存在しないあなたと私



 浮かばれたい浮かばれない両者の同意の下薄汚いホテルの薄汚いベッドの上で俺はセーラー服を着て男の股座に顔を埋めている。舌を遣って音を立てて、そういう風にやっていれば男はイメージの世界に耽溺する。目を閉じ息を乱す。それは俺も同じことで、鼻先に男の体臭を嗅ぎながら十年思い続ける男を夢想する。
 促されてうつ伏せて、俺は有り得ない現実に犯されているような気になって、男は存在しない女子高生を犯した気になって、それでお互い浮かばれた気になるんだからおめでたいものだ。枕に顔を埋める。男の頭の中の女子高生はきっと高い声を上げているからだ。気持ちはないが思いやりくらいは持てる。突かれて漏れる呻き声を枕に沈めて俺は俺の世界に戻る。速度の加速は視界を狭める。後頭部に他人の息遣いを感じながら夢もうつつも混ざり合ってマーブルで俺にはもうなんも見えん。

 利害の一致、以外にこの交渉を意味づけるものはない。愛情がひとかけらでもあったなら、俺はこんなことはできなかっただろう。女物の服を着ることに抵抗がないわけではない。己の対極にある者のコスチュームに身を包むのは自虐でしかなく、例えば俺が愛してやまない二児の父の前で、冗談でもセーラー服を着られるかといったらそれは無理というものだ。惨めになるだけと知っているから。
 一方男は筋金入りのロリコンだった。飲み屋で知らん者同士、一般論に括られる女性への不満などを語っている時にポロリと零した。
「小学生とセックスしたい」
 正直気持ち悪いと思ったが、この男も俺と同じように叶わない、叶える気のない欲求に縛られているのかと思ったら哀れに思えた。男に同情することは俺に同情することと同じことだと思った。己に対し可哀相だなんて思うことは反吐が出る。とても出来そうにないが、男に対しては可能だった。俺は男を通して自己憐憫に浸っている。分かっていて、俺は鏡に向かって微笑んでいた。
「俺は男とセックスしたい」
「ランドセル背負ってくれたらできるかもしれない」
 頬杖をついて、男はアルコールに濁った目を寄越した。恐らく俺も同じような目付きをしているのだろうと考えながら、試してみようかと提案していた。
 連絡先の交換もせず、後日また同じ飲み屋で落ち合う約束をしてその日は別れた。酒の席でのうわごとで、本当にどうこうなろうとは思っていなかった。女児にしか関心のない男が同性に性欲を向けられるとも思えなかったし、俺も遊びのように肉体を遣うつもりはなかった。ならば何故? どこかで慰められたい気持ちがあったのだ。埋まることのない孤独がほんの一瞬でも癒えるのではないかという幻想を、報われるはずのないこの俺がほんの一瞬でも浮かばれるんじゃないかという願望を、信じたい気持ちがあったのだ。
 再開後、俺たちは何食わぬ顔をして隣り合い、一杯の水割りを飲み、合図もなく店を出た。線路沿いの饐えたラブホテルに入り、男はセーラー服を取り出した。
「ランドセルじゃなかったっけ?」
「そっちはまだ交渉中」
「セーラー服でもいいの?」
「ギリギリだけどね。清潔感があれば、まだ」
 清潔感。俺が? 冗談だろうか、と笑いが込み上げたが男の思うところが分からなかったので一つ咳をして浮かぶ笑いを誤魔化した。
 シャワーを浴び渡された服に腕を通す。着れないことはなかったが、身に馴染むことはなかった。鏡に全身を映して思わず唸り声が出る。トンチンカン。ちょっとでも似合うとか可愛いとか、ねぇよな。分かってはいたが、男がガッカリするだろうなとほんの少し申し訳ない気持ちになった。
「着れた?」
「着れたけど裂けるかも」
「別にいいよ」
 セーラー服に対する思い入れは然程でないからだろうか。手を引かれるままベッドへ上がる。男は検分するようにセーラー服を眺め、かすかに苦笑した。
「すね毛はないわぁ」
「剃ってこようか?」
「別にいいよ」
 別にいいのかよ。なんでもいいんだな。なんでもいいほど切羽詰ってんのか。男でもいいっていうんだからそうなんだろう。
「そっちはなんか希望ある?」
「俺?」
 希望。考えて、思い巡らせて、叶うわけない誤魔化しにすぎないことは誤魔化しようもなく一つ息を吐く。
「特にねぇな」
 望みすぎは禁物だ。端から相互オナニーに過ぎない。傷つかないためには期待しないことだ。十年かけて俺は学んだ。
 手探りの手順で、手探りの交渉は続いた。互いの呼吸法すら知らないのに肌を撫ぜて、汗を混ぜて、距離を詰めて、寂しくなって、そんなことは知らないふり気付かないふりで延々、続けていく。それぞれの肉体に閉じ込められた孤独も欲望も素肌が阻んで一つにならない。それでいい。どうせ互いの目には存在しないそれぞれしか映っていないのだから。

