THE  BORDER


 感情を伴わない性行為に意味なんてない。
 そこにあるのはただ純粋な肉欲だけだ。
 だとすれば、いっそ潔いほど貪欲に、その快楽を求める方がいい。
 考えてはいけない。
 想いを残してはいけない。
 優しさや、労わりや、およそ愛と呼べる一切のものを切り離して、何も感じず、求められるがままに脚を開き、与えられる快楽を受け入れればいい。
 そこに何も求めてはいけない。
 なぜなら……求めることに何の価値もないからだ。





「1、2、3……」
 小さなつぶやきは、やがて両手の指をすべて折り曲げられたところでぴたりと止まった。
 そのままゆっくりと開かれた指先は、所在無さげにテーブルの上に置かれたグラスの淵をなぞっていく。
 いつもは清潔な白い手袋に包まれている指先は、今は無防備に人目に晒されていた。
 彼はそのほっそりとした指先を、ほとんど手つかずのグラスの中に差し入れると、小さくなった氷をつまみ上げ、口の中へと放り込んだ。
 濡れた唇を舐める赤い舌先が見えた瞬間、その場にいた連中はごくりと喉を鳴らした。
 場末の酒場にはそぐわない雰囲気が、彼の周りを包んでいた。
 柔らかな蜂蜜色の髪をかき上げる仕種が、時折物憂げに洩れる溜め息が、そして何より、伏せられていた視線がふいに上げられた時の光を弾く瞳の色が。
 そんなすべてが、見る者の視線を動けなくする。
 男だと分かっているのに、彼を見ていると心の奥深くに隠れていた醜い欲望が頭をもたげるのを、誰もが感じていた。
 外見はどう見ても華奢な優男だ。
 粗末なシャツとコートの下の身体がほっそりとしていることは明らかで、もし屈強な男が数人で押さえ込めば容易くその欲望を果たせることができるだろう。
 そう考えた数人が席を立ったその時だった。
 のそりと現われた大柄な男が、彼の目の前にどさりを座った。
 ちらりと男たちを見た視線は鋭く、本能的に勝てないことを悟る。
 邪魔が入ったことに小さく舌打ちして、邪まな妄想を宥めるために、男たちは再び酒を煽りだした。



「あんまり、無防備な姿見せてんじゃねぇぞ」
 笑いを含んだ声に、カミューは顔を上げた。
 そこにいたのは、同じ同盟軍で共に闘っている傭兵のビクトールだった。いつもの人を食ったような薄い笑いを浮かべ、カミューの頼んだボトルを断りもなく自分の方へ引き寄せる。
 遠慮のない行為に呆れつつも、カミューは何も言わず微笑んだ。
「無防備でしたか?」
「ああ、フェロモン垂れ流しって感じだったな」
「………それは失礼しました」
 くすりと笑って、カミューはグラスを口にして薄くなった酒で喉を潤した。
 肘をついた姿勢で酒を煽るカミューの姿なんて、ついぞ見たことのないビクトールは、不思議なものを見るかのようにその様子を眺めていた。
 だいたい、こんな場所でカミューと会うことからして珍しいことだ。
 同盟軍の本拠地から離れたこの村は、交易のルートからも外れており、あまり人に知られてはいない村だった。それでも、美味い地酒があることを知っている酒飲みたちは、夜になると一人二人と酒場へやってくるのだ。
 ビクトールもこれまで何度かここには来たことがあった。
 たいていはフリックと一緒だったが、今夜は一人だった。
「ここはよく来るのか?」
「……いえ、初めてです。噂には聞いていたのですが、なかなか機会がなくて。でも、確かに酒は美味いですね」
 もう相当飲んでいるだろうに、カミューの口調には乱れたところが少しもない。
 見かけによらない酒豪ぶりに、ビクトールは軽く肩をすくめた。
「あなたもお一人ですか?」
「ああ……お前ンとこと一緒だ。今回は長いな……」
 リーダーのお供でマイクロトフもフリックも、もう二週間ほど城を空けていた。その間、シュウに頼まれて細々とした仕事はこなしてきているものの、どうも今一つ緊張感がない日々が続いていた。自分の片割れがいないというのは妙に落ち着かないものだった。
 そろそろ帰ってきてくれないと限界だ、とビクトールは飢えた気持ちを持て余していた。それは精神的にも肉体的にも。
 かといって、フリック以外の相手で欲望を処理しようなどとは考えられなかった。以前なら簡単に適当な商売女と一夜を過ごしていただろう。
 けれど、お互いの関係が深くなるにつれて、だんだんとフリックでないと満たされなくなってきている自分に気づき始めているのだ。
 
(抱きてぇな……)

