ピンクの頂点



 特別得意なことはないけれど、特別苦手なこともない。貶されているわけでもない、褒められているわけでもない「普通」が俺の評価のすべてだった。
 そのはずだった。
「真郷くん、えっちする?」
 さっきまで散々会長に抱かれていた秋津はとろんとした目でこちらを見つめた。
「しないよ」
「しろよ!」
 力ないパンチを無視して給湯室で汲んできた湯をタオルに浸し汚れた身体を拭いていく。身体にとんだ精液は先にウエットティッシュで拭っていたし、会長はセーフティセックスに余念がないので簡単に全身を拭っていくだけだ。
 太ももの内側に他人がつけたキスマークを散らしたこの男が数日前俺に告白してきた、などと誰が信じるのだろう。俺だって信じていない。
 信じていないし真に受けていないはずなのに、会長に抱かれている秋津の乳首をこねながらあまり面白くはなかった。
 上の空で秋津の乳首を指で弾きながら秋津とセックス、というイフを想像しようにもガチ目な会長の執念深い尻弄りや副会長のテクい手コキを見ていると俺なんかはとても太刀打ちできないと思う。
 秋津自身、添え物の俺や嶋野がいなくたって二人の愛撫に感じ入っているのだから分からない。なんで俺なんかに好きとか言うんだろう。会長と別れたくて? それとも嫉妬心を煽ってもっといやらしい目に遭いたいだけ? どれもありそうな気がしてくる。
 そんなことを考えていたら感極まって秋津にキスをする会長の胸板に乳首をいじる俺の手が潰されて変にぐねってしまった。仮にも付き合っている男がキスハメされて腰をカクつかせているのを見ながら邪魔にならないようにそっと二人の胸の狭間から手を抜き、なにをしているんだ俺はとバカらしくなる。
 からかわれているだけ。真に受けるだけバカ。答えはすべてそこに行きつくのだ。
「ねー真郷くん、先っぽだけ! 先っぽだけだから! ね! ちょっとだけ! こするだけ!」
 そう言う秋津の目は完全に俺の股間に張り付いている。あんまり見られると俺も反応しない自信がない。秋津の小さい顎を持ち上げて無理やり目線を上に向ける。
「早く着替えて帰ろ?」
「へゃ、あ、う、あ、う、うん……! 帰ろう!」
 怒るかと思いきや顔を赤くして動揺するものだからこちらもつられて動揺してしまう。今のどこに顔を赤くするところがあったのだ。
 いそいそと着替える秋津だが、セックスの余韻が残る指先はカッターシャツのボタンに不自由するのかかすかに震えていた。代わりに留めてやるとおとなしくされるままになる。どうせまたふざけるだろうと思っていただけになんだか居心地が悪い。
 シャツを着せてやってあとは自分で、とズボンを渡すと秋津は力ない指先で俺のシャツをつまんだ。
「あの、……キ、キスもダメ? かな?」
 上目遣いでこちらを見たかと思うとすぐに逸らして落ち着きなく黒目が行き来する。普通にした。会長のような凄まじいキスなんか俺にはできないから触れるだけですぐに離した。すごい唇柔らかかった。
 秋津はびっくりした顔をしてしばらく固まっていたが、矢庭に両手で顔を覆って動かなくなった。どういう反応なんだそれは。したらダメだったのか。ただでさえどんな顔をしていいか分からないのに秋津の反応が分からない。俺はとりあえずファブリーズでソファと空間をシュッシュした。
「好きすぎるどうしよう……」
 顔を覆った両手は真っ赤な頬に置いたまま秋津は言う。そんなこと言われてなんて答えたらいいんだ。真に受けてしまう。本気にしてしまう。
「ズボン履いたらいいと思うよ」
 照れ隠しに言うと履くよっ! と頬を膨らませてズボンに脚を通す。普通に可愛いと思う。普通に可愛い。どうしよう。
 秋津が俺に見せる好き仕草は全部本当っぽいのに、会長と平然と全力セックスに取り組んでいる。仕事だからとプロ意識を垣間見せるがそれは仕事でもなんでもないだろうと思う。
 片づけを済ませ、生徒会室の鍵を閉めて誰もいない校舎を歩く。下駄箱までと約束して秋津が腕を組んでくるのを受け入れる。こちらを見上げながらキャッキャとおしゃべりしている姿は普通に可愛い。
 疑うまでもなく俺は既に秋津のことが相当好きになっている。それはそうだ。これまでこんなに凄まじく好意を向けられたことなんかないのだ。当たり前にすぐに好きになってしまう。
 しかし結局会長が、というところに行きつく。
 会長の自信に満ちたギンギンに厳ついご子息様に躾けられた秋津をセックスで満足させる自信がまるでない。棹参加させられた際、秋津の手コキとフェラに秒で倒された童貞ちんこで挑んでやっぱり会長がいいとなったら死んでしまう。
 会長が卒業して一週間も経たないうちにやっぱり忘れられないなんて言われたら俺はどんな顔をすればいいのだ。負けが確定している天秤の上になんか乗りたくない。
 向き合っていない。逃げている。まったくもってその通りだがそもそも前提が狂っている。
 お互い誠実とは言い難い関係なのだと開き直って俺は恋愛未満の浮ついた気分だけ享受している。うしろめたさはあるが言い訳ならいくらでもできた。
 廊下ですれ違いざま少し目配せあって、放課後二人でちょっと寄り道をして、休日時々遊びに行って、それ以外は関係ないふりをしてなんとなく日々を過ごしていくのだろう。

 そんなことを思い始めた矢先のことだった。
 いつものように会長に抱かれる秋津の乳首をいじりつつ、会長の腰遣いが本気を帯びてきたところで抜けようかというタイミングで秋津に袖をつかまれた。
 仕方なし秋津の乳首にちょっかいを出そうかと思ったタイミングで会長が秋津の乳首にしゃぶりついたのだ。
 一瞬、思考が止まった。
「あんっ、おっぱいダメぇ……!」
 秋津の嬌声が遠く聞こえる。
 は? なに? は? え? は? なに?
