はっぴばすでーおめでとうあたらしいじぶん



 誕生日がどうとか言っていたのは二ヶ月前。詳しい日付は忘れた。
 帰宅して早々、テーブルに向かって正座している町田を見た瞬間、いや、テーブルの隅に所在無げに置かれたヒゲ眼鏡を見た瞬間に“ああ、昨日だったんだ”と思い出したのだった。折りしも二年ぶりに誘われた合コン帰りの朝五時であった。
「いやーまさかね、まさか忘れているとは思わなかったから一人ではしゃいでしまいましてね。深夜零時にヒゲ眼鏡をかけた僕のワクワク感っていうの? これはとんでもないサプライズがあるぞっていう期待値の大きさって残酷だよね。深夜二時に外したガッカリ感っていうの? 分かってくれとは言わないよ、だって一人で勝手に盛り上がってただけだからね」
 そんなに言うなら直前に言えばいいものを。終電前に帰ってくるくらい簡単なことだった。
「川井のサプライズを台無しにしたくなかったから僕も。二ヶ月仕込んだネタを台無しにしたくないじゃない。でもまさか合コンへ行ってるなんて思いもしなかったなあ!」
「はいはい、すまんかった」
「誠意が感じられない」
「どこまでこの話続けるわけ?」
「川井がなんでもするって言うまで」
「誰が言うか」
 魂胆はみえみえだ。分かりやすいほど手の内を晒してくる。逆に注意するべきか? 相手のペースに乗らないこと、これがなにより重要だ。俺のバックは俺が守る。
「今夜は空いてるの?」
「えぇ? 空いてねぇよ」
「そっか」
「……空いてるよ」
「じゃ、今夜お誕生日会だね」
「お誕生日会とか……」
「バカみたいって思う?」
「別にいいけど」
 完全にペースに乗っている。準備しないと、と弾んだ声で帰っていった町田を見送りひと眠りするために布団に潜り込んだ瞬間思い至ったのだ。俺は今完全に町田のペースに乗っていた。ノリノリだった。枕の上で俺の頭はようやく働いた。そのままでは危険だ、話の流れを断ち切るんだ! 今更遅い。だが一杯寝て起きた後の俺はきっと強いはずだ。ピシッとしてる全体的に。背後を取られてもいなすくらいのピシッとしぶりだから大丈夫だ。だからなんだ、もう知らん寝る。

 一杯寝ようといって本当に一杯寝るんだから俺はダメなんだ。
 チャイムに起こされた時には窓の外はオレンジ色に変わっていた。宅配便かな? 覚えがないけど。なんて寝惚けたまま開けた玄関先にいたのである。ゆるふわ愛されガールが。
「寝てたかな?」
「……寝てました」
「早く来すぎちゃった?」
「そうですね」
 町田である。声が完全に町田である。パーマヘアに目にかかるくらいの前髪、目の周りが黒い。まつげが長い。そして全体的にシャラシャラしている。てろっとした材質の服を着ている。よく分からん。
「なんか前よりクォリティ上がってない?」
「頑張っちゃった」
 女装テクを磨いてどうする。言いたいが、なにが墓穴になるか分からない。というか、誕生日ぶっちして合コン行ったせいで今女装されているのは恐らく間違いがないので下手なことを言うと危ない。笑いながら怒られる。危ない。ここは楽しいパーティーをつつがなく終了させ俺たち友達! というノリのまま今日は帰ってもらおう。
「ケーキ買ってきたよ」
「小さいやつ? ホールのとか持て余すぜ俺」
「カットしてあるやつ。あ、ごめん。ちょっとケーキ持ってくれる?」
「おぉ、うん」
 調子が狂う。視力矯正機能を著しく欠いた眼鏡のせいか町田であるのに女の子に対するようなぎこちなさを感じてしまう。毛先を巻いていても中身は変態男。騙されたらいかんと思いつついつもの調子が出ない。ケーキが入った袋を受け取って部屋へ、と踵を返す瞬間ヒヤッとした感触が手首に触れた。
「アホが!」
「やんっ! 失敗しちゃった」
 といっても俺の右手首にはおもちゃの手錠がはまっているのだが。ぎりぎりまだ自由。手錠の左手部分が他へ繋げられない限りこの手錠は無効化される。始まったわけだ、勝負が。
「手品師かおまえは。どんな手際のよさだ」
「逮捕しちゃうぞ、みたいな」
「そうはいくか。善良な市民に対する逮捕など何人も認められていない!」
「もーいいからケーキ食べよ」
「うぜぇ」
「うざくないもん」
「うぜぇ」
「うざくないもーん」
「もういいよ……、っていうか俺なんも用意してないよ」
