fallin'



 幾筋も尾を残し流星は夜空を流れていく。
 満天の夜空に傷をつけるみたいだ、と生頼は溜息をついた。たとえ微かな傷をつけたところで宇宙に風穴が空くわけではない。いくつも星を落としても、代わりにいくらでも輝いている。
 だけど、星がすべて落ちたら――。
 生頼は夜空に目を細め、星をすべて失った宇宙を想像する。まっくらでなにもないその空間は、観察者を失った時点でないのと同じだ。腕時計の電子音が時間を知らせる。今日は半年に一度の試験結果が出る日だ。生頼はホールへ向かう足を速めた。

 百年前にはロボットに載って敵と戦う、なんてことはフィクションにすぎなかったらしい。異星人の脅威なんて唱えるのは頭のおかしい人間だけだと思われていた。
 彼らが地球上空に現れた時、人類はそれでも現実を受け入れられなかった。ミシガン州上空に浮かんだ巨大な昆虫のような、鳥のような多足生物は街一つを飲み込んで、その後数か月活動を停止させた。
 その間人類はあらゆる手段をもって得体の知れない異星生物への攻撃を仕掛けたがどれも彼の生命活動を停止させるには至らなかった。
 彼らは二十年の時をかけて地球を侵略していった。二十年の時をかけて地球人は抵抗し、やがて地球を脱出することを選んだ。
 各国から出発した大型シャトルは箱舟と呼ばれ、地球から三千人ほど脱出を叶えたが、火星の基地が完成するまでに半分が死んだ。箱舟には生き残る術もありったけ載せられていたが、それでも基地が安定運用されるまでに地球人は更にその数を減らした。
 火星へ移住してから十年ほどで人々は安定して暮らせるようになったが、いつ地球を襲った彼らが火星へ目を向けるか分かったものではなかった。
 抗するために、生き残った人々は彼らを殺傷するための兵器を作った。火星で発見された現生物の遺伝子を使い、彼らと同じだけ大きな兵器を作った。それが十八年前だ。頭部に角を象ったそれは皮肉にもゴートと呼ばれている。
 ゴートは遠隔での操作がかなわず、パイロットを要した。しかし地球人には生体兵器であるゴートとの神経リンクは行えず、遺伝子にゴート細胞を干渉させた人間のみがパイロットとしての資格を持つ。
 巨大なゴート本体を直立させるためにはパイロットの身体バランスが正確であることが求められ、骨格や筋肉のバランスが歪んだ者は外科手術によってそのバランスを調整された。
 生頼は手術なしで完全なバランスを持つ数少ない一人だった。
 手術により身体バランスを整えた者よりも生身のパイロットの方がゴートとの身体リンクは有利とされ、実際に生頼はリンク試験の成績上位者であった。

「遅かったな、見るまでもないってか?」
 生頼がホールへ到着すると根古はニヤニヤ笑って手招いた。人望は厚いが友人は少ない生頼にとって誰にでも人懐っこい根古は人との懸け橋になる存在だった。
「そんなことないよ、最近背が伸びたし」
「ナチュラルはそれが怖いな。知らないうちに歪んでいざと言うときリンクできません、なんて洒落にならない」
「定期的に調整される方が間違いはないね」
「だけど上位にはいけないんだ。――結果は?」
「いつも通り」
「余裕だな」
「まあ」
「なんでアーティで完璧にできないんだろうな」
 根古の呟きに生頼は肩を竦めた。今はまだ手術なしで完全な身体を持つナチュラルがゴートとのリンクに優位性を持つが、今後はアーティフィシャルである人為的にバランス調整された彼らが優位になる可能性だってある。ゴートの研究はまだ日が浅いのだ。
「また一位はあいつか」
「ああ、すごいよな」
「おまえ悔しくないのかよ、あんなイレギュラーなやつ」
「別に、結果がすべてだろ」
 生頼が定位置である二位ということは一位は日角に決まっていた。彼も生頼と同じナチュラルであったが、生頼と違い身体バランスは完全ではなかった。手術により完全なバランスを得た者、生まれながらに歪みのないバランスを持つ者の中で脚を組みだらしなく椅子に座る日角の姿は浮いていた。彼は歪んだ身体を持ちつつゴートとのリンクを完璧にこなすただ一人の例外だった。手術によってその機動性や正確性を失う恐れがあるとして彼だけ矯正手術を免除されているのだ。
