「あけおめございまーす」
と、言うのは何年ぶりだろうか。なんとなくプラプラしてきて、これといった人間関係に係わることなく数年過ごしてきた。明日死んでもおかしくない、明日死んでも仕方ないと思って生きてきた数年だったような気がするがそれはそれとして、あけおめといえばそう、おまけというメイン。
「お年玉を!」
戴こうかな! と思ったので、布団の中で眩しそうに目を細める片桐にそっと手を差し出したのであった。
「おまえな……、ふざけんなよ」
寒いと呟いて頭から布団を被ってしまう。ならば? 俺も布団に入るまでだ。
「片桐さん! あけおめって!」
「なんなんだよもー」
もーとか言ってる。これ多分ほんとに眠いんだろう。珍しい。どうしよう。引くか? でもいつも起こされてる俺としては片桐にも起きてほしい。俺都合で起きてほしいみたいな気持ちもある。なんたって片桐より先に起きたのだ。
「もう昼ですよ」
「あーはいはい、おいで」
とか言って、片桐は俺の身体を抱き寄せる。この野郎寝るためにはなりふり構わないタイプか。眠っていた片桐の普段より高い温度に包まれると俺としてもほわっとするような、悦って一緒に眠ってしまいそうな気分になる。
「ねー、片桐さんって」
し、と片桐は俺の唇に指を置いて、そのまますうすう眠り始める。つられて俺もなんだか眠くなってくる。昨夜はへべれけるまで飲んでいたのだ。飲みにのみ、前後不覚になりながらも俺は片桐にポチ袋を渡したのだった。
「なんで俺が?」
という片桐に社長と部下の関係において俺が片桐からお年玉をもらうことはなんの不思議もないことを力説したのだった。酔っていた片桐は笑って朝ね、と言ったのだ。だから俺は早起きできた。実際は小便したくて目が覚めた。それでハッと思い出したのだ。お年玉もらお、と。酔っていた片桐が忘れていたとして俺は覚えている。たとえ片桐が忘れていたとして社長と部下の関係において俺が片桐からお年玉をもらうことの自然を再度説くまでだ。
片桐の寝息につられて俺も眠っていた。目覚めたのは、寒さゆえだった。
「寒っ」
「おはよう」
と、言った片桐は布団に包まったまま、髪に寝癖がついたままだ。俺はというと、ていうか俺のところだけ布団がかかってない。鬼かこいつ。
「寒い……布団」
掛け布団の中に入ろうとしても片桐は布団を寄越してくれない。そんなに怒ることかよ。
「すみませんマジ寒いんで入れてください」
「布団とお年玉どっちにする?」
そんなこと言われたら俺はどうしたらいいんだ。
「お年玉……を」
戴きたい一心で、今日は生きているような気がするから。
「コーヒー淹れて」
片桐のモーニングコーヒー習慣からいってこれは起きる前兆だ。ぐだぐだになったがようやく新年始めましただな。俺は寒さにかじかむ身体を鼓舞して起き上がり台所へ向かった。片桐も後から起きてくる。顔を洗いにいった。
インスタントコーヒーを淹れ寝癖の少し納まった片桐の前に差し出す。片桐はあくびを噛み殺しありがとうと言った。二人揃ってコーヒーを啜る。これが新年だ。
「旧年中は大変お世話になりまして……」
片桐ははいと頷く。頷かれても仕方ない。かなり世話になった。
「今年もどうぞ、どうぞよろしくお願いしたい次第でありまして」
「よろしく」
「つきましては!」
「お年玉って?」
「戴きたい!」
「なんに使うの?」
「パ……ちょきん、します……けど?」
「パチ屋に?」
「……ゆうちょ……とか」
「それはいいですねー」
「でしょでしょ」
「おまえほんとムチャクチャだよな」