 そもそも極貧生活を営む俺がマンション住まいの車持ちになにをプレゼントしようというのか。俺が貰ってしかるべきなんではないか。お米券をくれ。お米券かビール券をくれ。家賃を払ってくれお誕生日のお祝いに。言えないな。換わりに身体で払えとかそれ系のエロ漫画展開を強いられるのは目に見えている。分かっているんですから俺は。
「あたしが一杯用意してきたから安心してね」
 まさかお米券……? まさかな。
「まずはぁ……シャンパーン」
「すげぇ。高そう。有名なやつ?」
「結構高いやつ。おいしいといいね」
「あ、でもうちシャンパンとか飲むグラスねぇよ」
「なんでもいいじゃん」
 そういうわけで俺が普段麦茶を飲む時なんかに使っているグラスを数万円するだろうシャンパン用に用いることにした。チグハグだ。
 テーブルの上に町田が買ってきたケーキやらローストビーフやらお惣菜を並べるとパーティー的な雰囲気がかもし出されてきた。一瞬俺の誕生日か? と錯誤しそうになるほど俺はなんの用意もしていない。町田の誕生日を町田の準備した飲食物を飲み食いしながら過ごす、というのはなんだか自作自演の悲しさがある。しかも町田は女装姿だ。不憫な気さえする。
「なんか欲しいもんある? 似顔絵でいい?」
「裕ちゃんが欲しい」
「俺は物じゃないからダメ」
「人物……、ひとものと書いて人物!」
「似顔絵ね。十秒で描くわ」
「せめて油で描いて! 長期間あたしと向き合って!」
「油ねぇ……道具ねぇよ」
「あたし買うし」
「それおかしいだろ」
 うふふと笑う町田につられて俺も笑ってしまう。悪いやつではないのだ。悪いことをするだけで。それなら悪いやつなのか。思い出してもみろ。いや思い出さない方がいい。酷すぎる色々と。だけど俺のことこんなに好きになってくれるのはきっと町田だけだろうとも思う。この先も他に現れないだろう。端からなかった自信がこの度の合コンで完全に打ち砕かれてしまった。フリーターですと言った瞬間から女の子と目が合わなくなってしまった。だからと言って漫画を描いてますと言ったって多分ダメだった。女性器を描いてますと言う方が圧倒的にダメだろうことは分かっているのだ俺だって。
「まぁ、なんでも買えるとは思うけどさ、消しゴムくらいなら買ってやるよ」
「じゃあキスして」
「じゃあってなんだよ普段なら金払うのかよキスに」
「えっ! お金払ったらキスしていいの?」
「そんなわけねぇだろバカか」
「だよねー」
 だから、奪っちゃう。と宣言間もなく俺の唇は口紅でコーティングされた町田の唇に塞がれていた。心のどこかでやっぱりな、と声がする。キスくらい覚悟していたのだ。早く終わればいいのに。そう思っている間は終わらないものだ。町田の舌は俺の性感を煽るような動きばかりする。まにまに口紅の味が舌に絡んできて不快な気がする。しかし口紅を否定することは女の子を否定することと同義な気がして俺は飲み込めない不快感を飲み込んだふりをする。
 長い長いキスの合間に身体を撫でられる。セックスする気は更々ないのでその手を押しとどめる。が、町田は怯まない。むしろ乳首を摘む指に力が籠る。痛い。だが俺も負けてはいられない。俺の乳首を虐待する右手を止めるため腕を思いっきりの力で握り引き剥がしにかかる。すると俺の顎を掴んでいた町田の手に力が漲る。痛い。じわじわ痛い。ふざけんなバカ野郎、背中を思いっきり殴る。
「……」
「……」
「……おとなしく言うこと聞いてね」
 ニコッと笑う。まさかここへきてのぶりっ子。キスくらいまぁいいか、なんて思ったのがそもそもの間違いであった。
「なし! なしなしっ! 終わり!」
「終わらない」
「今終わった! な!」
「まだまだ続くよ」
 そう言って町田はパンツを脱いだ。スカートの中から男物のパンツが出てくるショックはなかなかのものだ。引いた。だが引いてる余裕があるなら逃げ出す方が先だった。俺はなにをまじまじと観察しているんだ。バカなのか? バカだろう。うっかり忘れていた俺の右手の手錠の左手部分はどういうわけだか町田の左足首に繋がったのである。
「なにしてんだバカ!」
「なにすると思う?」
 完全に、顔の上に、跨られている。たくし上げられたスカートの下に出来上がった状態のご子息がおられる。近い。近すぎる。
「口開けてー」
 この状態で口を開けるバカがどこにいるんだ。抗議したいが言葉を発したら負けだ。つまり、俺は今腹話術の必要に迫られている。
「んんんっ!」
 アホかっ! ニュアンスは伝わったろう。アホだ町田は。
「本当はこんなことしたくなかったんだよ」