 生頼が見つめるのに気付いたのか日角がちらりと視線を向け、すぐに興味を無くしたようにそっぽを向いた。これもいつものことだった。
 日角は誰にも興味がないようだった。その特異性から妬みや称賛、他人の感情を様々に寄せられて心を動かすことはなかった。それは次席である生頼に対してもそうで、生頼が日角を見つめるほどに彼は生頼に興味を抱いてはいなかった。
 ホールの隅で泣いている声がする。名前も知らない女の子だ。恐らく彼女が今回最下位だったのだろう。可哀相にと根古は呟いた。生頼は黙って目を逸らした。
 最下位の者は次回、インベーダー討伐のためゴートに搭乗する。勝算はゼロに等しい。未だ実戦から帰還できたのはただ一人、かつて彼女のように最下位になりインベーダー討伐に駆り出された日角だけだった。それが日角を特別たらしめる絶対的な根拠で、以後誰も彼のようには帰ってこないことがその特異性を補強する。
 日角が帰還の際に持ち帰ったインベーダーとの戦闘データや生体データはゴートのヴァージョンアップにフィードバックされ、現在新型機を開発中だという話だ。
 ホールに教官らが入室し、静まり返った室内に泣き声だけが聞こえた。彼女はすぐに退室させられ、指導教官による演説が始まった。パイロット候補の子供たちは皆押し黙っていたが、聴いているものは一人もいなかった。

 一通りの教示と連絡事項の伝達が終わると解散を命じられた。皆それぞれに出口へ向かう中、生頼は教官に呼び止められた。
 まだ決定事項ではない、という前置きをしてされたのは試作段階の新型機のテストパイロットに指名されるかもしれないということだった。まだ決定事項ではない、と重ねて言うが、恐らくほぼ決まったことなのだと思った。
「それは領空外へも出ることになるんでしょうか」
「はっきりとしたことはまだ何も決まっていない。だが新型機には高度なリンク性を求められる。君を含め成績上位十名から選出されることは間違いないだろう」
 生頼が問うと教官は言葉を濁した。戦わないために優良な成績をとっても命の保証はされないのか、と生頼は上の空に考えた。イレギュラーな日角とは違い実質ナチュラルのトップである自分が選考に含まれる時点で新型機が余程のものか、パイロット候補生が思うほどこの格付けに意味はないのか。ヴァーチャルでしか知らなかったインベーダーの存在が急に生々しく身に迫って感じられ、生頼は息を飲んだ。
 話を終え、人気のなくなった廊下を一人歩いていると日角が壁に凭れ生頼に目配せする。
「やあ」
 親しげに声をかけてはみたが、唯一の帰還者である日角を見るとインベーダーとの戦闘について思い起こされ生頼は笑顔を引き攣らせた。
「おまえに決まったんだ?」
「新型機のこと? まだ選考中だって話だよ。上位十名から選ぶって」
「俺には打診が来てないけど」
 日角の言葉に生頼は奥歯を噛んだ。やはり成績上位十名からの選考などというのは建前であったのだ。まだ情報開示もされていない新型機について知らされた時点でパイロットは生頼に決まっていたのだ。
「日角はどこで新型機の話を訊いたの?」
「どこだっていいだろ」
 踵を返し日角は背を向け歩き出す。
「待ってよ、なんか用があったんじゃないの?」
「ねぇよ」
 日角がからかうために自分を待っていたとは思えず、生頼は速足で歩く日角の背中を追った。
「じゃあ、なんで」
 日角は足を止め振り返ると生頼をきつい眼差しで睨みつける。
「俺に慰められたいくらいビビってんなら断ればいいだろ」
「できるわけない」
「ならさっさと部屋に帰って家族に手紙でも書いたらどうだ」
「優しくしてよ。これでも泣きそうなんだ」
 言葉にすると本当に鼻筋にツンとした痛みが通った。涙を見せたら日角はバカにするだろうか。生頼は俯き鼻を押さえて涙の気配をやり過ごす。
 日角はなにも言わなかった。立ち去りもせず、傍らに佇んでいる。自分に向かう日角の爪先を見ていたら涙がこみ上げて、生頼は声を押し殺して泣いた。
 分かっていたことだった。ゴート細胞を干渉させられたパイロットの命は純粋な血を持つ地球人よりも軽い。どんなに優良な成績を残そうと、いずれ自分の番がくる。序列など関係なく、皆等しく戦場へ送られるのだ。
