フライデイナイト



 ある種の感慨を持って俺は言う。
「いつまでこんなことを続けるのか」
 狭いベッドの上で俺たちは他人のまま、愛だとか恋だとか取り繕うこともせずただ遊興の一つとして素肌を交わすのであった。
 ゲームを支配する男の名を俺は知らない。

 中野との付き合いは高校時代まで遡る。ごく親しい友人関係だと言える範囲に俺たちの関係はあった。
 中野が思いがけない意図を持って俺の身体を探ったのは半年前。酒に身体の自由を奪われて、半ば無理矢理。と言いつつ受け入れたのは俺だった。知らなかった性感を暴かれて、知らなかった俺自身の浅ましさを知らされて、それでも中野の言う愛してるだ好きだという言葉を真に受けたのは俺だった。身体の内側に中野を迎えることに慣らされて、一緒に暮らしはじめて、俺は俺の性嗜好をまったく作り替えられてしまったけれど、それでもいいかと思ったのだ。愛だなんて言わないけれど。恋だなんて言えないけれど。俺は俺なりの執着をもって中野に向かっていたと思う。
 それがどうだ。
 暗い寝室に影が蠢いていた。なにかに覆い被さるように動く。中野の裏切りだった。身体中から力が抜けた。俺が寝室の扉を開けたのにも係わらず動きが止むことのないことにはらわたが燃えた。押し殺したような吐息に湿る寝室は、性のにおいに満ちていた。
 スイッチを押して電灯を点ける。息を吸い込む。上にいた男が振り返る。
「彼氏? おかえりなさい」
 知らない男だった。開いた足の間に身体を据え、こちらに顔だけを向ける。腰は緩く動いたまま。そのてのひらは征服している男の、中野の口を押さえている。
 無理矢理だろうか、という疑惑は起こらなかった。家に上げて、ベッドの上で、男に突き上げられてうっとりと快楽に身を投げ出している。俺に気付いているのかも怪しい。それほど男の与える快楽に酔っているのだろう。
「大事にしすぎました?」
 素質あったみたですよ、と男は中野に向き直り腰の動きを早くする。聞きなれたダブルベッドの軋みが遠く、知らない音に聞こえた。
「あっ、あっ、あ……」
 高くか細い声は甘さを含んでいた。俺はそんな声を聞いたことはなかった。つま先は思考も感情もなく踏み出していた。頭の中には軋みと中野の声ばかりあった。俺は歩いているな、と俺自身の行動を考えていた。
「あっ、あ、んん……、あっ!」
 中野の髪を掴み頬を思い切り打ち据えた。中野は呆然としている。こんな風に暴力を振るったのは生まれて初めてだった。怒りに心臓が高鳴っている。中野の正気の目が揺れながら俺に向く。
「あはっ」
 場違いな笑い声が背後からあった。振り向くまでもない。知らない男が発した笑いだ。面白いのか。俺たちが数年かけて築いたものが崩れていく、その様子を笑うのか。
「彼、殴られてイっちゃったみたい」
 男に向けた目を中野の下腹へ向けると、水気を帯びた精が腹に張り付いていた。中野のペニスは赤く未だ震えていた。
「よかったらご一緒にどうですか」
 羽織っただけの男のシャツの襟を掴む。殴ってやろうと思った。拳も振り上げていた。けれど頬を差し出すように傾いだ男の顔に力が抜けていく。殴ってなにになる。不貞は中野とこの男二人の罪だ。だが男を殴れば俺は今以上に惨めになると分かっていた。俺は中野に裏切られたのだ。名も知らぬ男の罪など問うに値しない。なによりも、殴ってくれと言わんばかりに差し出された男の頬を打ち据えることにどれほど意味があるだろう。制裁にもならない。
 不意に男の目に色が滲む。首の裏に這いのばされた手に無理強いする力はなかった。促すだけの手に従って、俺は男の唇に唇を重ねた。唇はかすかに動く。舌が刺しのばされる。俺は拒まずに男の舌を受け入れた。中野が呻いたが構わずに舌を絡ませあった。男の手が背中へ降りる。腰を抱き寄せる仕草に身を任せた。
「すごい締まる」