 精を放ってすべて終えて、男はできるものだなと呟いた。虚脱した身体を布団に預けたまま、頭の中で男に同意した。できるものだな心がなくたって。
 もし良かったら、嫌じゃなかったら、というような話の流れで連絡先を交換し合った。

 ある時は体操着を着て、ある時はランドセルを背負った。俺は男を男として認識するようになっていた。誰かの身代わりとしての男ではなく、歪んだ性癖を俺にだけ明かす寂しい男として見るようになっていた。男の孤独に殉ずることは俺の孤独を癒すのと同じことだった。存在意義の不確かな自分自身に形を与えられたようで嬉しかった。
 体毛を剃りランドセルを背負って、勃起した性にスカートが捲りあがらないよう裾を押さえ、口を押さえ、男の足の間に跨って腰を振る。男の手が服の中へ入りこみ、乳首を摘み押し潰す。喉の奥から声が出る。甘ったれたような息が漏れる。開かれなれた身体の内側から震えが走る。胸の刺激と体内の刺激とで喜悦に満たされた脳が緩んでくる。慰めになれてる? 寂しくない? 言わなくていいことだから奥歯を噛み締める。鼻腔に涙の気配が通った。
 男の手がスカートに伸びる。太ももの内側を指先が辿る。ペニスへ行き着く。
「いっ、いいよ、やらなくて……」
「いいよ」
 男の手に擦りあげられて身体中引き攣るのを感じた。心地好さに滅裂になってキスをしようと思わず唇を寄せ、寸前で押し止めた。そういうんじゃないって理性では分かっていたからだ。男の手が後頭部を支える。なにか。思っていると男の唇が寄せられる。いいんだろうか。接触だけのキスを一つ。すぐに離して眼差しを探る。瞳の中に俺だけが映っている。それだけを確認して、もう一度キスをする。舌を絡める。深いとこ。くすぐったいとこ全部触って全然分かんないのに全部分かった気になって、おまえには俺しかいないだろうとか、俺にはおまえしかいないだろうとか、本当かどうか知らんし分からんけどそれでいいような気がしている。腰がわなないて男の手の内に精を放つ。傷を舐めあってるだけでも、舐めあってるふりして抉っているだけでも、どっちでもいいんだおまえしかいないから。
 体勢を変え横臥したまま足を開く。身体の奥を突かれながら俺は布団に取り縋り、ペニスを握り声を上げた。ランドセル効果? 別にいいけど。なんでもいいけど。浮かばれない魂がほんの少し軽くなるんだったらそれでいい。
 すべて終えて、ランドセルを投げ出して手足を投げ出して布団の上でまどろみを覚える。自分のまつげの先を眺め、ゆっくりとした瞬きをする。
「ごめんね」
 男の気配に目を開く。
「いいよ」
 存在しない子供の代わりになることも、存在しない俺を愛する誰かを愛することも、全部いいよ。男を許すことと俺を許すことは同じことだ。欺瞞でもいい。存在するお互いを、互いにほんの少し好きで、嫌いじゃなくて、許したい気持ちがあればいい。俺とおまえと二人しかいない世界で、互いしか頼るものがないのだから、なんでもいいよ。俺は許す。
 男が隣に身体を横たえる。身を寄せ合って眠っても同じ夢は見ないだろうが、目覚めた時に微笑みあえたらそれで構わない。目を閉じる。



(10.3.13)
置場