 ミサイルの精度を上げるためにパイロットを載せるようなものだ、と以前誰かが言ったのを思い出す。端から勝てるだなんて機関の人間だって思っていない。敵の侵攻を少しでも遅らせるため、その懐で確実に爆発させるためにゴートを操縦させるのだ。
 ならば日角はどうして生還したのだ。
 不意にそれまで何の疑問も持たず受け入れていたことが不思議に思うほどの疑念に捕らわれ生頼は顔を上げた。ゴートの役割を思えば生きて帰れるはずがないのだ。
「日角、……君はどうやって」
 日角の顔がわずかに強張った。左右非対称の顔の作り出した微かな歪みは確かな動揺を示していた。それでも生頼は訊かずにいられなかった。
「おーい、二人でなにやってんだよ」
 根古がニヤニヤ笑いながら顔を出し、日角はなにも言わず自室へと帰って行った。
「邪魔した? いじめられてんのかと思って」
「そんなんじゃないよ」
 申し訳なさそうに眉を顰める根古に生頼は笑ってみせた。
 不器用な仕方ではあったが日角は慰めようと生頼を待っていたのは明白だった。それを傷つけたのは自分だ、と生頼は胸を刺す後悔に溜息をついた。

 二週間後、試験により選出されたパイロットはゴートに搭乗しインベーダーの支配宙域に打ち上げられた。
 就寝時間を超えた夜更けのことだ。生頼は立ち入り禁止区域の窓辺からゴートが射出されるのを見ていた。
 頭部に二本の角を持ち、二足歩行の獣のようなゴートの姿は悪魔的でインベーダーに抗しえないとはとても思えない。物資が足りないとここ数回は単機出陣ばかりだが、過去には複数機での討伐作戦もあったという。
 現状の犬死を思えば作戦遂行時期をずらしてでも単機で上げるべきではないと思うが、作戦は常に一定期間ごとに行われた。
 ゴート細胞を遺伝子に干渉させられたパイロットは人権のない英雄であった。敬われ、まつりあげられ、使い捨てられるさだめであった。
 二つの月が空に浮かぶ。恐怖と混乱に閉じ込められた地球人は母星の奪還を最終目標に掲げているが、そんなことが不可能なことは誰もが分かっていた。たとえ地球を取り戻したところでインベーダーに食い尽くされた土地を再生させるのにかかる年月を思えば徒労であることは明白だった。
 決定的な対抗手段を持たぬ以上、ゴートによる出兵は火星を奪われないための時間稼ぎにすぎないが、無抵抗に奪われるのを待つわけにもいかなかった。
 生頼は自室へ帰ろうと踵を返す。そこに、日角がいた。
「やあ、君も打ち上げを見に来たの?」
「ああ、おまえが泣きながら明日の自分を見ているかと思ってな」
「心配してくれたんだ」
「……違ぇよ」
 ふふ、と笑うと日角は不機嫌そうに口を噤んだ。生頼は自分の言葉も笑いも感情もすべて他人のもののようだと思った。日角が言うように泣くのが正しいことのように思える。
「日角はどれくらい新型機について知っているの?」
「嫌なら断れ。まだおまえの意志は反映される」
「教えてよ」
 日角は逡巡するように口を噤んだが、やがて重い口を開いた。
「新型機は従来型に俺の持ち帰ったインベーダーの細胞を培養したものが組み込まれている」
「ということは、もしかして」
「そうだ、パイロットにもインベーダー細胞が干渉させられる」
 それはつまり、人間の中で異質なパイロットの中でも更に異質な存在となることを意味していた。人ならざるものの細胞を取り込み人工的に作り出された存在であるパイロットは死ぬことも結婚する権利も自らに与えられていない。その上敵対生物であるインベーダーの細胞の干渉を受けたパイロットの権利は更に制限されることは明らかだった。しかしそれも生きて帰れたらの話だ、と生頼は思う。
「前回のパイロットは新型機の搭乗実験の被験者だ」
「えっ、だけど射出されたのは従来機だったと思う。毎回見てるんだ」
「適合しなかったんだ。パイロットは発狂したまま従来機に載せられて空に上げられた」
「ちょっと待って、精神に異常をきたした状態でゴートとリンクできるわけがない」
「リンクはできる。操縦はできないだろうがな」
 ゴートの操縦ができない状態で前線に送ってなんになる。ミサイルの精度を上げるどころではない。不発の可能性すらあるではないか。生頼は信じられない思いで日角に問うた。
 ――なんのためにゴートを出陣させるんだ?