 黒目だけを中野へ向けて男は囁くように言った。俺は男の頭を抱くように離れた唇を再度合わせた。男は口付けながら腰の動きを早めたようだった。押し殺した中野の声が寝室に忍ぶ。俺が中野にそうされたように、中野も男に身体を変えられたのだろうか。ぼんやりと、俺は服を脱ぐ。ベッドに膝を上げる。
 愛だなんて、絆だなんて、信じるものじゃない。あっけなく壊れるのだ。俺の身体を押し開いた男は今、別の男に征服されている。俺よりも声を上げて。俺よりも腰を振って。被虐の快楽に没頭している。
 目の前に半立ちのペニスを差し出すと、中野は戸惑うように眉を寄せた。唇はなにかを言おうと震えている。
「しゃぶってあげなよ」
 男は中野の内側を蹂躙しながら言う。中野は唇を噛み、泣きそうな顔になっている。
「しゃぶれよ」
 こんな風に言ったこともなかった。中野は悲壮感たっぷりに目を瞑り俺のペニスに唇を寄せる。ああ、しゃぶるんだ。何故か失望に似た気持ちになった。
 中野の頭を抱えて腰を遣う。男に激しく犯されている中野の嬌声を聞きたくなくて、喉の奥をめがけて抉る。こんな風にしたことも、されたこともなかったなと俺はやはり上の空に思った。
 ひきつった喉が亀頭を搾る。中野は全身を痙攣させるように震えている。イっているのかもしれない。男は中野からペニスを抜いた。濡れていたから、中に出したのかもしれない。俺は狭い喉へ更に突き立てた。
 中野の腰がまた小刻みに震え始める。目を向ければ男が中野のアナルに指を突き入れ中をかき回しているようだった。中野の口腔に埋めたペニスを引き抜くと、その唇から甘さを含んだ声が漏れた。中野の顔面に精を放ち、頬を張った。
「怖い彼氏だな」
 僅かに非難じみたニュアンスをもって男は言った。おまえに言われることじゃない。目を向ければ肩を竦めただけでなにも言わなかった。そのままポジションを入れ替える。
 さっきまで男を受け入れていたアナルは口を開き、男の放ったものは男の手で掻き出されていたようだが不十分だったようだ。白く汚れている。弛んだアナルにペニスを沈める。中野の背が弓なりにしなる。こんな風にケツを突き出すのか。そうか。柔らかく締め付ける穴を突き上げながら、俺は俺の知っている中野がどこにもいなくなってしまったのだと感じていた。俺の肌を撫でるときの顔も、俺を満たす時の顔も、思い出せなくなっている。俺を抱きしめる腕のぬくもりも、口付けの時の戯れも、すべてもうなくなってしまったのだと感じていた。
 中野にペニスを舐めさせていた男の手が頬に触れる。親指に拭われたものが涙だと気付いたときには唇を奪われていた。男は優しく、慰めのようなキスをする。元はと言えば誰のせいだ。バカバカしく思いながら、男が言ったように中野が締め付けるのが腹立たしく、俺は男に舌を差し出しながら中野を激しく犯した。こんなはずじゃなかった。こんな風になるために付き合ったんじゃなかった。悪いのは誰だ。他人である男か。男に身を差し出した中野か。俺か。中野の体内に精を吐き出す頃にはなにも考えられなくなった。

 行為の後、男は甲斐甲斐しく片付けを手伝った。中野は疲弊していたし、俺は呆然としていたとはいえ我が物顔で風呂の世話や着替えの用意をする姿は滑稽だった。この男になにもかも奪われたのだと思った。
「ねぇ、彼氏さん。今度は彼氏さんが相手してよ」
 男は身を寄せてそっと囁いた。聞こえているだろう中野はなにも言わなかった。
「いいよ」
 中野は微動もしなかった。終わったのだと思った。
 以来中野との間には愛も恋もなくなった。金曜の夜に男は訪ねてくる。ベッドの上で俺と男は代わる代わるに中野を犯した。時折中野が見ている前で俺は男に抱かれもした。
 男はただ気まぐれに遊んでいるにすぎない。けれど、男の関心が尽きたとき俺と中野の関係も切れるのだと思えた。中野は罪悪感から、俺は意地のために、こんなことを続けている。
 金曜日の夜、俺はある種の感慨を持って言う。
「いつまでこんなことを続けるのか」と。



(11.2.25)
置場