真夜中ベッド



 一労働者として俺には缶チューハイを飲む権利がある。アルコール度数七パーセントのレモンチューハイで疲れきった身体を潤わす必要がある。だってお酒は心に注ぐ栄養剤。
「給料入ってから言えよ、そういうことは」
 片桐の言い分はなに一つ間違っていない。間違っていないけれど、今俺の財布に百円玉がない。というか銀色に光る硬貨がない。
「見てくれ手が震えるんだよ。アルコールが切れた証拠だよ。飲まないことにはどうにもならないんだよ。頼む! 前借させてくれ!」
「震えるの? じゃあ握っていてあげよう」
 そう言って片桐は大げさに震わせていた俺の手を握った。……深夜のコンビニで男が男に手を握られている光景はさぞ奇怪なことだろう。バイト可哀相。いらっしゃいませとか言えねぇよ。ていうか、なんか、妙に恥ずかしい。
「……やめて、はずい」
 小声での抗議を受けて片桐はにっこり笑って指を絡めた恋人繋ぎへ移行する。鬼か、こいつは。
「いいよ、ひとり一つずつね」
「え? いいの? え、飲むの?」
「駄目ですか」
「いいと思います」
 そういうわけで、缶チューハイとポテトチップスと弁当を買って帰る。歩きなれた帰路を二人で歩く。荷物持ちはもっぱら俺だ。片桐は鞄を持っているからだ。
 片桐の会社で働き始めて数ヶ月経つ。給料のほとんどは消費者金融の返済に充てていて、残りは片桐に返済している。毎月俺の手元に残る金は中学生の小遣い程度だ。とは言え衣食住のほとんどを片桐に頼っているので、毎月どうにかなってしまうのが現状だ。実際バイトの俺の給料は他でバイトするより少し高いくらいで、それは借金返済を視野に入れた上で片桐が色を付けてくれているからにほかならず、声高に不満を言うようなことは実はひとつもないのだ。返済がすべて終わる頃には仕事が一通りできるようになっていること、それが俺が正社員になる条件だった。
 仕事を始めてすぐは一体なんの仕事をしてるのかすら分からず言われたことだけやっていたが、最近ようやく自分がなにをしているか、くらいは把握できるようになってきた。我ながらすごいと思う。あとは片桐に起こされる前に起きられるようになったら完璧だ。……まぁ、別に起こしてくれるうちは起こしてもらおう。片桐に起こされて困るということがない。
 帰宅してニュースを観ながら弁当を食って缶チューハイで乾杯してポテチを開けた。ウィークエンドの楽しさは仕事を始めて知ったものだ。
 バカ話をしながら酒を飲み、深夜バラエティを流すテレビは所在無く音を発している。久しく飲んでいなかったからか、アルコールが身体の芯まで滲み込んでいく。まぶたが重たくなってくる。会話がふいに途切れてテレビからの笑い声が部屋の中で妙に浮いた。
 なんだか意味のある沈黙なのかもしれない。よく分からない。今までだったら、過去に付き合ってた女だったら、キスをしていたかもしれない。
「もう寝る?」
「うん」
「寝るかぁ」
 そう言って片桐は身体を伸ばす。
「ていうか」
「うん?」
「セックスしないの?」
「……したいの?」
「したい、かも」
「かも?」
「ていうか」
「うん」
「好き……に、なっていい?」
 ダメかもしれない。なんか俺は都合のいいことばかり言っている気がする。わがままばかりだ。笑われるかな。笑われたくないな。俺は本気だから。顔を見るのも怖いくらい。言わなきゃよかった。いい感じに毎日やってきたんだから、変な感じになったら嫌だな。
「……いいよ」
 驚いて、片桐から背けていた顔を向けた。けどすぐ反らした。恥ずかしい。というか嬉しい。というか、いいのかな俺。
「セックスしたいの?」
「いやっ! 別に」
「そっか」
 そっか、で話は終了したのか? 食い下がれよ! やりまくろうぜゲヘヘとか言えよ! 言わねぇよ片桐はそういうこと。ていうか俺が言うのかよ。俺からセックスしよ! なんて言うのかよ。バカか。言えるかそんな恥ずかしいこと。言うか。言うのか。言うぞ。……言えない! そういうキャラじゃない俺。違うなんかそういうの。しかし片桐はもう寝室へ向かっている。クソッ!
「キッ……ッスして、いいですかっ」
「キッス?」
 笑いやがって。もういいよ。もういい。柄じゃなかった。
「いいよ、しよ」
 片桐は笑顔だ。勝ち誇ったような顔だ。むかつく。もういい、と言う間もなく片桐に顎を上向けられる。この角度から見る片桐の顔はやばい。イケメンオーラを放ちまくっている。後にも先にも俺の顎を持ち上げるのは片桐だけだろう。
「んっ」
 啄ばむような唇の接触は次第に舌を絡めあう粘膜接触へ移行する。相変わらずキスが上手い。熱い舌が上顎を撫でる。くすぐったい。片桐のペースは俺の知らないものだった。AVの時もそう。知らないことを知りたくて俺は夢中になって片桐に応える。身体が熱い。俺も頑張る。頑張ってキスをする。なんだそれは。どうでもいい。気持ちいい。
「……もっとする?」
 唇を濡らして片桐は言う。目がさっきよりも水分を含んでいる。
「もっとえげつないことしようぜ」
 各自おのれのすけべさに自嘲の笑み一つ。服を脱ぎつつ寝室へ向かい、この後どうしてやろうかと思案の脳内。思惑二つ抱いた部屋は消灯。



(09.5.23)
置場