 目の前で起きている出来事を理解するまで時間がかかる。なにが起きているのか。理解した瞬間、俺はシャツのボタンを外し秋津が掴んだシャツをその場に置いて給湯室へ逃げ込んだ。そうでもしないと自分がなにをするか分からなかった。
 手を洗う。湯を沸かす。カップにティーパックを放り込む。秋津の乳首は俺のものじゃなかったのか? 違ったのだろう。そもそも俺らが二人のセックスに参加させられていたのは会長の性癖を満たすためだけだった。勝手に俺が秋津の乳首を私物化していたにすぎない。
 湯が沸き立ち湯沸かし器から湯気が噴き出している。俺には無理だ。会長のように寝取られて興奮する趣味はまるでなかった。一から手塩にかけて育てた乳首が横からかっさらわれて、とても正気ではいられなかった。
 もうやめよう。会長が卒業したら、なんて俺には無理だ。それまでとても耐えられそうにない。
「寒くない?」
 給湯室に入ってきた副会長は片手に持った俺のシャツを差し出してくる。
「すみません、ありがとうございます」
「僕も紅茶飲みたい」
「あ、はい」
 副会長が手を洗ってる横でカップを出しティーパックを放り込む。丁度沸いた湯を注いでいく。
「秋津と付き合ってんの?」
「は? え、……付き合ってないです」
「へえ……、さっきすごい顔してたけど」
「いや、遊びに行ったりはしましたけどほんとに、手は出してないです」
「好きなの、秋津のこと」
「す……、す……」
「なるほど。僕はあきらのこと好きなんだけど」
「は? あきら」
 って確か会長の名前だったか。え? 会長のことが好き?
「あいつの性癖って多分僕のせいっていうか……、あきらの好きなやつ寝取って三人で遊ぶようにしてたらなんか、こんなことになっちゃって」
 ハハッ、と爽やかに笑う。笑い事では全然ないのだが。
「嫌じゃないんですか、好きな人が他の人とエッチしてるの」
「腰振ってるあきら可愛いし」
「……可愛い?」
 理解できないがそもそも一から十まで俺に理解できることは始めからなにもなかった。副会長は優雅に紅茶を飲みながらにこにこと会長の可愛いところを上げ連ねているが俺にはなにも分からない。
「大学行くまではあきらの好きにさせようって思ってたけど、可愛い後輩がそんな顔してるの見たら僕もはっきりさせないと良くないね」
 半分以上上の空で聞いていたため、なにがどうしてそういう結論になったのか分からなかったが副会長は一人でうんうん、と納得しているようだ。
「おまえたちもちゃんと話し合いなよ」
 向こうもそろそろ終わったみたい、と言うとティーカップをサッと洗って給湯室を出て行った。俺は秋津の身体を拭くための湯をバケツに用意する。なにやってんだろうと思うけれど、止めろと言わないのは俺だ。
 給湯室を出ると会長と副会長は帰り支度をしている所だった。
「じゃあ後、悪いけど」
「あ、はい。お疲れ様です」
 いつも通りのやり取りで二人は帰っていく。秋津は裸のままソファの上でひっくり返っているのに。あんな男のなにがいいんだろう。
 秋津は気を失っているのか眠っているのか目を閉じている。胸には会長がつけたキスマークが残っていた。また怒りが沸き立つのを感じて大きく深呼吸をする。秋津、と呼んだ声がぎこちなかった気がする。
「ん、まごーくん。ぼく寝てた?」
「ちょっとだけだよ」
 いつもと同じようにウエットティッシュで精を拭い、湯に浸したタオルで身体を拭ってやる。秋津は俺に身体を預けくすくす笑っている。
「真郷くん、えっちしよ」
 いつもの軽口が今日はわけもなく神経に障った。
「あのさ、もう止めない? そういうの」
「え?」
「付き合うのとか、そういうの俺には無理だ」
「無理じゃないよ」
「無理だよ。好きなやつが他の男とえっちしてるの耐えられない……」
 秋津は驚いたように目をまんまるにして黙ってしまった。傷つけるような言い方をしてしまっただろうか、と思ってフォローの言葉を探す間もなくその顔は真っ赤になって緩んでいく。秋津は両手で頬を抑えるとわーと言った。そしてわーと言い、またわーと言った。
「真郷くんぼくのこと好きなの……?」