 ビクトールはきゅっとグラスを握ると、フリックと最後に寝た時のことを思い出していた。
「………さん?」
「え、ああ……悪ぃ、何か言ったか?」
 カミューが小さく笑って、空になったグラスに酒を注いだ。
「不埒なことを考えてらしたでしょう?」
「ああ?」
「そういう顔してましたよ」
 ビクトールはずばりと言い当てられて苦笑した。
 マチルダ騎士団出身のこの美麗な騎士と、こうして差し向かいで話をするのは初めてだ。
 普段、パーティを組むことも多々あるので、彼が見た目通りの穏やかな性格をしているわけではないことはよく知っている。
 むしろ、その手の甲に宿した烈火のごとく、激しいものを内に秘めている青年だと、ビクトールは思っていた。だた、こうして二人きりで酒を飲む機会もなく、何となく今一歩踏み込んで話をすることがなかったのだ。
「もう10日になりますね」
「うん?」
 カミューがくいっと酒を煽り、空になったグラスをビクトールへ差し出す。促され、ビクトールは次の酒を注いでやる。
「フリックさんが遠征に出てから、10日」
「あー、そうだな。お前さんの相棒と同じだ」
「ええ」
 カミューはイスの背に深くもたれかかると、細い指先で前髪をかき上げた。どこか潤んだ瞳が遠くを見つめるように切なげに揺れた。
 その瞬間、ビクトールはこの青年の放つ不思議な雰囲気にドキリとした。
 今まで、彼を見ていてもそんなことを感じたことなどないというのに、今夜に限ってどういうわけか、妙な色気みたいなものを感じて、少し警戒しながらカミューの様子を窺った。
 綺麗な顔立ちをしていると思う。
 フリックと共に恥ずかしい名前の協力攻撃をするだけあって、そこらの女顔負けの容姿と物腰をしたこの青年は、城中の女性たちの憧れの的だ。
 カミューがマチルダ騎士団を離反し、この同盟軍へとやってきた時、その傍らには同じくマチルダで青騎士団長を務めていた青年の姿があった。
 後に二人がマチルダの双璧と呼ばれていたと知り、さもありなんとうなづけるほどに、彼らは完璧な一対に見えたし、また実際そうだった。
 どちらかというと直情型で、熱しやすいマイクロトフに対し、カミューはいつも笑みを絶やさず、先走る男を上手く操縦しているようにも見えた。
 彼らがただの同僚や親友というだけではなく、もっと深い感情で繋がっているのだと知っても、ビクトールはさして驚きはしなかった。
 ただ、相当にプライドの高そうなカミューのことを、あの朴訥とした男がどうやって手中におさめたのか、それだけが不思議だった。その程度だった。
 二人が恋人同士だという事実以上のことを考えたことなどなかったのだ。それが、どういうわけか今夜のカミューを見ていると、下世話な想像が頭に浮かんで仕方なかった。
 何も知らないような顔して、彼はいったいどんな風に男に抱かれているのだろうか、と。
 いつも毅然とし、礼儀正しく、性欲なんてかけらも感じさせない彼が、恋人に抱かれ、どんな表情をするのか。どんな声で快楽をねだるのか。どんな媚態を晒すのか。
 そんなことを想像するなんてどうかしていると思いながらも考えることを止められなかった。
 そして、フリック以外にそんなことをしたいと思ったこともないくせに、何故か唐突に思ってしまったのだ。
 こいつを抱いたらどんな感じなのだろうか、と。
 知らずうちに、ごくりと喉を鳴らしてしまったビクトールは、ふいに膝の辺りに触れた温もりにぎくりとした。
 そろりと視線を上げると、そこに怖いほど人を魅了する笑みを浮かべてカミューがいる。
「何を考えてらしたんですか?」
「え、いや別に……」
「……人の顔をみてセックスのことを考えるなんて、あんまり趣味がいいとは言えませんね」
「そんなんじゃ…」
 言いかけたビクトールは言葉を無くした。
 膝をゆっくりと撫でるのがカミューの素足だと分かり、言葉を無くすのと、カミューが赤い唇を舐めたのが同時だった。
「……っ」
 ビクトールはがたっと音をさせて立ち上がり、力任せにカミューの手首を掴んだ。
「来い」
 これが性質の悪い挑発だと、頭の片隅で分かっていた。
 本気にすれば、カミューに手痛いしっぺ返しをされるだろうことも。
 けれど、理性なんて何の役にも立ちはしない。
 何故なら、その瞬間、ビクトールは欲しいと思ってしまったのだ。
 カミューのことを。
 何の感情の残さずにただ楽しむだけの一時の快楽を。



