ひとりでするきないもん!



 特別なにかある、ってわけではないが、十二月はやはり特別な月という気がする。あんまり知らんけど実家帰ったりなんか、そういうこともあるのかなって思ったりしたから訊いてみたのだ。
「実家帰るんすか?」
 ノートパソコンに向かってなんか知らんけど仕事をやってたっぽい片桐はえぇ? と気の抜けた相槌を返す。
「年末ってなんか、帰省したりするのかなって」
「別に近いしいつでも帰れるし特には……なんで?」
「いや、片桐さんいない間どうやって生きていこうかなっていう……ことを、相談しといた方がいいかなって」
「別に二三日の話でしょ」
「主に食生活に関して」
「ああ……、なるほど」
 納得されるほど俺の食事は片桐に依存しきっているのだ。片桐も忙しい男だし大体外食か弁当だが、時間がある時なんかはわりと料理をしている。というか、せざるを得ない? 俺ができないから。
 俺も居候だし職も世話してもらったし、というか世話になってることの多さがやべぇくらいだし、なんかやろうかな、料理くらいやろうかな、と流石に思うのだが、片桐があまりに卒なくなんでもこなしてしまうからなんにもできない。洗濯くらいしかできない。洗濯は洗濯機がやってくれるから実質干すのと畳むくらいしかしないが。それもほとんど片桐がやってしまう。基本的になんでもひとりでやってしまう男なのだ。
 片桐ときたらしれっと肉じゃがとか作りやがる。イケメン、社長、肉じゃが、ってそれはもう反則だろうと俺は思う。
「肉じゃがなんて炒めて煮込むだけじゃん」
 と片桐は言う。炒めて煮込む。調味料は? 俺は思う。醤油? みりん? みりんってなに? 正直恐ろしい。みりんを使いこなす片桐が怖い。イケメン、社長、みりん。もう意味が分からねぇ。どこまで好感度を上げようというのか。なんにも欠点がないのかこの男は。
「別に凝ったもん作んなくても食えりゃいいじゃん」
「俺料理はチャーハンくらいしか……チャーハン……」
 そういえばチャーハンが作れた。チャーハンというのかどうかは知らないが飯を塩コショウで炒めるものは作れた。おお、なんだ、やれんじゃん俺。やれるから俺。
「チャーハン作りますよ」
「はぁ? 今から?」
「今から」
 別に夕飯食っておかしくない時間だし。今夜はまだなんも食ってないし。チャーハンを作ることになんの問題もない。問題があるとしたら冷蔵庫にそれっぽい具材がないことくらいだ。いや、ネギと卵がある。かなり充分だ。チャーハンっぽい。かまぼことかハムとかあったらそれはもうプロのチャーハンだ。ご家庭の味ではない。
 そういうわけで。俺は台所に立っている。
 料理するの何年ぶりだろ。一年、いや二年、いや……覚えてないな。包丁とかやばいな。かなりいけてる感じがする。切ろうか、ネギを。どうやって切ろうか。細かくか。雰囲気で。いざ!
「猫の手知ってる?」
「……なに言ってんすか」
「猫の手」
「ちょっと意味が分からない」
「具を押さえる手を握るんだよ」
「なんの話っすか」
「猫の手」
「それ猫の手って言うんすか」
「そう」
「へー」
 お料理豆知識まであるとかやべぇな。片桐に勧められるままネギを押さえる手を握る。グーだな。グーで。
「違う」
「えっ!」
 握ったよな。握ってる。グーだ。これ以上握りようがないほどグーだ。もしやネギを握るのか? いや手を握ると言っていた。片桐の手を? なんのために?
「その向きだと親指切るから親指引っ込めて拳を包丁に向ける……こう」
 片桐に手を取られ正しい向きに向けられる。なるほどこうか。なるほどねぇ。安全だねぇ。っていうか、このポジションなんだ。片桐が背後から俺の手を取りなんだ、これはなんというか……カップル的ななんかそういう……、と思った矢先に片桐は退いた。クールだねー。
 片桐が横で監視している中ネギを切る。細かく。それはもう細かく切った。やりづらい。そのやりづらさのせいでネギを一本切ってしまった。ちょっと多い気がする。大丈夫かな。大丈夫。片桐は止めなかったんだから大丈夫なんだろう。
 レンジで二分チンした飯を取り出す。違う、卵が先か。どっちでもいいか。フライパンに油を引いて、いざ卵を!