「そのままの意味だ。生贄だよ」
 吐き捨てるように日角は言った。事実なのだろうと生頼は思った。生きて帰ることなど不可能だ。必要なのは勝利ではない。パイロットの犠牲によって生まれるほんのわずかな時間だけだ。
「奴らはゴートを捕捉するとまず生殖行動を始めるんだ。穴なんかねぇから足の間に無理矢理穴を開けて、孕むわけねぇのに延々レイプされるんだよ」
 ――そして奴らの腹が減ったら今度は食料になるんだ。
「神経リンクが繋がったままレイプされて食われるんだ。奴らは食うのが遅いから、食い終る頃に機関は新しい餌を上げる」
 それが半年に一度のリンク試験だというのか。犠牲となった仲間たちの想像より酷い末路に生頼は胸が締め付けられるような憤りと恐れを抱いた。機関にとってパイロットは道具にすぎないと分かっていたはずだったが、怒りは火のように燃えた。しかし、だからと言って現状を打破する力が己にないことも生頼は分かっていた。
「俺が助かったのは機関がまだ勝つための作戦を立てていた頃のことだ。ゴート五機、あらゆる武装をして出陣したが攻撃はどれも通らなかった。俺はリンク率がよくないってんで後方支援に回されて、おかげで逃げられたんだ。仲間がゴートに犯されている間に」
「……でも、君が帰還したおかげで奴らに関する情報が得られたんだ……無駄じゃなかった」
「尊い犠牲のもと得た情報のおかげで奴らに餌をやるタイミングが分かったってだけだ」
「日角……、そんな風に言うのは止せ」
「作戦には同じセクター出身のやつが一緒だった。兄貴みたいに思ってたよ。帰還するのはあいつで良かったんだ。それなのにあいつは俺の身代わりになった。見る間に奴らに取り囲まれて姿は見えなくなったよ。悲鳴だけが聞こえるんだ。いつまでも、いつまでも、戦線を離脱して基地へ降下する間も、ずっと聞こえ続けるんだ」
 流星が尾を残すように、絶望の叫びは耳の中に残り続ける。日角の耳には今も狂おしいまでの悲鳴がこびりついているのかもしれない。
 生頼とて恐れがないわけではなかった。犠牲となったパイロットへの同情はそのまま翻って自分自身への憐憫だった。新型機とのリンクが出来ず訳も分からぬまま従来機に載せられ奴らに食われるか、新型機とのリンクを果たし勝算のない戦場で足掻きながら食われるか、いずれにせよ生贄の家畜に求められる役目は一つだけだ。
「生頼、断れ。新型機が運用不能となれば計画自体凍結される。候補は他にもいるんだ、おまえじゃなくたって問題はない」
「ありがとう、日角。僕は誰かに似ている?」
 虚を突かれたように日角は目を見開き、そんなんじゃないと声を荒げた。日角が助けたかった誰かの代わりに助かったとして、代わりに死んでいく誰かがいる以上日角の心は救われない。
「機関が新型機をどうしても打ち上げたいのは奴らがインベーダー細胞を組み込まれた機体に対しどういう反応を示すのか知りたいんだろう。奴らが新型機を同族とみなして捕食しなければ作戦も多様化するはずだ」
 ――日角、僕は帰ってくるよ。
 なんの根拠もなかった。最悪の想定ならいくらでもできた。死にたくないと思う。それ以上に、死を恐れながら死にたがっている日角を死なせたくないと生頼は思った。生頼と同等のリンク率を持つのは日角だけで、生頼の代わりは日角以外なり得ない。機関はわずかながらでも新型機の帰還を算段に入れているから自分をパイロットに選抜したのだと思いたい。それに、新型機による討伐作戦に有用性が見出されたとき、選出されるパイロットは日角以外に有り得ないだろう。勝つ可能性がほんのわずかでも存在するならインベーダーの性質を知らないパイロットよりも実際に彼らを見てきた日角の方が経験で勝るからだ。
