運命的・続



 昼日中の陽射しがカーテンの隙間から忍び込んで汗ばんだ素肌を撫でていく。
 俺の手足はあちらこちらへ遊んだが、性感の火がくすぶり続ける肉体は身体感覚を拡散させていく。顎を伝い落ちる汗も湿気たシーツも陽射しの直線を映す天井もすべて俺自身だ。そんな馬鹿げた直感も否定できないほど感受性が壊れてしまった。
 オメガのヒートのなんたるかを俺は全然分かっていなかった。
 安澄は俺の背中を抱いて首筋に唇を寄せてねぇ、と言った。たった今腹の中で放って出て行ったものは熱く硬いまま尻に押し付けられている。
「ちょっと」
 待ってほしい、というのは裏切りになるのだろうか。分かち合えないくせに欲しがった無様を、俺一人の不格好で終えるなら甘んじて受け入れただろう。けれどそれが安澄を傷つけると分かり切っていてどうして言えるだろうか。
 眼球の裏に頭痛の気配が貼りついている。きっと脳がむくんでいる。きっともう俺には無理だ。でも、きっと多分なんてネガティブな妄想は今更だ。そんなものは全部捨ててこんなことを始めたんじゃないか。
 虚脱した腕を持ち上げる力もなく手首を返して安澄の腕に触れる。
「いれないよ」
 俺の前髪をかきあげ笑って見せた安澄の顔に満足した様子はない。それはそうだ。オメガの欲動はアルファに向かっている。なにも特別なところのないベータの俺に受け止めきれるものではないのだ。
 安澄の手が内ももに触れた。性感と同じだけ恐れを感じる。無意識に強張った身体をなだめるように安澄は俺の頭を撫でた。
「いっ、いれていいよ」
「いれないよ。……脚閉じてて」
「え、あっ」
 太ももの狭間に勃起が滑り込む。やろうとしていることに気付いて腿に力を込める。粘膜を直接こすられているわけではない、とはいえ散々高められ感覚の尖った皮膚は内側にくすぶる快感を刺し続ける。
 頬を預けた枕を抱きしめて、突き上げのリズムで抜き差しされるのに身体を任せている。肌が触れ合う音と首筋にかかる安澄の獣じみた呼吸を感じ、自分がなにをされているのか、どんな風に身体を使われているか、誤魔化しようもなく突き付けられる。訳も分からず夢中になって抱かれるのと違い、今俺と安澄の呼吸はバラバラだ。

「大丈夫? 玄関まで匂い……えっ?」
「えっ?」
 突然寝室の扉が開き、知らない男が現れた。そして目が合った。安澄は気付いていないのか行為を続けている。男はベッドの端に腰を下ろす。下すのかよ、と驚くが安澄に抱え込まれた身体を動かすことができない。
「あ、安澄、安澄、ひとが」
「ん、もうちょっと」
「ごゆっくりどうぞ」
「いや、いや、あの、俺」
 俺知らない人の前でちんこ丸出しなんだけど。いいのか、俺はちんこ丸出しでいて。ごゆっくりしている場合なのか?
