燃えるようなアバンチュール


 身体の奥の奥におかしな熱がある。
 指先の仕業だ。村田と名乗った男の体臭を鼻先に嗅ぎながら浩一は「もう嫌だ」と苦しげに息を吐いた。
 村田はわざと乱暴に指を動かし笑っている。
「もう止める?」
「……まだ」


 浩一は自分につく値段をよく分かっていた。界隈の相場からみて、良くて中の下、悪くて下の下。つまりまったく価値がなかった。
 顔立ちにまったく個性がない。身体付きが厳ついわけでも、華奢なわけでもなかった。初々しさもなければ技術もなかった。結果、浩一は男も女も構わず客を取る安い男娼になるしかなかった。
 毎日街の片隅に座り込んで煙草を吹かして客を待つ。浩一を買っていくのは貧乏人か他から断られたヤバイ客以外になかった。
 男は村田と名乗った。浩一がふざけて「ホントかよ?」と訊くと、笑って「嘘だよ」と答えた。自称村田は質の良いスーツを着ていた。浩一は傷を負う覚悟をする。しかし、いつもより高く売れるのだと思うと、知らず微笑んでいた。
「君はなんていうの?」
 村田はネクタイを緩めながら問う。好きに呼べばいいと浩一は答えた。村田のベルトを外し口淫にかかろうとすると、浩一は頭を押し返された。その手は力の籠ったものではなかったが、罵倒されるよりも浩一を傷つけた。乱暴であればまだしも、見上げた男の目は恐ろしく品があったのだ。
「しなくていいの?」
「使い物にならないんだよ」
 穏やかに言う村田を見ながら、浩一は言葉を探す。内心では、これは厄介な客だという気があった。
「突っ込む方ってあんまやったことないんだけど」
「お金くれるんなら入れてもいいよ」
「馬鹿言え」
 村田は笑っている。一緒になって浩一も笑うが、自分が何のために買われたのか分からなくなっていた。人の良さそうな村田の顔が急に訳の分からない恐怖の象徴のように見えた。
 今まで浩一が相手にしてきた客は下品ながら分かりやすい人間ばかりだった。彼らは浩一の人権など知らない。物のように扱われれば浩一だって相手を物としか見ない。その気楽さが浩一を救っていた。
 しかし村田は「一緒に寝てくれるだけでいい」と言う。それなら、別に俺でなくても良いじゃないかと浩一は思う。言うと、村田はこともなげに「そうだね」と答える。
「他にいくらでも顔の良いのがいるじゃねぇか」
「君だってそんなに悪くないよ」
 くだらねぇ、と呟いて浩一はベッドに身体を投げだす。楽な客だと思えばいいのだ。それでいくらか金が貰えるなら有り難いじゃないか。そう思うのに、胸の中がザワザワ騒ぐ。
 村田が溜息みたいな息を吐く。浩一の心臓がまた痛む。スプリングの軋む音がしてすぐに浩一の身体の上に村田が覆いかぶさってきた。
「なんだよ」
「折角だから甘やかしておこうかなぁって」
「なにそれ」
 村田は浩一の身体を起こし背中を撫でる。アホらしいような気がして浩一はされるままになる。村田が首に吸い付いてきて、浩一は驚いて身体を引いた。
「やらないんじゃないの?」
 どっちでも良いんだけどね、と言って笑う村田の目の色は品の良い顔に似合わず野蛮だった。

 村田は指と唇で一方的な愛撫を与える。浩一が気にしてやろうとすると、村田は必要ないからと拒んだ。
「たまにはこういうのも良いんじゃない」
 そう言って村田は埋めた指先を動かす。浩一は村田の肩に抱きつき何が村田を満足させるのか考える。考えるのだが、下半身から這い上がってくる快楽に思考を邪魔される。
「ん…あっ、あぁ…」
「別にわざと声出さなくて良いよ」
「わざと、じゃ…ねぇよ」
 事実、浩一の昂りは張り詰め先端からたらたらと雫をこぼしていた。普段浩一を買うような客はこんなに長い時間をかけて浩一を慰めはしなかった。しかも、村田は自分のためではなく、浩一のためだけに浩一の身体を撫でるのだった。
 浩一は胸に言いようのない熱を感じた。村田の手の内で何度も達し、身体が緩んでいくのと同じだけむなしさを感じていた。恋のような熱を、端から馬鹿らしいと思う。行きずりの客の気まぐれに本気になるなんて、馬鹿らしい。
 もう嫌だとまだもっとを繰り返した挙句、浩一が行き着いた答えはなにも美しいものではなかった。

 散々甘やかされた後、浩一は村田の抱き枕になって少し眠った。明方めざめると、村田はソファに座って煙草を吸っていた。
「寝れなかった?」
 浩一が訊くと、村田は「少し寝たよ」と笑った。その笑い顔が昨日と同じだったから、浩一は村田が一睡もしていないのだろうと思った。
「やっぱ俺じゃダメか」
 浩一も笑ったが、筋肉の違和感から自分でも分かるくらいヘタクソな笑顔だった。
「そうでもないよ」
 穏やかに言うが、村田の目は煙草の火を映していた。厄介な男に引っかかったと浩一は息を吐く。胸の中で主張する感情を押し込めて、平気な風に見えるよう笑う。
「また相手が見つかんないときは呼んでよ」
「うん」
「大体いつも売れ残ってるからさ」
 言えば言うほど惨めになった。多分、男は二度と自分を買わないだろうと思った。涙でも出てきそうな塩梅で、浩一は焦った。額にかかる前髪を邪魔に思いながら掌を置く。
「もう少し眠りなさい」
 村田の声は優しく、優しいからこそ、浩一をひとりにした。
 笑いながら、浩一は男の残酷さを愛した。この人は永遠にひとりだ。



(05.6.9)
置場