リーベリッヒ君の船



『最近どうだい』
「変わらないよ」
『足りないものはないか』
「なにも。充分さ。百年暮らせるだけの物資があるんだ」
『なんだか寂しいな』
 笑みを含んだ言葉にこちらも含み笑いを返す。
「それじゃあ」
『それじゃあ。愛してる』
 プライベートコールを切ると途端に室内は静まり返る。吐いた息は溜息に聞こえた。明日から群発流星の影響でしばらく通信は途絶えるのだ。短い会話を反芻しまた息を吐く。
「愛してる」
 なんて。
「寂しい」
 なんて。
 応じる言葉はない。
 室内灯を落としベッドへ横たわる。明日も今日と同じ日々を過ごす。明後日も。その先も。百年、とは言わぬがおよそ三十年は変わらぬ日々が過ごせるだけの物資が用意されているのは本当だ。
 三十年。この星から出ることはないのだろう。
 テラフォーミングも未だ進まぬ未開の惑星に建てたひとつのドームは領土権を主張するためだけにある。どこも見向きもしないこの星のドームを管理運営する、という名目で体よく厄介払いされた私は毎日無為とも思える気象データの採取を行い、月に一度定期報告として母国との通信が許されている。
 政治に破れた者の末路だろう。この枯れ果てた惑星のデータなど誰も必要とはしていない。報告後デリートされているのも知っている。
 目を閉じると深い暗闇に包まれる。恐らく先は短い。三十年と持たず私の気は狂うだろう。職務を辞退し実家へ帰るのが生きる道だろう。分かってはいる。分かってはいるが捨てきれずにいる。固執している。なにに? プライド。と、言えれば易い。もっと複雑に縛られている。
 惑星XYOOZ59『棘』を人間が住めるようにするにはドーム型のコロニーを作る以外に方法はない。母星との距離や建設費用などを考えればとてもこの星を開発しようだなんて気にはならないだろう。
 ならば軍事拠点のひとつとして軍機や補給物資を置く倉庫として利用するのはどうか、と案が出たが私はこれに抗した。力の誇示は諸有人惑星にいらぬ不安を抱かせる。恐れは争いを生む火種だ。力で多くの星を制してきた我々は、我々が思う以上に憎まれていることを知らなければならない。
「惑星XYOOZ59の軍事利用は燃料源に松明を翳すのと同じことです」
「君は詩人のようだね」
 議会のあちらこちらからさざめくように含み笑いが聞こえた。
「私が用意した資料をご覧ください。この星は過去潤沢な資源があった形跡があります。恐らく複数種の生物も存在していたでしょう。この星が枯れた理由を探れば衰退の一途を辿る我が星が滅びの道を免れることもできるかもしれない。調査を続けるべきです」
「調査調査って君は化石時代の人間かね。調査は充分に済んでいる。旧時代的に無駄な調査を延々やれるほど予算は溢れていないのだよ」
「しかし」
「君は反戦派の人間だったね」
「……確かにそうです」
「君の個人的な感情のために国家予算を使おうと言うのかね」
「違います。それはまったく別次元の話だ」
「君が旗を振るのだね」
「……なにを仰っているのか」
「君の意見は充分に分かった。追って沙汰する。下がってよろしい」
「待ってください。話はまだ終わっていない」
 私の言葉が届くことはなかった。議会の戸は閉められたきり二度と開くことはなかった。翌日私は辞令を受け取ったのだ。
『惑星XYOOZ59への環境調査責任者及び同星内諸施設の管理運営責任者として任命す。』
 議会は全会一致。通信機の中から私に愛を囁く男もまた、私を政治の場から遠ざけたうちの一人なのだ。現場での実務運営は私から発言の機会を奪う為のものだと知れた。今すぐに必要ではない土地に厄介者を閉じこめておく、という意図が透けて見えた。
「行くつもりなのか」
「行くよ。おまえも賛成してくれるんだろ」
「そんな言い方止せよ」
「事実だ。……まさかおまえに」
 裏切られるだなんて思いもしなかった。言葉は飲み込んだ。声に出したらお互い傷つくのは目に見えていた。
 シャトルの準備が整うまで、あとどれくらいあるだろうか。言葉を恐れた我々は温みはじめたコーヒーをちびちびと啜りながら持て余した間を誤魔化していた。
「……行くなよ」
「行くよ」
「一緒に暮らさないか」
「なにを……」
 馬鹿なことを言っているのだ、と言うために覗いた表情は恐ろしいほど真摯だった。真剣な眦に一体どんな意味があるのか、私は分かっていた。分かって知らぬふりを続けていた。十年以上、それを許していたのは彼だった。
「行かないでくれ」
 握られた手を振り払ったことに後悔があるのか。今もあの瞬間の彼の顔が脳裏によぎる。もしあのとき彼の手を取っていたら、一体どんな風だったろう。そんなことを考えるのは明日から通信どころかニュースの配信すら途絶えるからだ。
 この見捨てられた星に私もまた捨てられたのだ。そんな極論に至るのも情報から孤立するからに違いない。冷静に判断できている。はずなのに、何故か胸の裡に孤独は拭えなかった。
 プライベートコールのコール音が鳴る。私個人に私用の通信をしてくる者は一人しかいない。ついさっき切ったばかりで何事だろうか。ほんの少しの不安と、それを上回るほどの嬉しさがあった。自分で思っている以上に人恋しいのか。違う。そうじゃないんだ。
「はい」
