初夏の元気なご挨拶〜あなたは笑顔を殺すから〜



 今年初めての夏日を観測した今日、俺はチャイムの音に素直に従い玄関を開けたのだった。普段ならば居留守を使う。真っ昼間に訪ねてくるのは大概かったるい人間だけと決まっているからだ。宅配業者の気配を察知する能力を身につけた俺はお届け物以外に見向きもしない。
 それが何故、今日は開けたのか。俺は麦茶が飲みたかった。麦茶を飲もうと腰を上げたところにチャイムが鳴ってしまったのだ。特に考えることもなく玄関を開けた。眠気も空腹もなく万全の体調であったから、訳の分からん神様の話をされても上手くスルーできる気がしていたのだ。
 それがどうだ。玄関を開けた早々に町田だ。俺の世界には町田しかおらんのか。そんくらい町田尽くしである。
「おまえな、いちいち呼び鈴鳴らすなよ」
 渡した覚えはないが合い鍵を持っているのだから普段通り黙って入ってくればいいのだ。いつものように言うと町田は俯いたままうんと頷く。なにかテンションが低い。罠か? いや、……罠か? それともまさか、罠か? 落ち込んでいるのかもしらんが俺の中の経験値上罠である可能性を捨てきれない。というか落ち込んでいる町田にかける言葉などない。どうしたの? とか言うのか。で、へー大変だねとか言うのか。白々しくも! 元気出せよとか言うのか。白々しくも! 寒い。なんかそういう友情っぽいこと今更薄ら寒い。
 町田が顔を上げる。なんとも形容しがたい顔をしている。なんだその顔は。しんみりとして丸ペンって感じ。点描って感じ。全然分かんねぇ。落ち込んでいるのか? あーもう全然分かんねぇ。考えることを放棄しようとした瞬間、町田に抱きつかれた。不甲斐ないことに一瞬身体はビクついた。言葉もなく両腕ごときつく抱き締められて俺は身じろぎもできずに固まった。少女漫画かこれは。なにかが展開されているのか。俺の知らないストーリーが。
「おい……」
 不意に左手首にひんやりとした感触。を、覚える間もなくほんの少しの痛みとともにカシャンという金属音……。
「図ったな!」
 首元にかすかに笑う町田の息がかかった。咄嗟に上げようとした右手は町田に押さえられきつく抱き締められながら、程なく右手首にも金属の冷たさを覚えたのであった。
「俺は情けないよ、町田」
 訳の分からん芝居を打ってまで俺を後ろ手に拘束するその情熱が。そこまで性にかける情熱が。俺は同級生として恥ずかしく思う。ただ麦茶が飲みたかったばっかりに、気まぐれに玄関を開けてしまったばっかりに、落ち込んでいるのかな? と気にかけてしまったばっかりに、こんな目に遭わされる俺の不遇を思うと涙が出そうだ。
「川井は本当に学習しないよね」
 そんなところが好き、と声を弾ませる。俺はそんなところが嫌いだよ!