 絶対嘘。絶対計画的犯行。血管のビキビキに浮かび上がった町田の本性が俺の顔面に接触する。ぐしゃりと俺の中でなにかが崩れた音がする。プライドか。プライドなのか。目頭の近く、鈴口から露が浮かんでいる。泣きそうだ俺。でも泣いて許してくれる町田ではない。知っている。というか許すも許さないも俺の側がすることで町田がすることといったら詫びる以外の選択肢などない気がする。だが涙が出そうなので目を瞑った。奥歯もまぶたもきつく閉めてできる限りダメージが少なく済むようにしたい。町田のちんぽが顔に擦りつけられている現実は変わらない。
 ぬめりを増していく。町田の息遣いも上がっていく。昂奮しているのか、こんなことに。
「……っ、出すよ」
 うるせー知るか出すなバカ。一拍おいて頬から下に液体をかけられた感触があった。殺す。強制顔射の罪で殺す。許さん。絶対に許さん。顔に擦りつけた罪で殺す。お縄を頂戴しようが構わん。やる。
「汚れちゃったね」
 汚したんだろうが。どの面下げて言ってるんだこいつはと薄目を開けて窺った町田の表情は恐ろしく無感情だった。逆に怖い。
「本当にこんなことするつもりなかったんだけどなぁ」
 俺の顔面に散った精子を指先で拭いながら言う。犯罪者のセリフだそれは。
「口開けて」
 精子を纏わせた指先を俺の唇に押し付けてくる。“こんなことするつもりじゃなかった”んじゃねぇのかよ。わけ分かんねぇ。
「ほらぁ……、終わんないよ」
 人差し指と中指が無理矢理唇を割ってくる。下衆が。口開けて終わるなら終わらせてやろうじゃないか。後の血祭り開催決定のお知らせとともに。
「……こ、っうぇ」
 言葉を発する間もなく指先が喉の奥に触れた。えづいた。喉はいかん。喉は弱点だから常識的に考えて。二本の指は俺の舌をチョキしたり上顎をくすぐったりピストンしたりスケベくさい挙動をした。持ち主のどすけべさが反映されているのだろう。俺は思いつく限りの絞め落とし技を考える。手首が痛い。町田が片手で手錠の鍵を外しているのだ。今こそ時なり。俺の経歴に犯罪歴が記される発端だ。
「んっ! ……ぐ、ぅ」
 起き上がろうと肩肘ついた間もなくマウントポジションからの口付けに俺はぐうの音しか出せなかった。顎を持ち上げられたままのキスはかなり苦しいものがあった。というか、自分が吐き出した精子を拭った口にこいつは舌を入れるのか。信じられん。というか、俺に精子を飲ませようというのか。
「しっ、しねっ! ん、んっ……く」
 今までで一番辛いかもしらん。
 とりあえず殴った。背中をパーで。少し考えてグーにした。思いっきり殴った。パーの間はおとなしく殴られたままだった町田はグーへ移行した途端俺の腕を力づくで押さえ込んだ。痛かったのだろう。殴ろうとする力と押さえ込もうという力の差は歴然であった。俺は弱い。
 口付けは首筋へ移動していく。この期に及んでまだやる気かこいつは。俺の殺る気に薪をくべる野郎だ。
「おい! いい加減にしろよ」
「あ!」
「なんだよ」
「さっき大家さんにあったから家賃払ってきちゃったんだけど」
「うそマジで? 返すわ」
「いいよ、僕も半分住んでるようなものだし」
「マジで? いいの? 助かるけど」
「いいよいいよ」
「今月苦しかったから助かったわぁ! なんつって誤魔化されねぇけどな、俺は!」
「そんなつもりじゃないって……そうだ、お米も切れてたから買っておいたよ」
「マジで? すげぇ助かる。……俺はそんな甘い男じゃねぇぞ」
「分かってる分かってる。ビールも買ってきちゃったんだけどね」
「ぜってぇ許さねぇ」
「分かってる、ちゃんと気持ちよくさせる!」
「なんの話だよ」
「なんだろう?」
 笑って誤魔化せると思うなよ。
 ……笑顔以外に誤魔化された。泣いた。ビール飲んだ。今まで守ってきたものが町田にどんどん奪われている。なんて可哀相な俺だろう。翌日町田が作ったおでんが美味かったりして平気になってしまって許容できる範囲が広がっていっている実感がある。ダメだろう常識的に考えて。逸脱しすぎだろう。けれどチラチラ別にいいじゃんという自分がいるのに気付いている。別にいいじゃん? よくねぇよ。よくねぇけど、別にいいのか? 案外平気になってしまっているんだから。
「いや、ダメだろう」
「え? なにが?」
「なんでもねぇよ」
 ダメだからダメ。それ以外にあるか。



(09.10.15)
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