溜息を吐いている。難しい顔をしていても片桐は男前だ。とはいえ若干罪悪感のようなものが沸き起こってくる。お年玉は実際欲しい。かなり欲しい。だが冗談の流れでもらえたらラッキーってだけのことで、嫌々だったり呆れられたりしてまではいいかな、って。無理矢理もらうもんじゃないかなって思うから俺はちょっとこの空気に心拍数が上がり始めている。怒らせたいわけではないのだ。お茶目なコミュニケーションの一環として金銭を戴けないかな、というだけのことなのだ。
「無駄遣いすんなよ」
そう言って片桐はポチ袋を差し出す。
「マジで!」
ダメ元でも言ってみるものだ。そろそろ引く頃合だと思っていただけにこれは嬉しい。片桐は渋い顔でコーヒーを啜る。
「ありがとうございます! なんか催促しちゃったみたいで申し訳ないなーなんて、冗談だったんですけどね、いやー悪いなぁ」
「あ、そう?」
と言って片桐の手が回収の意図をもってポチ袋に伸びる。それを咄嗟に押さえていた。無意識だった。二人手と手を重ね合わせじっと見詰め合う。
「手……」
「すべすべっすね、片桐さんの手」
「ありがとう」
「……」
「……」
放して、と片桐は静かに言った。しかし俺は放せなかった。手の中の片桐の手は骨張って男らしくあったが適切な湿度もあり、べたつかないしかさつかないし手の中にするりと納まって握り心地が良かった。更にその手の下に幾ばくかの金銭があると思うと、俺は握った手を放す決心がつかなかった。
「とらないから」
「そういうわけじゃないっすよ!」
パッと手を放すと片桐の手がパッと抜けて俺はまた無意識にポチ袋に手を置いていた。そして無意識にふところへ収める。とても静かで、とても自然な流れであった。
「ちょっと俺便所行ってきます」
「別にここで開けたらいいじゃん」
「えぇ! そんな、そういうわけじゃないっすけど、……そうっすかぁ、じゃあすみません失礼して」
チラッと覗いた感じ札。きたな学問のすゝめ。天は人の上に人を造らずなんて大嘘だけどな。でも大好き! 諭吉先生!
「……あれ?」
色合いが違う。俺の大好きな色じゃない。折りたたまれた札を広げるとなんか城っぽいのと平安っぽい感じの……これは。
「弟のところで久々に見て面白かったからもらってきた」
ニッコリ笑って片桐は言う。二千円札。まだあったんだ。そっか。まだあったんだ。金には違いないけど。普通に二千円嬉しいけど。なぜだろう胸にこびりついた寂しさが拭えない。消えた八千円に対する執着だろうか。しかし二千円札がなければこうやってお年玉をもらえていたかどうか分からない。多分片桐は面白半分でやってるから。そういう意味では弟ナイストスと言えるだろう。ナイストス? なのか? なのだろう。俺は信じる。弟も俺を応援してくれている。信じよう。会ったこともないけど。
「ありがとございます」
「貯金?」
「ちょ……きん、はい……ちょ、きんします」
片桐はふふと笑ってそれ以上言わなかった。多分パチンコしてもいいってことだろう。俺はそう感じ取った。二千円を二万円に増やすのも俺次第ということだ。かなり厳しい勝負だがなんとなく勝てそうな気がする。なんかそういう予感がする。行くか、パチ屋。いや、新年早々は飲まれるだけだって分かってる。ならばいつだ。いつにしよう。
「暇だし初詣でも行く?」
ついでにごはん食べようとか言われたら俺は即答で行く行く! と答えてしまう。神様なんて信じてないけど。頼ったって仕方ないけど。目先のメシは裏切らない。とは言え初詣なんて何年ぶりだろう。子供の頃以来だろうか。ほんの少し去年に感謝して、おみくじとか引いて、そんな普通のことだけど、片桐がいなかったら今年も普通をやらなかっただろう。照れくさい普通をしに家を出る。片桐と揃って寒ぃとか言うのがいけてる気がする。始まったばかりの今年の町は晴れて輝いていた。