「とは言え心配そうにこちらを見てくる顔が素敵だったので」
「あぁ?」
「どちらか選んでください。二択です」
「いやです」
「一、僕の気が済むまでキス。二、わりと無茶めのセックス。さあどっち!」
「どっちもいやです」
 うむ、といった感じで町田は頷くとじゃじゃーんと効果音付きで何かを取り出す。
「どっちもイヤなら三番。実は今日秘密道具を持ってきたのでこれで無理矢理にでも口開けさせて咥えさせますけどそれでも構いませんね?」
「構うわボケ! 一! いちいち、一番で!」
「キスでいいの? 僕しつこいよ」
「知ってる」
 だがしかし強制的に口を開けさせられて口内に無理矢理ちんぽを突っ込まれる方が嫌だ。キスだってどうせろくでもないキスに決まっているが、今更キス程度、どうってことはない。
 町田の顔が迫ってくる。視線が邪魔くさいので目を逸らす。一瞬触れた唇はすぐに離れた。
「もうよろしいか」
「またまた」
 笑いながら言う。まあね。そうでしょうね。

 だからといって一体いつまで続ける気なのか。ベッドに背を預け町田にされるままキスが続く。舌は口蓋をなぞり、舌に絡み、歯列をなぞり、舌を吸い、上唇を舐めたかと思うと唇を甘噛みしたり、また舌に絡み……延々続く。
「まっ……、んうっ!」
 顎を引いたら持ち上げられ、頭を引いたら押さえられ、ただひたすらにキスが続く。もう嫌だ。口痛い。だるい。後ろ手に固定された腕も痛い。口の中で舌先はくすぐったい場所ばかりを嬲ってくる。イライラする。不本意ながら口内は鋭敏になっていく。唾液の捏ね合わされて立つ音に想像力がいらん仕事をする。
「ん、んっ! はっ…う、ん」
 ゾクゾクと下半身へ降りていく熱は粘性の雫が垂れるようにとぷりとぷりと溜まっていく。キスしかされていない。他には町田の髪や鼻息が顔面をくすぐるぐらいだ。にも拘らずどうしようもなく性感に追い立てられている。
「も…、はっ! も、いやら」
「まだ」
「口痛ぇんだよ」
「……ほんとだ、唇赤くなってるね」
 町田の指先が唇をなぞる。たったそれだけに身体が震える。ものすごく不本意だ。
「舌出して」
「やだ」
 俺の返答に小さく笑った町田は人差し指と中指で俺の唇をこじ開ける。微かな塩味と口腔内の圧迫感に喉が引き攣った。恐らく俺は潔癖症だ。第一関節、第二関節が唇を割り歯を持ち上げる。
「ぐっ、……うぉぇっ」
「掴もうとすると引っ込むんだね」
 面白いと笑いながら二本の指は逃げる舌を捕らえようと動く。口の端からは堪えようもない唾液が顎を伝う。嫌だ。苦しい。はずなのに、町田の指が口蓋や舌の付け根をくすぐるたび言いようのない痺れが下腹へ走っていく。たかがキス程度で、欲望はパンツの中に育っている。
「もぉいいだろ……」
 頭を振って指を吐き出し俺は俺の限界を訴える。吐き気によって滲んだ涙が視界を歪める。鼻水も出そうだ。涎も垂れて、その上鼻水まで出たらぐっちゃぐちゃじゃねぇか。
「おちんちん苦しい?」
 どこか冷めたような口振りだった。眼差しは暗い。苛立つ気力もどこか萎えていく。言えばなにをされるか分かっていた。けれど俺は、されたがっている自分を最早否定できないでいる。
「……くるしい」
 町田の含み笑いの温度はやはり冷えている。自分で仕掛けてくるくせに、熱狂の最中に冴え冴えと冷めている。ポーズなだけか。酷薄に細められた目の奥が俺は怖くてならない。
 下着ごとズボンを取っ払われる。ああもう嫌だな。ベタベタに濡れた勃起は外気に冷やされる。けれど見られて恥ずかしい? 知らねぇけどまた雫が垂れる。町田の脚に引っ掛けるようにして開かされた脚の間でいきり立ったものは快感の予感に震えている。
「キスだけでどこまでいけるか試してみる?」
「ふざけんなよ」
「舌出して」
 だからもうキスは嫌なんだって。言いたいが、また強硬手段に出られても嫌だ。素直に舌を差し出す。
「舌短いね」