 安澄が腰を遣う。男は傍らでそんな俺たちを見ている。俺はいたたまれなさに枕に顔を埋める。安澄の欲の滲んだ呼吸だけが部屋を満たしていく。
 百年にも感じるほんのわずかな時間を終えようと安澄が息を詰め精を放った。
「落ち着いた?」
 低く落ち着いた声がした。声は安澄に向けられている。
「早かったね」
「撮影早く終わったんだよ」
「この後は?」
「なにもないよ」
 不意に二人の会話が止まったので恐る恐る枕から顔を上げた。男は安澄の顎を取りキスをしていた。安澄も舌を絡め、ドラマのような、映画のような、情熱的なキスをしている。
 男の視線が俺に向く。キスをする二人を見ている俺を見ている。俺は一体どうすればいいのだ。てへへ、と頭をかきながらこの場を去るか。それとも二人の間に割って入るか。男は俺を見ている。めっちゃ見ている。集中しろよ、安澄に。
 結局二人が唇を離すまで呆然と眺め続けてしまった。言葉を最初に放ったのは男だった。
「彼が例の?」
「そう、例の。可愛いだろ」
 安澄は固まった俺に向き直りにこっと笑った。おまえこそ可愛いよ。
「あの話は本気?」
「俺は本気。真原もいいんじゃないかな。ね?」
 二人の話にまったくついていけず曖昧に笑って誤魔化す。俺もいいのかな。なにがだ。全然分からん。というか。
「あの、彼は一体……」
 どちら様でしょうか、という話だ。安澄はふふ、と笑い、男は驚いたように目を見開いた。
「天谷宗平って知らない?」
 安澄はいたずらっぽく言った。男の顔を見る。名前を反芻する。
「あま……、あっ! あー!」
 知っている。俳優だ。先月一般人と結婚発表した。海外の映画にも出てる、モデルもやっている、あの天谷宗平だ。
 そしてハッと気付いてしまう。このやたら広いオシャレなマンションは、つまり。
「い、い、一般人……?」
「そうそう、オレオレ」
 さっと血の気が下がる。知らなかったとはいえ俺は、あの天谷宗平のパートナーとめちゃくちゃエッチしてしまった。ゴシップ誌にあることないこと書かれてしまう? ワイドショーでAさんとか言われるのか俺は。
「あの、あの、俺、え? ど、どうしよう」
「どうするぅ?」
 助けを求めた安澄はからかうように笑う。
 土下座か。それしかないか。許してもらえるのか。えっ。
「んっ、え? んんっ、あふ、んむ」
 キスをしている。突然。何故。天谷は俺の顎を掴みめっちゃ舌を入れてくる。何故だ。何故。何を。舌が舌に絡んで、上顎をなぞり、性感を煽るような動きをする。天谷も俺も目を開いたまま。怖い。恐れから目を逸らすと安澄と目が合った。安澄の表情は……、無? 分からない。どういう表情なんだそれは。
「ん、んんっ、はっ、ん」
 やばい。本当にやばい。天谷のキスは安澄のキスとまるで違う。顎を抑えられたままされるそれは支配的な色に塗り替えられるような強い官能があった。二人の目に見られながら、みっともない声が漏れる。何が何だか分かってもいないのに。
「気持ちいい?」
 安澄が湿りを帯びた声を耳に忍ばせてくる。揶揄すら感じる響きに胸が熱くなってくる。やばいって。下半身に血が集まる。ダメだって。この状況で気持ちよくなったらいけないのに。
 誰かの指が乳首を撫でる。ダメだって。ダメなのに。肩甲骨が内に寄る。身体はもう俺の制御を超えている。勝手に気持ちよくなってしまう。無意識に開いた脚の間、汚れた太ももの奥へ指が這う。
「どれだけやってたの?」
「昼からずっと?」
「おつかれ」
 呆れを含んだ言葉に安澄はかすかに笑った。俺は身体の内側に入り込んでくる指の違和感に息を詰めた。安澄のものと違う指が二本、遠慮もなく精にぬかるんだ中をかき回してくるから、なにも考えられなくなる。神経過敏な粘膜はもうこれ以上の性感を望んでいないはずなのに、硬質な指を受け入れる中は媚びるように迎えている。
「ここに俺のちんぽ入れていいの?」
「……えっ、あっ」
「三人ですれば浮気じゃないもんね」
「えっ」