『ああ、すまないね。寝ていた?』
「いや」
『そうか。……しばらくそちらとの連絡手段がなくなるからね、伝えておこうと思った』
「なに?」
『流星群が引けたら一度そちらへ行くよ』
「何故? 来なくていい」
『会いたいから。帰ってくるつもりはないんだろ。なら俺が行くしかないじゃないか』
「来なくていい。会いたくない」
『行くよ』
「来るな」
 この押し問答の帰結はどこだ。男は来ると行ったら来るのだろう。ならば私はどうする。コロニーハッチを開けないだけだ。着陸できなければ奴も仕方あるまい。
 しばらくの沈黙のあと男は深く息を吐き出した。子供の駄々に手を焼くような響きを感じてしまうのは私の卑屈のせいだろうか。腹立たしさが募ってくる。
『寂しいんだ』
「……」
『会って話がしたい』
「……」
『なあ』
「ふざけんなよ。なにが寂しいだ。おまえには家族も友人もいて、人間がいて、社会があって、仕事があって……なにもかもある。なにもかもあって、なにが、なにが寂しいだ。ふざけるのも大概にしろよ」
 同情しているのか。声にする前に噛み締めた。言葉に出して惨めになるのは己だけだと分かっていたから。しばらく黙ったままだった。男が言葉を発さない間に考える。なにが私を追いつめているのか。私自身だ。私は捨てきれないプライドのためになによりも惨めになっている。愚かな道を進んでいる。プライドのために、私はこのなにもない星で一生を終えようとしている。
 呼吸の音だけ聞いていた。このまま通信を切ってしまおうか。そうしてもう二度と男と連絡を取らずにいようか。そうしたら私は本当に一人になってしまう。だから、切れずにいるのか。打算のうちの感情か。違う。なにかが引っかかっている。言いたい言葉が見つからない。けれど、薄々気付いている。これは言わなくていい言葉なのだと。
『君がいないだろ』
 呼吸の後で男は言った。静かな声音に胸の内がくすぐられる。違う。こんな気持ちは違う。押し込めろ。バカを見るのはいつだって私なのだ。
「俺がいないだけだ。それがどうした」
『言わせたい? なにもかもあっても君がいないと寂しいんだ俺は』
「おまえも俺を追い出したくせに」
『怒ってる?』
「別に。ただ事実を言ったまでだ」
『君とその星を守るためには仕方がなかったんだ。彼らのやり方は君だって分かっているだろう。君がその星にいればその星が軍事利用されることはないし、君がその星にいれば君の命も守られる。君がこの話を断って職を変えてくれるのが一番良かったんだけど、君はそうしない。あの時はこうすることが最善だった』
「この通信は傍受されている。分かっているのか」
『構わないよ。ありがとう』
 プライベートコールとはいえ私に宛てた通信はすべて筒抜けになっているはずだ。それを分かっていながらこんな話をするのはまさか。まさか、から先に思考が進まないのは期待を裏切られるのが怖いからか。確信に近づくための問いを発するのを躊躇っている。私は私が思う以上に彼に裏切られるのを恐れているのだ。もう二度とあんな思いはしたくない。
『ようやく君を迎えにいく準備ができたんだ。一度そちらへ行って、ゆっくり話がしたい』
「……ああ」
『会って、話して、抱きしめてキスをするから』
「おまえはなにを言っているんだ」
『分かってるでしょ。逃げるなよ』
「……ああ、逃げない」
『逃げないならもっとするけど』
「おまえな……馬鹿を言うな」
 何故こんな話になっているのだ。帰って居場所はあるのか、この星はどうなるのか、私がいない間にどういう話がついたのか、聞くべきことはいくらでもあるはずなのに、甘さを含んだ声が紡ぐ戯れ言に戯れていたい。頬は熱い。心臓は痛いほど鳴っている。何故こんな話になっているのか。分からないけれど、心のどこかでずっと期待していたのかもしれない。
『随分遠回りしたな』
「誰のせいだ」
『君のせいだよ』
「そうだな」
『でもね、遠回りして、君に会えなくなって、俺はね、君のこと』
「まあいいよ」
『言わせてよ』
「言わなくていいよ」
『じゃあ、会ったら話す』
「ああ」
『愛してる』
「うん」
『言って』
「……愛してる」
 同じ温度の含み笑いをして、それじゃあまたで通信を切る。はしゃいだ気持ちが落ち着いて、この通信は傍受されている、だなんて言った己の言葉が突き刺さる。なんてことだ。とんでもなく恥ずかしいことを言ってしまった。しかし私よりも恥ずかしい思いをしているはずの男がいるのだ、構うものか。
 火照った頬を冷やすため寝台を降りる。夜空が見渡せるテラスへ向かえば空に流星が一筋流れていく。明日から雨のように降り注ぐ流星群の第一派だろうか。流星に包まれてドームは孤立する。寂しさは私を本当にする。
「寂しい」
 そして、
「愛してる」
 どちらも真実からくる人間への、彼への希求であるのだ。流星が流れきったら彼は船に乗ってやってくる。私はコロニーハッチを開ける。どんな風に彼を迎えようか。どんな風に私は応えようか。明日のことはなにも分かりはしない。恐ろしさもある。期待もある。分からないことばかりだ。けれど、今夜も星が輝いている。きっと明日も明後日も変わることなく輝いているんだろう。大丈夫。口の中に含んだ言葉は真実のように感じられた。



(11.4.10)
置場