ、あ」
 身体が震える。射精している。勢いよくドクドクと流れ出ている。出て行く分を補うように片桐から注がれる。熱い。眠い。眠っていいかな。ダメかな。いいかな。
「気持ちよかった?」
「……うん」
 撮影終了のコールがかかる。もう眠っていいかな。うとうとする。
「はぁ……、普通にセックスしちゃった」
 片桐の声。どこが普通か。アホか。
「社長のタイプっすもんね」
「タイプじゃないよ」
 笑い合っている。社長? 社長だと。
「……社長なの?」
 問えば片桐は社長ですと真面目ぶって答える。
「好きです。養ってください」
「アホか」
 けれど片桐は笑っていたので俺も笑って眠ってしまう。始まってもいない俺の人生。いつでも始められるんじゃん。なら今からスタート。どうにかなる。



(09.5.4)
置場