彼の爪/後


 俯きながら歩く道。俯きながら乗る電車。泣いちゃいそうな気持ちを鼓舞してかける電話。あ、駅に着きましたーって言ったら五分くらいで迎えに行くから、との答え。駅前の本屋で雑誌を立ち読みしながら、帰っちゃいたいってそればかり考えていた。
 姉からよしあき君のメモを渡されたのは一ヶ月前。無視するのも怖くてバカ丁寧に返信して、ウッカリやっぱりメル友になってしまった。遊びの誘いを断り続けていたら、来月の予定は? と訊かれてしまい断るわけにもいかなくなった。すべては俺の小心とよしあき君の根気強さの賜物です。勘弁してくださいマジで。
 五分経ったか経たないかくらいの間でよしあき君から電話がかかってきた。慌てて本屋を出て電話にも出る。すぐそばに来ていると言うから辺りを窺うと、自転車を押すよしあき君を見つけた。すぐに目が合って、よしあき君は携帯を持っている手を挙げた。
 よしあき君の家でゲームをする予定ではあるけれど、駅まで自転車で五分ってことは歩いたら何分になるんだろう。元々別に話すこともないのに。ゲームの話っていっても限界があるし。あー気まずい。気まずいなぁ。帰りてぇなあ。
 歩いてどのくらいなんですか、と訊いたら十分ちょっと、という答え。微妙。十分程度の話題ってなんだろう。ない。挙句、俺はじめてこの駅に降りましたーとか、どうでもいい話。駅前にミスドあるの良いですねぇ、とか、普段ミスドなんか行かないのに言う。よしあき君の家に着くまでに疲労困憊。グッタリしちゃってゲームなんてどうでもいいよ、俺これから趣味パズルにするから許してよ、ってそんな風に思っていた。
 よしあき君のアパートは外観から小奇麗で、よしあき君の部屋もいかにもオシャレって感じになんかポスターとか貼ってある。バンドマン? バンドっぽい雰囲気のポスター。あとなんか部屋にギターがあった。エレキとアコギ? あれエレキの方はベース? 分かんないけど、どっちにしろゲームしか趣味のない俺には縁のないものばかりだ。
 それでなんか、本題である格闘ゲームを始めたは良いけど実際俺はほとんどやらないから全然よしあき君の相手にならなくて、2Pでやってるんだけどよしあき君はコントローラーを離して、俺ひとりで技の練習をした。
 だれてきて、正座も崩して普段コントローラーを握る時と同じように体育座りになって、それでもしんどくなってきたからコントローラーを置いて、座ったままグッと身体を伸ばした。それでなんか、うだうだ世間話みたいな。よしあき君の爪の話になった。
 あの姉が褒めるだけあって、よしあき君の爪はプラスチックみたいに均一だった。黒くって、よしあき君の雰囲気に合っていると思う。
「なんか他人の手って感じがするでしょう」
 爪を見ながらよしあき君が言う。
「下ネタっすか?」
 言ったら、笑いながらそうだよって言う。でも実際は手に怪我することが多いから、注意するためだって言っていた。俺の思考回路にはない考えだ。
「たとえばさ」
 言って、よしあき君は俺の膝の上に手を置いた。ちょっと変な感じでしょう、という。頷く。そりゃあ変です。普通じゃない感じ、しますよそれは。
「こういうのとか」
 両膝に置かれた手に力が入る。脚を開かされる。意味が分からない。
「エロくない? なんか」
「えー…分かんない。分かんないです」
「じゃあさ」
 乗りかかられる。腹の下辺り触られる。ベルト、外されてる。ちょ、ちょ、ってそれしか言葉にならない。見えないし。もう爪とか見えないし。よしあき君の顔が近い。近い。髭の剃り残しが……!
「ちょ、なんな」
 んすか、って続くはずだった。続けられなかった。
 口が、口で、塞がれてるっていう状況は、救命以外に何か、意味があったっけなあ。口の中を舐められるっていうのは、一体、なんなんだろうなあ。くすぐったいし苦しいしなんか、なんだこれは。
 これも、大問題ではあるんだけど、それ以上に、股間が。股間を。直に触るのは一体なんのため? なんでこんな目に合うの?
「んっ、……あッ」
 無理だ。無理です。勃ちます。そりゃあ勃ちますって。指が、溝を、先端を、全体をくすぐって、こんなやり方知らないし。みんなこんな風にしてるのかな。脚が震える。嫌だこんなのおかしい。息を抑えようとして飲み込めば喉から変な声が出る。だってこんな風には俺はしない。
「他人にされてるみたいでしょ?」
 って、他人にされてるんだもん当たり前だよ。言いたいけど言えなくて、よしあき君の手がシャツの中に入ってきたからまた驚いて、胸っていうか乳首? いじられて、「ここも案外いいでしょ?」って知らないよ! くすぐったいしちょっと痛いよ! いや、良いよ。良いけどちょっと、なんか、おかしくないか。
「他にもこういうの、知ってる?」
 そう言ってよしあき君は俺に自分の腿に跨るように促して、ついでに自分のとよしあき君のを擦るように言われて、よしあき君はなんか、コンドームを指につけて、後は俺の背中の後ろで色々してたみたい。俺はこんな状況下で他人の勃起とコンドームを初めて目にして内心くらくらしている。限界を三つ四つ超えてるのにまだ射精してないから、なんか泣きたくなってくる。
「わっ! え、ちょ、なに」
 尻の間が濡らされて、なんか押し当てられた。前立腺って知ってる? ってよしあき君が言う。知らない。擦っててって言う。そんな場合か? 俺は今。なにかヌルヌルしたものを塗りつけられている。なんだ、なんなんだ。擦ってる場合か?
「うッ、あ、な」
 入ってくる。なんか、多分指なんだけど、なんで。よしあき君が痛い? って言う。ちょっと痛い。でも違和感の方が強い。俺がなんにもしないから、よしあき君はコンドームをしなかった方の手で俺のを擦ってくる。ヤバイ。変だ。なんか。俺もやんなきゃ、って思ってよしあき君のを擦る。指が、出たり入ったりする。腰が震える。気持ちが悪い。変なくすぐったさが、内側から起こってくる。よしあき君の吐く息が耳にくすぐったい。唇がまた合わさる。指が馴染んでくる。手の中でよしあき君のがビクビクしてる。俺のもきっとしてる。指が、なんか、内側の、なんだ、変な、すごい、一箇所で、決めてしまって、動く。俺は息を吸って、吸って、涙出て、よしあき君にもたれかかって、震えて、射精した。よしあき君もした。二人して手がベタベタだ。

「まだ次があるんだけど、する?」
 ビタビタになったコンドームを外してよしあき君が言う。次って? 次ってなんだよ。ないよ。嫌だよ勘弁してください。
 しない旨だけ伝えると、よしあき君は笑ってまた今度ねと言った。ないよ。今度もないよ。俺は半泣きで、よしあき君ちのシャワーを借りて逃げ帰った。



(06.5.9)
置場