観葉性人間のある風景


 その部屋は温度も湿度も感じられなかった。蛍光灯は点けられていなかったが、大きな窓から昼日中の太陽光線が入り込んで部屋を白々と明るく見せていた。
 扉を開けて入ったすぐ目前に大きなベッドがあった。一目見て品が良いと分かるシーツの上に裸の脚が投げ出されている。太ももから上は羽の布団に隠されている。その有様は滑稽でもあり、また恐ろしくもあった。
 呆然とその人形のような生気のない両足を眺め、希薄な現実に喉が渇くのを感じた。
「……どうした?」
 背後に立っていた美濃が笑みを含んだ息を耳元に吹きかけてくる。むき出しの膝頭に目を置いたまま私は言葉を探す。

 美濃は私に、人間を美しいと思うかと訊いた。私は即答できずにいた。すると美濃は続けて訊いた。
「肉体の形に美しさを感じるか」
 私は曖昧に頷くだけをした。
 美濃に連れられ訪れた清潔な部屋。生きているのか死んでいるのかも分からない人間の足。生死の判別はできない。けれど、私は眼前にある肌色を死体だろうと思っている。
 美濃は立ち尽くす私の手を引いて、死のにおいの濃厚な棺のようなベッドへといざなう。知りたい欲求と知りたくないという恐れが同時にあった。美濃がちらりと私を窺い、かすかに笑った。
 ……芝居がかった手付きで捲くられた羽根布団の下には裸の青年が目を閉じて横たわっていた。目を閉じ弛緩した表情からも青年の美しい顔立ちが分かる。そしてなにより身体の肉付き、骨格が美しかった。
「美しいだろう」
 確かに美しい。けれど、それは生気のない美しさである。張り艶のある皮膚は人工物のようにシミ一つない透けるような白さだ。死体絵画に対するような感慨を抱く。
 美濃にとって、あるいは私という鑑賞者に対して、この青年は肉体以外のなにものをも持たない。精神上の機微も今まで生きてきた年数も、青年からは剥奪されている。ただ美しいというだけ。美しさだけがある。
 青年の胸はかすかに上下している。死に近い深い眠りに沈んでいるのだろう。現実味のない呼吸をして、作り物のような鼓動を刻んで、青年は眠っている。あるいは眠らされている。目覚めることがあるのだろうか。目が開くことがよほど不自然であるように思える。美濃の毒に当てられたのだろうか。
 美濃は青年の髪を撫でる。額を撫で頬を撫でる。泰然とした眼差しで私の顔色を窺い、手指を青年の肌の上に滑らせていく。首へ、胸へ、腹へ指先がなぞる。おまえも触れてみろと挑発するように。
「ごらん」
 そう言って美濃は青年の足を広げる。膝が胸につくほど曲げられているのに、青年の爪先は強張ることもしなかった。
 腿と腿の間、性器の下、晒された青年の恥部は湿りを帯びて明るさを跳ね返していた。そこは恐らく、美濃の手によって準備されていたのだろう。肉人形。“その為”の身体。
 戸惑いを見透かすように美濃は私の手を取って青年の身体の上へ置く。倒錯した熱情が身内に起こってくる。青年の美しい首の形をなぞり胸へと指を滑らせる。立ち上がっている乳首を撫でたり摘んだり押し潰したりしていると、萎えていた性器がかすかに反応を始めた。
 眠っていても肉体の快を知覚するのだろうか。血が通い始めたそこへ手を伸ばし擦ってやる。みるみるうちに膨らんでいく。青年が甘えたような息を吐いた。目覚めるだろうか。擦り付ける手の動きを速くする。
 傍観していた美濃が背後から私のワイシャツのボタンへ手を掛ける。ボタンがすべて外れると、次はベルトを外す。それが終わると直に肌へ触れてきた。眠っている青年の代わりに愛撫を返しているのだろうか。熱を持ち始めた肌に人肌は心地好く、育ち始めた劣情に火を点ける。
「舌を出して」
 言われるままに舌を差し出すと美濃の舌が絡まってきた。されるままに深い口付けをし、私は青年の身体を撫で続けた。
 一体、私という人間の正常を保障するものなどあるのだろうか。
 濡れた舌で青年の美しい身体を舐めまわし、湿った窄まりに昂った熱を押し付けている。そこはすでに柔らかく解されていて、先端を宛がうと苦もなく沈み込んでいった。
 私は私自身の正常も、知性も、生活も、すべて忘れただ汗の流れるのにまかせ抜き差しにのみ熱中する。青年が時折漏らす吐息に煽られ、美濃の指が身体の上を這い回るのに煽られ、夢中で腰を擦り付ける。青年の体内は猥雑な動きで私自身の熱を搾り出そうとする。目覚めろ。目覚めるな。入り混じる望みも最早どうだっていい。目の開いた肉人形に一体なんの価値がある。
 みっともないほど息を荒げ、声を上げ、私は青年の中へ放つ。卑猥な水気の中に力を失ったものを収めたまま息をつく。美濃は濡れた指を体内に差し込んでくる。青年を犯しているのと同じ場所を美濃に犯されて、私は悦びを見出している。出入りする指先から這い上がってくる汚れた愉悦は青年の体内でまた育つ。
 美濃のものが押し入ってくる重圧に呻きながら青年の内壁が淫猥に動くのに夢中になって腰をふった。質の違う二つの快楽に脳の処理能力がおかしくなる。青年に犯されているような気になってくる。美濃を犯しているような気になってくる。自分自身を犯しているような気になってくる。
 青年の腹を汚す精は一体、おまえのものではないのか。なぜ目覚めないのだ。
 能動的になることなく無関心であることに青年の美しさは依っているのだ。この部屋に満ちる肉欲の空気に気付くことなく、能動者の汚れた欲望を知らぬ存ぜぬ綺麗にまぶたを閉じて被害者であることすら気付かぬつもりか。
 なぜ目覚めないのだ。



(06.7.11)
置場