 知らねぇよ。言う前に、町田の顔が近付いてくる。俺の出した舌先をちろっと舐める。思わず舌が引っ込まないように意識的に舌を出す。ちょっとしんどい。町田の舌は舌先を舐め、絡まり、軽く吸い付いて甘く噛む。それはどこか口淫の仕草に似ていた。と、意識した瞬間にまたペニスに芯が通るように刺激を覚える。蟠る熱が自然と腰を動かし始める。最低だもう。
 開きっぱなしの口から唾液が垂れこぼれる。いくらか喉の奥へ流れていき噎せないために飲み込んだ。町田は舌をしゃぶり、絡め、また唇を合わせるほど深く舌を差し込んでくる。同じようにくわえてほしい。解放されない欲望は頭を単純にしていく。触ってほしい擦ってほしい舐めてしゃぶってほしいそんなことばかり考えてしまう。
「んっ、んんっ! ふっ、う……」
 町田の指は願っている方向とは別へ動く。腹を撫であばらを上り両乳首をこねる。指の腹で擦り潰すようにされるそこはすでに芯を持ち勃起していた。指先に摘まれ爪を立てられ、かと思えば産毛を撫でるような優しさで慰撫される。高められた身体は小さな粒から起こる快感に震えだす。ほんの少し指が掠っただけで脊椎を走り抜けていく信号があった。
「触んなくてもイケそう?」
 ちらりと赤く腫れ上がったペニスを見遣りそんなことをのたまう。
「ばか、むり」
「そう?」
 あ! と突然声を上げ町田は身体を離す。え? と内心の動揺を悟られないよう立ち上がった姿を目で追う。程なくして町田はバスタオルを片手に戻ってきた。俺んちのバスタオルだ。
「下汚れるといけないから……もうちょっとこぼれてるね」
 と言って俺のケツの下にバスタオルを敷く。その気遣いを俺のちんぽに対しても持ってくれないだろうか。柔軟剤を使っていないバスタオルはざらついていて少し痛い。
 再度脚を開かされる。俺としても早々に欲求の解消を図りたいところだったので否はない。町田がローションを手にするのをかすかな期待を持って眺める。
「あっ! んっ……」
「気付いてた? こっちも欲しそうにキュウキュウしてたって」
 知らねぇよ。言えるはずもないほど慣らされたアナルは襞をなぞられただけで収縮した。人差し指と薬指はケツ襞を開くように据え置かれ中指がゆっくり差し込まれていく。指先、から第二間接へ。付け根まで差し込まれたそれは入ってくるのと同じだけゆっくり引き抜かれる。数回の繰り返しを息を潰して堪えていた。排泄器官がその先を欲しがって卑猥な収縮を繰り返している。自分自身の身体が俺は嫌で嫌でたまらなかった。
「あっ、あ……、やだ、ちんぽも」
 して欲しいのに。しろって言うのに。町田の指は中をこじ開け、もう片方の手はまた乳首をこね回す。町田の唇が外耳を食み、舐め、歯を立てて呟く。
「すけべ」
 男はみんなすけべなんだよ。いかに気持ちよく射精するかってそれだけなんだよ。なのに何故後ろめたいことのように言われなければならないのだ。
 戒められているわけでもないペニスはゆるくぬるく続く刺激にカウパーを垂れ流す。二本指が擦り上げる前立腺からの刺激に両足は不随意に震えた。時折張り詰めた陰嚢に手のひらが当たると射精感は更に高まり、その刺激欲しさに腰を振った。
「町田……、擦って」
「かわいいな」
 知らねぇし。ていうかちんぽ触れよ。アホかよこいついい加減にしろよ。射精できないあまり身体はおかしくなっていく。皮膚全部が過敏になったように町田の髪が触れるだけで、息がかかるだけで、愛撫を受けたように悦んでいる。身体の芯へ熱を震わせ行き場のない欲求が皮膚感覚をおかしくさせているのだ。
 シャツをまくり町田は乳首へ吸いついてくる。違う。そこじゃなくて。アナルをピストンする指は前立腺を擦り潰すように動く。違う。それじゃないんだ。
「あっ! うっ……、はっ、は……」
 張り詰めた乳首を一際強く吸い上げられた瞬間に、一際強く中を抉られた瞬間に、極限まで高められた性感は一瞬白く散った。キュウと縮んだ脳が一気に膨張したような、射精した瞬間と同じような解放があった。身体中から力が抜けていく。
「イケたじゃん」