 二人から矢継ぎ早に言われ、身体感覚の反射を返すだけで手一杯な俺の脳は簡単に思考を放棄した。三人ですれば浮気じゃない。そうだ、仮にも新婚の安澄が浮気なんかするわけないじゃないか。なんでそんな当たり前のことも分からなかったんだろう。脚を開き、人差し指と中指の狭間から穴を示す。
「ちんぽ入れてください」
 なにを言っているんだ、俺は。瞬間シラフになった頭は羞恥を覚えるより先に挿し込まれた熱さに溶けた。知らない熱の形に逃げをうつ身体を抑え込むように腿を抱え込まれ、力強く腰が入る。苦鳴も嬌声も安澄の唇に絡めとられて、喉の奥に突き上げられて吐き出される息が詰まる。
 形も熱も突き上げの強さも違う。なのに身体は快楽に震え続けている。これが二人の当たり前なのかもしれない。そんなつもりはないのかもしれない。けれど身体は逃げ場をなくし快感に雁字搦めにされている。
 躾けられた内壁は安澄のパートナーのものであっても喜んで食いついて、甘やかすような安澄のキスや身体を撫でる手の優しさに陶酔が極まっていく。目玉が回る。
「やば、入れすぎた」
 天谷の言葉とほぼ同時に俺のつま先も意思に反して跳ね上がった。
 なにが起こったのか。理解するより先に小便が漏れた。咄嗟に安澄の身体を押したが思ったより手に力が入らなかった。震えていた。
 なにが起こったのか。明らかに、入ってはいけないところに天谷の亀頭が入り込んでいる。すぐにでも起き上がって粗相を詫びたいのに動くのが怖かった。
 動きを止めた天谷とじっと固まった俺を不思議がったのか安澄が身体を起こす。
「結腸抜けた?」
「さわ、さわんないで」
「大丈夫、大丈夫。怖くないよ」
 安澄の手が腹を撫でる。じっとりとした手の熱さが腹の中の天谷のものをあやすようで、一体俺はなんでこんなことをやっているんだろうかと分からなくなる。なにしてんだろう。どうするんだろう。無茶苦茶になってる。
「ご、ごめんなさい」
 なんにも分かってないのに言葉が勝手に口をつく。安澄は大丈夫と俺をなだめすかす。違うんだ。そうじゃないんだ。分からないけど、俺が全部悪いのは分かる。
 まともな言葉も吐けなくなった唇を塞がれて、柔らかいキスの感覚にぼんやりと頭が分からなくなってくる。
「もう大丈夫?」
 天谷の声だ。そう認識した瞬間、食い込んだ輪から抜け出すように中のものが頭を振って通り抜けていく。緊張に跳ねた身体が弛緩するとまた強く押し入ってくる。不随意に跳ねる身体を安澄と天谷に抑え込まれたまま、初心な性感を容赦なく躾けられていく。
 脳が焼ききれそうなほどの快感のなか、俺の目玉はぐるりと上を向き、奥深くに精を放たれ抜け出ていく安堵感にそのまま意識を失った。


 ふと、手のひらに痛みを感じ目が覚めた。
 動かない身体はそのままに目線だけ向けると安澄と天谷が獣のようにセックスをしていた。
 うつ伏せ腰を上げた安澄に天谷が覆いかぶさっている。感じた手の痛みは安澄が俺の手を握っていたからだ。
 安澄は聞いたこともないような声を上げ、天谷も先ほどとは打って変わって獣じみた腰遣いだ。アルファとオメガの正しいセックスがこれなんだ。ぼんやりと思う。二人とも本能に突き動かされているようだ。
 天谷が安澄のうなじに唇を落とす。あ、と思う間もなく安澄はきつく俺の手を握り咆哮を放った。
 痛いほど握られた手の感触に、これが俺の運命なのだと思った。動物じみたセックスをしながら安澄が捨てたくないものに俺を選んでくれるなら、きっとそれが俺の運命だ。


 目を閉じて開くと喧騒はなくなっていた。また少し眠っていたようだ。
 エアコンの効いた部屋は湿度の気配も薄らいでさっきまでのことが夢の中の出来事のように感じる。けれど身体の節々に残る重い倦怠感が夢ではなかったのだと自覚させた。
「水飲む?」
 身じろいでいる俺の足元から天谷の声がかかる。
「あ、ください」