「ストップ」
「えぇーなんすか」
「先に別の器に割ってからにしとけ」
「洗い物増えますよ」
「いいよ俺殻の入ったチャーハンとか食いたくないし」
「殻とか入らんし」
「自信あるんだ」
「卵とか結構割れる方だし俺」
「へー……」
 疑いの眼差しは実際に完璧に割って払拭しよう。意外とできるってことを証明しよう。器にガツっと卵を打ち付ける。殻にできたヒビに親指を突っ込んで、割る。どろっと白身が垂れてくる。殻は? ひとかけらも入っていない。両手の指先は白身まみれであるけども。殻が入っていないのだから問題はない。
「どや!」
「……」
 片桐はなにも言わなかった。なにも言わなかったけどもその目は白々と冷めていた。ダメか。ダメなのかこれでは。充分だろどうせ混ぜんだから。二個目に割った卵は残念ながら殻のかけらが混入してしまった。ちらりと窺った片桐は微笑んでくれた。……どういう意味の微笑なのか。同情? 哀れみ? どや? 言わんこっちゃないだろってことなのか。気にするな。気にしたら負けだ。みりんを操る男に勝とうだなんて端から思っていない。ただ俺は、チャーハンが作れることを証明したいだけだ。
 消していたガスに再度点火する。レンチンした飯をサイドに準備し油が爆ぜ始めたら溶いた卵を投入する。すごい勢いで水分が蒸発している。バチバチと飛んでくる。なにが飛んできているのだ。卵か。卵の躍動なのか。近づけねぇ。こんな時は飯だ。飯を突っ込むのだ。勢いで。投下。
「ネギは?」
 ネギだ。ネギの存在を忘れていた。ネギもぶっこむ。大人しくなったフライパンに近付き塩コショウを振り掛ける。フライパンを片手に持って煽ったりする。すげぇプロっぽい手さばき。これ。ここに注目してほしい。ここを評価してほしい。このプロっぽいフライパンさばきを。
「どうっすか! これ! すごくないっすか! これ熱っつ!」
 卵か。卵の躍動なのか。だがこれが男の料理。煽る。煽りに煽る。ジャッジャッ、という感じに炒める。最後に醤油を垂らして完成だ。
「わぁーおいしそーう」
 片桐がまったく乗ってこないので。俺は仕方なく一人で料理番組が如く大袈裟に完成を喜んでみせるのであった。
 大皿にどばっと乗せる。フライパンからどばっと、と思うが若干のもっちり感を感じた。パラッとはしていない。だがパラッとしたチャーハンなどはご家庭の火力では無理というものでベッチャリしていないだけ俺の才能だといわざるを得ない。
「どーうぞ、召し上がれー」
 俺からスプーンを受け取った片桐はいただきますと小さく呟くと黙って大皿に盛られたチャーハンを一匙掬い口へ運ぶ。もくもくと食べている。さらに一匙。もぐもぐと食べている。
「……どうっすか」
「食えるよ」
 それ以上言わずにもぐもぐと食べている。食えるよ、ということは美味いよ、ということだろうか。
「変な調味料入れてなかったし不味くなりようがねぇよな」
 なるほど。不味くないというだけか。俺もスプーンを握り自作のチャーハンを食す。美味い。普通に美味いじゃん。完全にチャーハンじゃん。
「美味くないっすかこれ?」
「……食えるよ」
 うん。よくよく噛み含んでみるとネギの主張がすごい。生も混じってるなこれ。素材の味を生かしてると素敵に言えば言えないこともないが単に生だなこれ。
「チンしましょうか」
「いいよ」
 言葉少なに片桐はチャーハンを食っている。だから俺も黙って食う。なんかすげぇしょうもねぇチャーハンに見えてくる。実際すげぇしょうもねぇチャーハンなんだけど。俺の食生活的にアリなチャーハンでも片桐が食うもんじゃねぇよな。
「食わなくていいっすよ」