「少しでも信じてみたいんだ、人類の勝利ってやつを」
 笑ってみせると日角は小さな声でバカヤロウと呟いた。生頼は否定しなかった。その通りだと思ったからだ。
 きらめく星がいくつも落ちていく夜更け、生頼は大丈夫だと何度も繰り返した。言葉の意味は必要なかった。ただその力強い響きだけが必要だった。

 覚悟はできていた。それ以上に、生き残るつもりだった。
 招集はいつか分からない。あの日以来新型機についての打診はなかった。従来通りに前回打ち上げから半年後か、それとももう少し早まるのか。日角の言うようにインベーダー細胞を体内に干渉されるとしたら安定まで二週間はかかるだろう。それからリンク実験や諸々の手続きをすることを考えると早くても一ヶ月後か。
 日角とはあれ以来会っていなかった。元々居住セクターも実習クラスも違うため、顔を合わすのは半年に一回の試験結果公表日だけだった。それでも日角は有名人だったから折にふれ生頼の耳にもその挙動は伝わってはいたが。
 食堂で夕飯を食べながら生頼はふと気になったことを根古に問うた。
「日角が過去に参加した作戦について知ってる?」
「複数機投入したってやつ?」
「そう。それって下位五名が選出されたの?」
「ああ、違う違う。当時は上位五名だよ。あれ以来最下位選抜になってるから誤解されてるけど、日角は当時五位だったはずだ。俺らがまだ民間にいた頃で日角は十三歳だろ、やっぱり天才だよあいつ」
 やはり、当時は機関は勝つためにゴート五機を投入したのか。最下位の日角が参加させられるはずはないと思ったが、噂が間違っていただけだったのだ。
 そうなると新型機のパイロットに自分が指名されるのはわずかながらの勝算があるということだ。最下位者を家畜のように扱う機関のことだ、まるで勝算がない中で上位パイロットである生頼を使うわけがなかった。
 自己暗示だ、と内心で自嘲しながら、それでも生頼は微かな希望へ確信を持った。
「確かその時の一位っていうのもおまえと同じナチュラルのパーフェクトだったはずだよ。すげー有能だったって話。いくら当時は機体の性能が劣っていたって言ったって当時そんなすげーやつが敵わなかったもんに最下位者が敵うわけねーじゃん」
 根古の言うことは正しかった。そしてそれが当時の正確な情報が伏せられている理由だろう。真実を知っていたとしても士気を下げるような事を言っている、と機関に見なされてはどういう扱いを受けるか分かったものではない。
「日角といえば、新型機のテストパイロットに選ばれたらしいな」
「えっ、どういうこと?!」
「どうもこうも、詳しいことは知らないけど二週間前から隔離されて面会謝絶だって」
「嘘だろ……」
「第二セクターのやつが言うんだからほんとだろ」
「新型機完成のソースは? 情報開示はされてないだろ」
「整備部か開発だろうな。第二セクターでも日角の招集は事件だったんだ。あっちこっちで不穏な情報は流れたけど新型機だけは間違いなさそうだ。俺が確認できたのはそこまで」
 生頼は息の根の詰まるのを感じた。身体中を落ちていく汗が冷え切っている。
「日角が乗るってことは相当すげー機体なんだろうな。あいつを使い捨てにするほど機関もバカじゃない」
 違う、そうじゃないんだ。叫びだしたいのを堪えるために生頼は奥歯を噛んだ。
 ――日角は僕の代わりになったんだ。
 先に戻ると断って、生頼は足早に食堂を出る。
 震える脚を鼓舞して教官室へ向かって走った。間に合わないことは分かっていた。