 思ったように声が出なかった。喉のかすれを払おうと咳ばらいをしているとボトルの水を渡された。肘をついて起き上がろうとしたが思いのほか身体が重く中途半端な姿勢のまま水を受け取る。キャップが緩められていたので開けるのに苦労することはなかった。一口飲んで蓋を閉める。
「安澄は風呂はいってる」
「そうですか」
「うん」
 セックスまでしておいて顔を突き合わせると話すことがなにもない。気まずい。間の持たなさに焦り始めると自分がやらかした様々なことが思い出され心拍数が上がってきた。
「あの、色々すみませんでした」
「色々?」
「あの、安澄と、あの……、あとベッドとか」
「ああ、ベッドは別に大丈夫。オメガ御用達のやつだから」
「あ、そうなんですか」
 え、安澄のことは? と思いはするが俺が深堀する話題なのか。聞き流されたなら聞き流されたままでいるのがいいのだろうか。
「俺と安澄は別に恋愛してるわけじゃないから」
「……えーっと?」
「たまたまマッチングしただけ。アルファベット順なのかな?」
「アルファベット?」
 天谷がいうにはこうだ。
 まだ一般に広く知られていないがアルファとオメガにはそれぞれ17の遺伝子型があることが分かっており、同型の因子を持つアルファとオメガに一般的に運命のつがいといわれるような兆候が発露しやすいのだそうだ。
 そして実はパートナーと出会いたい者に向けた斡旋サービスを国で行っているのだとか。あまり知られていないのと、ロマンチストは避ける傾向があるようで利用者は少ないようだが。
「分かっているだけで17型で、この型にはまらない人も結構いるらしいから街中で出会ってタイプ一致するならそりゃ運命的ではあるよね」
「そんな感じですか」
「俺は恋愛ができない性格だし安澄は好きなやつがいるっていうんでお互い丁度良かったのかな。パートナーがいれば体質の煩わしいところがだいぶ抑制されるし、お互い相手に執着しないのが分かって都合がよかったし……、安心した?」
 天谷が俺の顔を覗き込む。綺麗な顔をしているな、とぼんやり思う。安心したのだろうか、俺は。当事者二人に否定されメッキがはがれた運命に失望しているのだろうか。胸のあたりにわだかまりが渦巻いている。
「あの、嫌じゃないんですか……俺が混ざるの」
「別に嫌じゃないけど君が嫌なら俺は関わらないよ」
 俺に対する思いやりは感じなかった。ただただ、面倒なことが嫌いなだけだろう。俺の気持ちはどうなんだろう。流されるままここいる。だから自分の気持ちが分からなかった。
「俺も別にどっちでもいいです」
「それなら口も使えるようになるといいよ」
「あー、なるほど」
 上の空で答えている。手の甲に残る爪痕を見ている。アルファがオメガにする愛咬とは違う、きっとすぐに消えてしまうだろう。頭では分かっているのに、絶対絶対絶対的な誓いが刻まれてしまったんだと確信している。運命なんてとても言えない、安澄の強い執念の証なのだとしたら俺はこれに応えるためだけに生きていったっていいかもしれない。
「もう少し寝てたら」
 天谷の手が俺の頭を枕に導く。まぶたの上に落ちた手のひらにもたらされた暗闇に素直に従って目を閉じた。
 俺はどうかしている。安澄も、天谷もだ。そう思ったらおかしくなって少し笑ってしまった。どうしたの、と天谷が問う。なんにも、と答える。
「寝ます」
 そう告げるとまぶたを覆う手はどこかへ行って、おやすみという言葉が返ってきた。
 目が覚めても俺たちは運命の外れ者同士だろう。心強いことだ。目覚めてシラフになろうがどうせ、大馬鹿者の三人なのだ。運命のガイドなしに歩いていこうがどこへなり辿り着けるだろう。だから俺は安心して眠りにつくことができる。
 服を着た三人でどんな話をするんだろう。来年、もしくは三年後、もしくは五年後、俺たちはどうなっているんだろう。考えるだけでも最悪で面白い。だけどそんなに悪いことにはならないだろう、なんて楽観に笑ってしまう口を押えてやがて本当に眠ってしまった。



(21.7.29)
置場