イベントの日も我々は飽くなき戦いを戦い続けるのであった



「川井くんはチョコ貰ったりしたのかな?」
 二月十四日したり顔でやってきたのは町田にほかならない。俺はストーブにゼロ距離接触して指先の氷を溶かす。
「川井くんは義理チョコなんか貰ったりしたのかな?」
 何故くん付けなのか、推し量るまでもなくバカにしているんだろう。なにか粉のかかったチョコを食べながら言う。
「僕こんなに食べられるかなぁ」
 積上げられるこじんまりとした箱の数々は高級感に満ちた包装紙がかかっている。
「それで、川井くんは……」
「貰うわけねぇだろ! こちとら五日家から出てねぇよ!」
 そういうわけである。とはいえ五日間外出していたとしてバレンタインなんてイベントに乗じれたかというと怪しいものだ。なんと言ってもここ数年の女っ気のなさがヤバイ。彼女という女がいたのはもう数年前のことだ。大学時代のことだ。以降はめっきり、さっぱり、時々女の格好をする男以外に縁のない可哀相な状態である。最早バレンタインだからと言ってチョコを期待することもない。チョコを妬むこともない。おーおー勝手にやりなさる、という彼岸の境地である。だがしかし。だがしかしである。
「なんでおまえそんな貰えてんの?」
 町田が女もいける口、というならば分からないでもない。だが町田である。「女の子? ああ、昂奮しない」そう言い切った男である。貰うこと自体が失礼ではないのか。
「全部義理だよー」
「だろうな」
「本命いるって言ってるし」
「ああそう……」
「漫画家です! って」
「言うなバカ!」
「言いたいけど言ってませーん」
「ああそう……」
 むかつく。普通にむかつくこいつ。なんか高そうなチョコをぽいぽい口に放り込むのもむかつく。一粒いくらなんだそのチョコは。噛み締めろよもっと。義理だからいいのかよ。義理とか本命とか、一粒の単価の高さの前では意味を成さないだろ実際。
「いつもは貰わないんだけど、今年は貰ってきた。川井に自慢しようかと思って」
「なんだよそれ……」
「チョコを使ってなんかできないかなぁって」
「菓子の家でも作るんか」
「いや、違うけど」
「じゃあなんだよ」
「なんだろうねぇ」
 むかつく。という言葉しか出ないのはやはり俺はチョコに嫉妬しているということだろうか。解脱しきらんな。高そうなチョコはちまちましたサイズでパウダーが振りかけられていたりツルッとしていたり色々だ。箱の裏を覗いて原材料などを眺めてみる。とりあえず粉の正体はココアパウダーで間違いなかろう。あとはアーモンドやらのナッツ類、なんちゃらリキュール、なんとかかんとか。色々入っているようだ。
「食べたい?」
「別に……」
「一人で食べきれないし食べてよ」
「まあ、そんなに言うなら……」
「あーんして」
「あぁ?」
「川井があーんして、僕がチョコを食べさせる感じでいこうかと」
「うざ……」
「こんな美味しいチョコ、川井は食べる機会がないだろうし」
「おまえそれはどういう手口なんだよ」
「じゃあ食べてやる! みたいな」
「俺そんな手口に引っかかったことあるか?」
「意外といけるんじゃないかと踏んでるんだけど」
 こいつはバカなのか。バカだな。俺のことが好きすぎて頭おかしい。という結論に至る俺の頭も大概おかしい。あーんしてチョコを食う? それは一体なんなんだ。なにが目的だ。分からん。だがチョコが食いたい。食いたい気分になってしまった。ならば別に構わないか。口を開けるか。性器の気配があったら即逃げればいいか。性器の気配? なんだそれは。流石に町田もそこまでバカじゃないだろう。
「あ」
「え? やるの結局」
「食いたいんだよチョコが!」
「はいはい、あーん」
「あ」
 舌の上に乗せられたチョコはじわっと溶けた。甘さの中にカカオマスの芳醇な香りが広がったりとかなんか知らんけど美味いなんだこれは。
「うまっ……、なんかチョコの別次元って感じだな」
「人気あるらしいよ」
「マジうめぇな。ちょっとコーヒー淹れてくる」
「あ! じゃあ僕も」
 行平鍋に水を入れてコンロにかける。コップにインスタントコーヒーをざかざか入れて、砂糖は入れるか迷った挙句入れて、早々沸いた湯を注ぐ。百度の沸騰ぶりではなかったけれど、八十度だって充分熱い。クリープはないから牛乳で。するとどうだろう、すぐに飲める温度になるのだ。これで俺は毎年火傷知らずだ。
 俺が退いたことを良いことにストーブに張り付いていた町田をどかしストーブ前に陣取る。ありがとーとかバカっぽい言い方をして町田は一口コーヒーを啜った。コーヒーブレイク、というにはあまりにも安っぽいコーヒーであったが、その分チョコレートが補ってくれているようだ。町田に促されて口を開ける。口の中へチョコを放り込まれる。味わう。コーヒーを喉へ流す。するとどうだろう、コーヒーの味がしない。同じカカオ出身でありながらインスタントコーヒーはチョコに負けるのである。
「はい、あーん」
「あ……、ん。うまっ」
「君はバカじゃなかろうか」
「おい、どういう意味だそれは」
「もう僕困っちゃうな」
「なにが」
 と、つぜん町田の上半身が接近してきたので思わず後ろへ下がる。瞬間電気ストーブの金網に素手が触れ熱さに思わず手が出た。
「熱っつ! アホが!」
「痛ーい!」
「あ、悪い! ……いや違うだろ」
 思わず謝った俺はどれほど善良なんだろう。俯いている町田を覗き込む。顔を上げた町田はなにも痛そうでもなく、悲しそうでもなく、あ、この顔はやばいと察するに余りあるほど見慣れた顔をしていて、あ、やばいな、と思ってる間に町田の唇は俺の唇に押し付けられていた。どうしようかな、と思ってる間に唇は離れていく。
「頑張っちゃった」
「……おまえはなにを言っているんだ」
「チューだけとか恋人っぽくない?」
「知らん。知るか。どこの常識だ」
「じゃあ、もっと恋人っぽいことする?」
「はっ? 嫌ですけど。恋人とか違うし俺ら」
「よし、頑張っちゃうぞ!」
 そう言ってテーブルをずるずるどかすと町田は腕をまくり俺の隙を窺う体勢に入った。バカが。ならば俺も姿勢を正し、いつでも回避できるよう万全の体勢をとる。勝負はまだ始まったばかりだ。



(10.2.14)
置場