 人類は地球に神様を置いてきたのだと誰かが言った。
 神様なんて、元々いたかどうか分かったものじゃないと誰かが応えた。


 その日は絶好の宇宙晴れでゴートの打ち上げに最適だった。
 宇宙空間へ出るまでは身体を押しつぶすような強い圧力を感じたが、宇宙空域に出ると途端に身体は軽くなった。
『すごい……、綺麗……』
 初めて火星を出た感嘆の声が聞こえる。静かな暗闇に星々は輝いていた。
「このままポイントΣまで加速する」
『了解』
 六機のゴートは隊列を組み一斉に加速した。その軌道に尾を残しポイントΣへ向かう。単機戦ではない、ということがパイロットの士気を上げていた。
『これなら勝てるわ。私たち初めて勝利するのよ』
『油断するな、やつらのことなんか俺たち一つも分かってないんだ』
『大丈夫よ、こちらには新型機があるわ』
『おい……、あれ、なんだ……?』
 ポイントΣ宙域、真っ白いなにかが群れをなしている。
 昆虫のような、鳥のような多足生物はまだこちらに気付いていない。
「二号機、ポイント−3.2。三号機、ポイント2.1。四号機ポイント0.−2。五号機は一号機と現座標上待機」
『りっ、了解!』
 一号機と五号機を残し三機のゴートはそれぞれの座標へ向かった。
『勝てるかな……』
「やつらが分散したところを狙う。大丈夫。一対一なら勝機はあるさ」
 五号機からの通信に力強く答える。今作戦上不信が一番の敵だと分かっていた。
『おいっ! やつら気付いたぞ!』
『急げ!』
 群れなしていたインベーダーはゆっくり辺りを窺うように頭部を巡らせると、それぞれのポイントへ向かうゴートの後を追うように一斉に散開した。翼のような器官をゆったりと羽ばたかせるように開閉させるが、加速は目視による予測よりずっと速かった。
『キャアアアアアアアアアアアアア』
 四号機がまず捕捉された。二体のインベーダーは無数の節足の他、人間の手足のようなものも認められた。そのすべてを使い四号機を抱き込むと、牙を剥き出しに四号機の頸部にかじりついた。
『イギャァアアアアアアアア!』
 黒い血飛沫が純白のインベーダーの身体を汚していく。やつらはこれからゆっくりと獲物を捕食していくのだ。
『いや…、いやだ、助けて……助けて……!』
『来るな! 来るなァあ!』
 散り散りに逃げ惑うゴートは次々にインベーダーに捕捉されていく。逃げ出そうと身をのたうたせてもやつらはより強い力で抱き竦める。
『いやァアッ! こっちにも来るわ!』
 鋭い斜角で滑空してくるインベーダーに五号機から悲鳴が上がる。
「大丈夫」
 六機打ち上げられたうちの唯一の新型機である一号機は戦域内に目を走らせる。
「作戦は万全の進行をしている」
『いやああああああああああ!』
 飛来したインベーダーは迷うことなく五号機を捕捉する。人間のような手でゴートの獣の名残を残す腕を掴み、胴体を密着させると無数にある節足でその身体を抱き込むのだ。
『助けて! 助けて生頼くん! いやっ、いやぁあああ!』


 教官室に着いて早々、生頼は日角の件を切り出した。日角の名前だけで教官は納得したように頷く。
「その件だが、今回は日角から志願があったが、いずれ新型機の運用が決まれば君に搭乗してもらうことにもなると思うからそのつもりで……」
「次はいつですか」
「詳しいことはまだ決定していないが一年以内には」
「それじゃあ遅すぎる」
「なんだと」
 生頼の小さな呟きを聞きとがめ、教官は眉を顰める。生頼が口答えしたことなど今まで一度もなかった。
「二ヶ月後にしてください」