 と、言ってはみたが片桐はなにも言わずにスプーンを進める。俺より食ってるくらいだ。なんだ。これは。優しさ? 優しい。反則だろ。妙に照れくさくなってくる。俺も食う。大皿にどばっと乗ったチャーハンは十分しないうちに食い終わった。
「ごちそうさま」
 さり気なく言われて俺はなんというのが正しいのか。
「お……、お粗末さまです」
 みたいな感じで、いいのか。初めて言ったなお粗末さまとか。なんか顔が熱いが気のせいだろう。なんか、手料理とか。なんだ、手料理って。恥ずかしすぎるもう二度とやらねぇ。
「作れるのチャーハンだけ?」
 水を飲む片手間のように片桐が言う。
「あとインスタントラーメンとか」
「やきそばとかは?」
「あぁー」
 作れそうな気はするな。粉末ソースついてるし。味付けを考えないでいいのなら単にチャーハンの米が麺に変わっただけだろう。
「炒める系はいけそうな気がしますね」
「じゃあ二三日くらい大丈夫でしょ」
「えっ、帰るんですか?」
「帰らないけど」
「なんだよ」
「帰ってほしいの?」
「いや別に、帰るのかなぁってだけで」
 親御さんとかしっかりしてそうだし。帰ったら喜ぶんじゃないかなーって気はするけど。けど、なんだ。考えてみたら片桐の仕事って親的にどういう感じで受け取ってるんだろう。もしかしてあれか、片桐も親父に頭上がらない系か。
「そっちは? 帰らないの?」
「はぁ、……帰れないっすかね」
 最近ようやくお袋に電話できるようになったけども、親父となるとまだきつい。俺はまだ親父が許してくれるような息子には遠い。自覚があるから、やっぱ無理だなと思う。
「なんだよ」
「なんすか」
 別に、と言って笑う片桐に、俺は何故だかムラっときた。ムラムラしますと言ったところで相手にしてもらえないのは分かってるけど、どうにも処しがたい熱がある。ムラムラしますって言っても仕方ないけど言っちゃう? 言ってみようか。いや言えない! この和やかなカップルくさい空気壊せねぇ。ならば?
「お年玉くださいよ」
「おまえな……」
 呆れてる。違うそういうつもりじゃなくて、俺は単にムラムラしていて、ただそれだけで、じゃあどうする。じゃあ?
「キ……、お小遣いくださいよ」
 違う! 俺は完全に違う! 金目当てでももっと上手くやるわ。こんな俺ではぬくもりどころか金すらも掴めないではないか。
「やーでーす」
 と、片桐は言うと俺の顎を軽く押さえ唇に唇を接触させる。ばかだね、と密やかに囁くその声の低さはお布団の中とまるで同じで俺の体温は条件反射みたいに勝手に上がる。
「さーて、寝ますか! 寝ますかねこのまま」
 このノリを維持したまま! いちゃついた流れを残したまま! 茶化さないことには俺どうにかなってしまいそうだから。
「食器洗ってから寝ろよ」
 そう言うと片桐はまたノートパソコンを開く。クール。なんだよ。なんだよう。超余裕じゃん。いつもだけど。いつものことだけど。そっぽを向いた片桐はちらりとこちらに目線を投げてニコリと笑う。
「あとでね」
 とか、絶対する気もないくせにからかってるだけのくせにその気になってしまう俺ってどんだけ健気だよ。お釈迦様はいつだって泰然としているもんだけど、片桐の微笑みは卑怯だと思う。俺なんか自由自在にされてる気がする。仕方ないけど。だって相手は釈迦だもん。いや人だけど。
 食器を持って台所へ向かう。
「あとでね!」
 言ったからには絶対実行する。釈迦っぽい人の気のない言葉なんて人っぽい、むしろ人ど真ん中の俺が現実にしてしまえばいいのだ。煩悩なんかとっくに百八超えてるんだから今更一つ二つ増えたって変わりゃしねぇよ。



(10.12.24)
置場