リアル


 目覚ましアラームもなしに起き出した今日、いま、何時だろうか、と不覚状態に陥った原因を聴覚が知る。雨が降っている。窓の外が暗い。早朝も早朝、まだ四時だ。灯した携帯のディスプレイがうるさいほど目に明るい。
  なにもかもがおかしな朝だった。俺が日の昇るより先に目覚めることからおかしかった。普段うるさいほど自信家な男が泣き言じみた電話をしてくることがおかしかった。朝四時。思いやりのない時間だ。その非常識さは普段と変わらぬように思える。

 一方的に切るなと言われた通話をそのままに、スピーカーに切り替えて携帯を充電器に挿す。なんだか腹が立ってくる。あいつはまた一人だけの気分に浸って一人で完結しようというのか。こんな非常識な時間に目が覚めたのもこの電話を受けるためだったかのようだ。愛してる? まともになる? 諦める? 嘘ばかりだ。言葉遊びで煙に巻かれた現実を俺は知っている。愛してくれる? なんて、一体どういう冗談だろう。初めにキスを拒んだのはおまえ自身じゃないか。
 二人きり、ベッドの上で言葉もなく、言葉しかない男は寝たふりを決め込んだ。自分から誘っておいて、その上辺だけの言葉が現実になろうとするとすぐに身を引いてしまう。自分以外に主人公がいない物語に俺を巻き込んでおいて、俺が言葉を発したら距離をおくのだ。そして己にとって都合のいい距離ができたら愛してるとのたまう。寄せた肩を押し返す手に力はなく、希求も拒絶も同じだけ曖昧だ。
 その気もないくせに距離を縮める素振りだけをする。素振りだけが目的だからだ。彼のいう小説のための、文学のための、経験のための、手段にすぎないからだ。分かっていて、俺はなぜ電話を切ってしまわないのだろう。
 どこかで期待している。この馬鹿馬鹿しいドラマの結末が俺にとって、彼にとって、素晴らしいものになるかもしれないという期待値から現状の維持を図っている。もちろん現実も知っている。彼が彼の手でなにがしかを起こす気がないのを知っている。俺が起こした行動に反応を示す以外をしないのだ。俺から発信しないとなにも動き出さないのだ。
 いくらでも薄情になれる。酷薄になれる。優しくなれる。俺に実体がない。破れた肖像画に額縁だけが白々しい。空洞のモニュメント。俺に求められる機能を他の誰かが俺よりもうまくやるのなら、恐らく俺はゼロになる。代替可能な身の上を憐れと思いはしない。おまえに限った話じゃない。俺の代わりはいつだってどこにだっているものだ。そういう関係しか築けないのは俺の問題にすぎない。おまえは自分をまともじゃないと言うが、俺だっておまえと同じかそれ以上に歪んでいるのだ。おまえが俺に歪みを求めはしないから、俺はまっすぐなふりをする。月に向かって伸びていく、伸びていく、伸びていく、欅は月を掴みはしない。月に向かって吠えるのは負け犬だけと決まっている。心も銅貨もすり抜けていく抜け殻のてのひらの空しさを知っている。

 優しくしたいのは俺の自己満足に過ぎないかもしれない。愛していると言いたいだけなのだ。
「じゃあね」ってさよならが最悪だ。訳の分からぬうちに幕が下りた。舞台に上がらぬうちに物語が終わってしまった。最悪だ。最低だ。俺はまたなにもしないうちから終わってしまう。行かなくちゃ。あの最低で最悪な男は大馬鹿野郎だから、一人になったらダメなんだ。俺の代わりができるまで、俺がいなくちゃダメなんだ。大馬鹿野郎は俺か。それでもいいんだ。会いたいから行くんだ。同じだけ馬鹿なんだからやりたいことやるんだ。雨の日、月はないがもとより俺たちの世界に月なんかありゃしないんだ構いやしない。負け犬だって走ることはできる。電車はとうに走っている。玄関を開ける。真っ暗な空気。構わない。左手にビニール傘を掴んで、かかとを踏んだスニーカーで踏み出す舞台は俺が主役の物語だ。結末なんてどうとでもあれ!



(07.4.28)
置場