「なにを言っているんだ。自分が言っていることが分かっているのか」
「どうせ次のパイロットは僕なんでしょう」
「パイロットの一存で計画が立つと思うか?」
 答えは生頼にだって分かっていた。けれどなにもしないまま死ぬつもりはなかった。やつらは食べるのがとても遅い。一体のゴートを食べつくすのに半年かけるのだ。機体の準備や適合の安定期間、訓練期間を考慮に入れても二ヶ月が最速だろうと思われた。やつらがどこから食べ始めるのかは知らないが、上手くいけば致命傷を免れている可能性がある。それに、インベーダー細胞を干渉させたゴートとパイロットに対しやつらが捕食行動に出るかどうかも分からない。
 賭けだった。機関の思惑と生頼の望みが一致する折衝点だと思われた。
「提案があります。この提案が受け入れられるなら先行して打ち上げられた新型機の回収とインベーダー一体の回収をしてみせます」
「失敗した時の責任はどうするつもりだ。おまえにとれるのか」
「失敗した時は死ぬ時だ。人間の権利もない僕に死後どうやって責任をとれっていうんですか。あなたがとればいい」
「なっ」
「この作戦が成功すればあんたは英雄だ。それにあんたは本部にこの提案をしてくるだけでいい。やるかやらないかはそいつらが決める。あんたが決めるわけじゃないんだ。失敗したところでどうってことないだろ」
「それで……、提案というのは?」
「旧型機五機をください。作戦実行は三カ月以内。早いに越したことはない。戦域では僕が指揮を取る」
「勝算はあるのか」
「僕にはできる」


 インベーダーは生頼の乗る新型機には目もくれず五号機にかじりついている。
「そのまま大人しくしてろよ」
『助けて……助けて……痛いよ……いたい……』
 生頼は携えていた剣をかざすとインベーダーの背に深く突き刺す。どこが弱点なのか分かりもしなかったから、人間の心臓の位置を狙った。深く、深く。刃を沈めていく。
『ヒッ――いああああ……』
 赤い体液が噴き出したが、インベーダーは背をのたうたせるだけで悲鳴も上げなかった。無数の節足を蠢かせ、諸共串刺しにされた五号機を更に抱き込んだ。
「なんでおまえらの血が赤いんだよ」
 残りのブレードは九本。これが尽きるまでに息の根を止めなければならない。頭部や腹部、背骨の中央、心臓部の対照位置、思いつく限り刺し貫いていく。五号機は最早悲鳴も上げなかった。
 返り血に赤く染まる一号機はインベーダーの節足が力なく垂れ下がるのを確認すると強化ワイヤをインベーダーの遺骸に引掻け日角の乗る新型機のもとへ向かった。
 新型機は力なく四肢を投げ出し宙に浮かんでいた。捕食された形跡はない。下肢に生殖行動の痕跡が認められた。インベーダーらが一散にゴートに食らいついたのはこのためだ。やつらは腹を減らしていた。
「日角……日角……」
『……っ』
「日角、帰ろう」
『はっ……あ……もっと……』
「後でいくらでもしてやる。帰ろう」
 生頼は奥歯を噛んだ。日角の精神はもう駄目かもしれない。だからといって、彼を諦められるとも思えなかった。
 新型機にワイヤをかけ、ケイジが用意されているポイントまで牽引していく。
「帰ろう、帰ろう……早く、帰ろう」
 帰還しなければこの作戦は終わらない。生頼は戦果を持ち帰らなければならなかった。でなければ、犠牲の山羊はただの供物に代わってしまう。
 ケイジに辿り着くより先に背後からインベーダーが一体追ってきた。残っているブレードは二本。もう嫌だ、と瞬きの速度で感じ、瞬きの速度で剣を抜く。やつらの性質を鑑みてインベーダーの遺骸を盾に、新型機を背後に隠す。やつらの心臓がどこにあるかも分からぬが、戦わなければならなかった。勝たなければならなかった。一号機は剣を構える。