 町田は笑う。優しいんだか冷たいんだか分からん顔で。デコにキスして頭を撫でる。なんだそれは。愛情の仕草かしらんがふわふわと捕らえどころのない身体はそれしきの接触にも震えた。
 町田は下履きを脱ぐ。そっか。挿入ね。するんだ。そうなんだ。座ったまんまで引き寄せられる。跨がされる。そっか。対面座位か。へー。なんて思ってる間に先っぽがぐずぐずのアナルへ触れる。ご褒美、だとかバカを言って。なにが褒美なものか。一事が万事罰ゲームじゃねぇか。いや罰ゲームではないのか。気持ちいいし。うわー。気持ちいいし、だって。バカじゃねぇの。
 押し拓かれる抵抗に息が詰まる。ずぶずぶに入っていく。ぞくぞくと押し上げていく。苦しさがあった。脈打つ肉塊に押し潰されてしこりは更に性感を高め意図せぬ震えを走らせる。筋肉の痙攣にすら感じている。俺の感受性は一体どうなっているのか。
「すごいうねってる」
 知らねぇよ。後ろ手に拘束されたまま縋るよすがもないままに、町田に支えられながら密着する。頚椎から腰椎へ指先は辿り、入っている箇所を撫でられると俺の浅ましさ、町田の下衆さをまざまざと感じさせられた。にも拘わらず、俺はその指先を別のところに欲しがっている。堕ちるとこまで堕ちたな。悲しい堕天使だわ。堕天使? 堕天使ねぇ。まあどうでもいいから擦ってほしい。
「まちだ、ちんぽ」
「僕がちんぽみたいに言わないでよ」
「シコって」
 ケツん中で肉の棒がびくびくしてるせいで前立腺方面がもう変な感じになってるから。町田下衆バカ野郎はすぐさま俺のちんぽを擦りピストンするべきだろうと俺は思うわけだがなにか間違っているだろうか。すべて!
「あっ、あっ、あ……んんっ……」
 将来は女子アナみたいな女か弁当を茶色一色にまとめる女と結婚して貧しくも幸せな家庭を築くだなんて、最早夢をみることすら現状の俺の後ろめたさ故にできなくなってしまった。ケツこじ開けられて気持ちよくなってる俺が女子アナや彩りの分からない女を幸せにできるはずもない。
「ひっ…! イくっ、イくからぁ」
 なんて言って。膝に重心置いて自分でも動いてみたりしちゃって。みこすり半でイって、イってんのに突き上げられてまたイって。男の象徴でイっているのだかなんだかもう分からんような感じになって、バリバリだったバスタオルがくたくたになる頃にはなにがなんだか、どうでもよくなった。

 手錠を外されてもしばらく腕は痛かった。不貞腐れてベッドへ横になる。町田は俺を懐柔しようとやたらベタベタしてくるが完全にお門違いだ。もっとこう、スポーティーな感じを演出するべきだ。セックスはスポーツだよね、みたいな空気を出すべきだ。いい汗かいたね、ポカリだね、みたいな空気を。でなければ愛もないのにあーんいくいくーだなんて言ってた俺がバカみたいだ。
「ポカリ買ってこいよ」
「ポカリだけでいい?」
 妙に労しげな口調で言う。ムカつくんだよなんかそういうの。俺がなんかわがまま言ってるみたいじゃないか。
「アンバサも」
「売ってるの見たことないよ」
「アンバサ見つけるまで来んなよ」
 はいはいみたいに言って、メンドクサイ彼女に対するように言って、町田は戸外へ買い物へ出る。十数分後帰宅した町田はポカリとサイダーを入れた袋とひとつ八五〇円もするセレブ弁当を買ってきていた。とんかつがでかい。そして見るからに衣がサクサクしていそうな気配がある。
「アンバサは?」
「売ってないよ」
 とんかつで誤魔化されると思うなよ。ソースとからしをつけて一口。サクリ。そして豚肉は筋が歯に挟まることなくスムーズに噛み切れる。最早奇跡としか言いようのない出来上がりにうっとりする。ベタ甘いサイダーも久し振りに飲むとなんだか妙に妙に美味い。
「おまえ結局今日なにしに来たんだよ」
「え? コミュニケーション? とりに?」
 つまりこれだけか、目的は。そうなんじゃないかなと思っていたけど。どうせそうなんだろうなと思っていたけど。脱力しきりの初夏の夕暮れ、鼻を抜けていく三ツ矢サイダーの香りは夏の感じがした。とかなんとか、もうどうでもいいです。



(11.5.26)
置場