「えっ……」
「えじゃない、言った! 言ってました! 聴きました! 両想いじゃん! わーどうしよう両思いだ」
「でも秋津、仕事? 続けたいんだろ」
「え、辞めるよ? 真郷くん嫌なんでしょ」
「えぇ? なんか仕事とプライベート分けたいって言ってなかった?」
「真郷くん、仕事なんていくらでも代わりがあるんだよ?」
 当たり前みたいに言ってにっこり笑う。なにを考えてるのかさっぱり分からないが憎たらしいくらい可愛い。頭をなでると照れて目を泳がせる。抱きしめると驚いた身体を硬くして縮こまる。
「明日会長に言うよ」
「ぼくから言うよ」
「いや、俺が言うよ。ちゃんと」
 きつく抱きしめると秋津は胸に額をこすりつけ、あーと奇声を放った。どうしてそんな声が出るんだと顔を上げさせると目を潤ませた可愛い顔で好きぃなんて言う。叫び出したい衝動は俺にもあったが慣れない自己表現は咄嗟にできないものだ。俺も、と言うと秋津はいきなり肩口に噛みついてきた。痛くはない甘噛みだったが突然のことで少し恐怖を感じた。

 翌日の放課後、俺と秋津は手を繋いで生徒会室へ向かった。
 会長と副会長は応接セットに隣り合って座っている。
「あの、会長。今日はお話があって」
「ああ、俺も話したいことがあるんだ」
 先に話すように促され俺は秋津と目を見合わせる。
「あの、俺、秋津のことが好きで、秋津と付き合いたくて、それで秋津も俺のこと……、なんかスマホ鳴ってません?」
 ブーとさっきからずっと誰かのスマホのマナーモードが着信を知らせている。
「んっ、大丈夫だ。つッ、続けて」
「あ、はい。それで、俺たち」
 ブーっと鳴りやまないモーター音に気を取られる。留守番電話サービスに切り替わらないのか。
「秋津と話して、もうああいうことは止めようって」
「んんっ、ハッ、あ、ああ、そう、そうだな、俺もッ」
「……会長? 大丈夫ですか?」
「だっ、大丈夫っ、俺も、もう止めようと言うつもりでっ、あっ!」
「えっ?!」
「あきらったら後輩の前でそんな顔して……」
 前のめりになったまま固まった会長の腰に副会長の腕が回っている。
「今日はもう帰っていいよ。万事解決。お疲れ様」
 そう言って手を振る副会長の手には親指を折った中にリモコンのようなものが見え、あっえっちな漫画で見たことあるやつだと瞬時に察し、鳴りやまないモーター音の正体もなにもかも分かってしまった。
 慌てて生徒会室を飛び出して秋津と顔を見合わせる。
「モーター音3種類あったね」
 第一声がそれだ。
「耳いいね」
 秋津はくすくす笑う。全然会長に未練がないんだとあからさまに分かる態度だ。
 たった一夜であそこまで態度が変わった会長に一体なにがあったのか恐ろしくも思うが副会長の話ぶりだと単に予定が前倒しされただけでいずれこうなっていたのだろう。
「どうしようか?」
 いつもなら生徒会室で活動している時間が丸まる空いたのだ。このまままっすぐ帰るのも味気ない。
「デートしよ!」
「えっちしないの?」
「え! わ、わ、あ、え、する!」
「しないよ」
「おい!」
「したい?」
「したい! したいしたいしたいしたい!」
「俺も」
 正直な気持ちを伝えると最早タックルの勢いで飛びつかれた。思わずよろけたが言葉数の多い秋津が言葉をなくして行動をぶつけてくるときが最高に可愛いことを知っている。
「今日は寄り道して帰ろ」
 秋津の手を握って言うと素直にうんと頷く。
 一緒に放課後寄り道して帰ったり、他愛もないやり取りでふざけあったり、休みの日に遊びに行ったり、なんだ会長がやったことないことなんか山ほどあるじゃん、と思ったらなんでもない時間が全部輝いているように思えた。
 普通じゃない男と普通じゃない出会いをして普通の恋を始めている。なんてことない普通を全部秋津は特別にしてしまうからこの恋も普通に特別なのかもしれない。
 まだ覚束ない俺たちだけの放課後を作るため、駅前辺りでふらついて帰る。秋津はずっと俺を見てニコニコしたり怒ったり照れたり百面相をしている。もう普通に好きだなぁってそれだけ。




(22.4.10)
置場