カッターナイフ依存症



 白昼、二足歩行の俺に注がれる白眼視数十対。両手首のストライプ。限界を感じている。終了しよう。そうしよう。生命はバツ。ちゃちなカッターナイフがそもそも死ぬ気のなさの表れで縦縦横横、丸が描けないあーもうダメだどうでもいい肉体上のカンバスは血糊で汚れて薄汚い。終了しよう。それしかない。勇気がない。
 暑気立ち上る真夏臨界出生の疑惑は晴らされぬまま今年もひとつ歳をとる。望まれもせず二十年。よくも生きやがったものだ。もうここいらで死ぬべきだろうと脳内輪唱俺の魂が生命を許していないのだから死ぬのが正しいのだ。

 先生俺を肯定するのはやめてください。

 二十年生きればすべての疑惑は晴らされるものだと思われた。逃げた女が涙ながらに謝罪するものと思われた。俺はまともになれると思われた。あるわけないのだそんな夢みたいな話は。俺の人生以外全部フィクションで俺以外の誰かたちはバカみたいにドラマティックな人生を謳歌しようと俺には関係のないことなのだ。ブラウン管の中のおとぎ話にすぎない。俺はそれを傍観し「夢みたいだね」と羨望をもって吐き捨てるだけだ。
 テレビの中から語りかける、中谷先生は医者でもないのに俺を診察する。きっと君はこんな風に云々と俺も知らない俺を語る。俺は中谷先生の腕時計の下を想像する。生きてりゃそのうちいいことあるよと笑った。あと何年生きたらいいのか。
「なんにも楽しくない」
 なんにも楽しくない。生きてて楽しいことなんか一つもない。死後の世界なんかありはしない詐欺なんだから、俺は安心して死にたくなれる。先生は笑った。なんで笑ったかは知らない。
「君は僕に似てる」
 おまえのことなんか知るかよ。同病相哀れむ俺を肯定するふりをしておまえは自己肯定を行っているにすぎない。俺は気付いている。俺は誰にでも似ているし、あんたもそう。特別なことなんかひとつもなくて、特別な関係も生まれない。友情だとか愛情だとかの心理作用が勘違いの集大成であるならあんたは勝手に分かった顔してりゃあいいよ。大人ぶって死にぞこなっただけのくせして全部分かったように思ってればいいよ。
 三年前だ。中谷先生は瞳を揺らしなにも言わなかった。翌日中谷先生の腕時計の下には絆創膏が貼られていた。かぶれたのだという。直線状の疾患はしばらく治らなかった。中谷先生は俺と目を合わさなくなった。正しいと思った。俺が支離滅裂でなにも立ち行かなくなっても先生は誰かと笑っていた。正しいと思った。安心できると思った。これ以上嫌われることも好かれることもないと思ったら安心だった。
 嫌われたくはないけど好かれたくもない。理由は、と考えてああこれが勘違いの心理作用なのかと恥ずかしくなった。

 切れなくなったら刃を折った。替え刃は安く、無節操に再生する俺の皮膚にうってつけだった。繰り出した刃先を肌の上に滑らせるとき、俺は先生のことを思い出していた。三年前から始まった悪癖だった。切り裂いた俺の肌に先生はなにを思うのだろう。なにを思いながら自ら手首を切ったのだろう。どんな痛みがあったのだろう。俺の傷は先生の傷になって、先生の傷は俺のものになる。劣情に酔って脳はいつだっておかしな働きをした。俺は血を流しながら己を慰め、てのひらを汚してようやく自分の頭がいよいよ正気でないことを自覚する。
「頭おかしいな」
 なんてまったく平然として、おかしいままで構わなかった。狂気は処世にすぎない。死なないためのごっこ遊びにすぎないと俺は分かっている。分かった上でやっている。死なない傷で遊んでる。自覚がある。自覚があるという意識が虚妄にすぎぬのではないか、という恐れもある。ごっこで本当に狂ってちゃどうにもならんわ。けどだってもうこれしかないんだからどうしようもない。
 空想上の先生の影はダッチと同じで俺は嗜虐的なマゾヒズムと被虐的なサディズムで己を慰撫する。都合のいいおもちゃみたいなものだった。俺の攻撃的な不安と同じ。分かっているのだ全部俺の甘ったれた心が悪い。

 Yより言付けあり。最後に思い出したように一言「中谷先生結婚したって」
 ああそうなんだで聞き流して終了。俺はカッターナイフを捨てる。

 盛夏晩年俺もう本当にダメなんだって俺自身分かっていて再生を始める皮膚は掻痒感を伴い掻き毟ったらまた血を噴いた。春に兆し夏に盛り、秋も冬も必要なくて生命はバツそればかり思うのに俺はようやく正常の入口を見つけたような気になった。先生、あんたと俺と本当に似ているのなら俺もいつか全部なかったことにして思い出を語るように痛みを肯定できるようになるの? 母さんあんたみたいに二十年なかったことにしたらその子供はなかったことになるの? 俺もいつか誰かを裏切れるようになるの?
 感傷はカッターナイフより鋭く心を傷付けるようだ。こんなセンチメンタリズムに停滞してどうする。思えば思うほど、生きるの死ぬのだなんてことがバカらしくなる。先生、あなたは正しい。母さん、あんたも。死にかけの思春期にとどめを刺す。路傍の白い目の意味も頭上を通り過ぎていく。あんたたちは正しいよ。額縁みたいだ。
 先生俺はあなたの肯定が面映く否定していましたが本当は嬉しくもあり救われてもいたんです。そんなバカな。過剰なドラマは俺のサイズじゃないね。馬鹿馬鹿しいと思いながら俺は子を捨てるように俺を捨てて正しく生きていくのだろう。結構なことだ。夢みたいだ。おとぎ話は端から破綻しているんだ。どうせ慣れていくんだ。なにもかも。なにもかも。



(10.8.7)
置場