 しかし追手のインベーダーは同胞の亡骸と共に刺し貫かれたゴート五号機に食いつき、一号機にも新型機にも無関心だった。まだ食い足りないのか。追手は五号機を引き剥がすとゆっくりと食事を始める。生頼は最早なにも感じることがなかった。疲労だけがすべてだった。インベーダーの亡骸と新型機を牽引しケイジへ向かう。
 あらかじめ用意してあった二つのケイジにそれぞれ収容すると生頼は基地へ向け帰還信号を送る。
「インベーダー討伐作戦及び新型機奪還作戦成功。只今より帰還作戦へ移る」
 二つのケイジと血に染まる一号機は火星へ向かって落ちていく。戦線を離れ、遠のいていく悲鳴は落下音のようだった。


 幾筋も尾を残し流星は夜空を流れていく。


 生頼は病室で目覚めた。ベッドは一台しかない。隔離されているのだ。
「やあ、目覚めたね」
 まだ目の開けきらない生頼を白衣の男が覗き込む。
「私は技術部の白鳥だ。まずはおかえりなさい。君で二人目だ」
「白鳥……博士、ですか」
 起き上がろう身じろいだ生頼に白鳥はそのままでいいと制した。
 ゴート開発責任者である白鳥博士を見たのは初めてだった。彼は表舞台に一切顔を出さない。大層偏屈な変わり者だ、という話だがゴートの性質を思えば正常な感覚にも思える。
「インベーダーの回収は我々の悲願だった。それにゴートを回収してくれたおかげでやつらが捕食しないインベーダー細胞の比率が証明された」
「……ということは、以前からやつらの……」
「この作戦を成功させたことで君も悪魔の仲間入りだ。君の成功させた作戦は今まで有用性がないと否定されてきたものだ。君のおかげで本部は勝つために必要な犠牲を知ってしまったけどね」
 そうだ。可能性を作ってしまったのは生頼自身だ。パイロットの限られる新型機が本格運用されない間はインベーダー一体倒すためになにも知らない仔山羊たちを放ち続けるだろう。
「君は英雄にならなければならない。知恵の実を渡すのは私の役目だ」
「博士は何故そうまでして人類の勝利を望むのですか」
「望んでいるのは勝利じゃない。存続だ。理由はそれが私が生まれた意味だからだ。それ以外にない。私の頭が悪いせいで君たちに犠牲を強いていることは申し訳なく思っているよ」
 白鳥の感情のない言葉は現実の実感だと思えた。最早戦況も犠牲も自分自身すら遠く、理由のない意味だけが理由になる。
「日角はどうしていますか」
「生きているよ」
「会いたいな」
「面会謝絶だ」
「会えませんか?」
「彼はもう君が知っている彼ではないかもしれない。それでも会いたいかい?」
「博士と同じです。もう理由なんてないんだ」
 生きて帰りたかった。日角に生還を約束したからだ。
 もう一度会いたかった。強い執着を持ってそう思っていたはずなのに、そのために五人を犠牲にしたのに、何故だったか分からなくなってしまった。
 日角に会えばきっと分かるはずだと漠然と感じているが、変わってしまったかもしれない日角に理由を見出せるのか。それとも自分が変わってしまったかもしれない。恐れと不安は生頼の心臓を挟んで回転している。
 それでも、生頼は日角に会いたいと思った。理由のないことが理由だった。
「いずれ時が来る。それまでおやすみ」
 白鳥が病室を出るとすぐにロックのかかる音がした。なにもない部屋で、生頼は目を閉じる。身体が軋むように痛かった。
 いずれ時が来る。時間の推進力に頼らなければ、もう未来は訪れない気がした。





(13.7.25
置場