 お互い無言で酒場の裏手にある宿屋の扉を開けた。
 安っぽい室内にあるのはただベッドとイスが一つ。まさしくそのためだけの部屋に、ビクトールは苦笑を禁じえない。冷えた部屋の中に、半ば突き飛ばすようにしてカミューを入れ、ビクトールは後ろ手に扉を閉めた。
 暗い部屋の中、互いの表情は見えず、いったい何を考えているのか推し量ることもできず、しばらく無言で立ち尽くしたていたが、重い空気をカミューの一言が打ち破った。
「やるんでしょ?」
 それが当然のことのように言った台詞。
 ビクトールは少し警戒をしながら、カミューに問い掛ける。
「……いったいどういうつもりだ?」
「どうって?理由がいるのですか?ただ性的欲求を満たしたいだけでしょ?あなたも私も」
「ヤツがいなくて……餓えてんのか?」
「餓えてますよ、私だって、男ですから」
 暗闇に目が慣れると、窓から入る淡い光に縁取られたカミューの表情が見えてくる。
 彼の表情には何の感情も浮かんでいなかった。いったい何を考えているのか分からない。冗談なのか本気なのか。
 ビクトールは、熱に浮かされたようにどこか遠くを見ているカミューに手を伸ばすと、そのまま壁際へと押しやった。とんっと背をついたカミューはほんの少し顔を上げ、試すようにビクトールのシャツを引っ張った。
 そのまま動こうとしないビクトールに、カミューはひっそりと笑う。
「私が怖いですか?」
「……怖いな。あとでとんでもねぇことになりそうで」
「それは……あなた次第だと思いますけど?」
 やるのかやらないのか。
 自分から誘っておいて、選択権は相手に委ねるカミューのやり方に、ビクトールはほんの少し腹を立てた。別にこっちは構わない。カミューの言う通り、ただ満たされない欲求を満たすだけだ。そこには何の意味もない。
 ビクトールはカミューの薄い肩を壁に強く押し付けたまま、その髪に唇を寄せた。鼻先をくすぐる柔らかな髪。フリックとは違う甘い匂い。
 ぐいっとその髪をつかみ顔を上向かせると、ビクトールは睨み付けるようにしてカミューの榛色の瞳を覗き込んだ。
 視線を反らさずビクトールを見つめ返すカミューに口づけようと、ゆっくり顔を近づけると、ふいっと目蓋が伏せられた。
「……何だ、キスするのは嫌だ……なんて言うつもりじゃねぇだろうな」
 揶揄するようなビクトールに、カミューはくすりと笑う。
「……まさか。女子供じゃあるまいし、そんなヌルいことを言うつもりはありませんよ」
 上等だ、とビクトールは噛み付くように唇を合わせた。
 柔らかな唇の感触。その咥内を味わいたくて、ビクトールが舌を差し入れると、カミューは拒むことなく受け入れた。吸い込むようにして、カミューはビクトールの濡れた舌先を巧みに絡めとっていく。まるで別の生き物のように、きつく、緩く、何かを煽っていくような口づけに、ビクトールは思いがけず翻弄されていた。
「んぅ……っ……」
 飲みきれない唾液が、つっと口角から伝い落ちた。息苦しさに、思わずカミューがビクトールの胸元を押し返そうとする。それを許さず、ビクトールはカミューの腰を引き寄せると、さらに強く壁に押し付けて飽きることなく、口づけを貪った。
「ぅ……ん……」
 片手でカミューの腰を抱き、もう片手でシャツの裾を引きずり出そうとするビクトールの足を、カミューが思い切り踏みつけた。
「いてっ……何しやがる……」
「……少しは落ち着いたらどうです……」
 濡れた口元を拭って、カミューが呆れたような視線をビクトールへと投げかける。ぎらついた瞳でカミューを眺めていたビクトールは、小さく一つ吐息をつくと、乱暴にカミューの身体を抱き上げた。
「ちょっ……!」
「うるせぇ、黙ってろ」
 どさっとベッドの上にカミューの身体を放り投げると、起き上がる隙を与えずにビクトールはカミューの身体に跨った。一瞬、身を捩ろうとしたカミューは振り上げた右手をぱたりとシーツの上に投げ出した。
「……いつもこんなに乱暴なんですか?」
「……いつも優しくしか扱われてねぇのか?」
「…………」
 束の間の沈黙のあと、カミューはくすくすと笑った。
「そうですよ、愛されてますから……」
「惚気やがって……」
 ビクトールはカミューの額を押さえつけると、片手で器用にシャツのボタンを外した。目の前に現われた白い肌に思わず喉を鳴らすと吸い寄せられるように首筋に顔を埋め、ゆっくりと舌を這わせた。しっとりと掌に吸い付くような滑らかな肌触り。
「……っつ…」
 かりっと胸元に歯を立てられ、カミューはびくんと身を奮わせた。尖らせた舌の先で何度も胸の尖りをいたぶるように愛撫され、だんだんと息があがる。口にしていないもう片方を捏ねるようにして指先で摘ままれると、次第に固く勃ち上がってくるのが自分でも分かった。
 面白いくらいに敏感に反応するカミューの身体に、ビクトールは正直感嘆せずにはいられなかった。
 くちゅっと濡れた音をさせて、顔を上げると、ビクトールは身に纏っていた衣服を脱ぎ落とした。鍛え上げられた肉体は成熟した男のもので、圧し掛かる重みに、カミューは小さく喘いだ。
「優しくなんてするつもりはねぇからな」
 言うなり、ビクトールの指がカミューの脚の間に差し込まれる。何か言いかけたカミューの唇を強引に塞いで、ビクトールはゆっくりと、まだ何の兆しも見せていないカミューのものを嬲り始めた。
「……んっ……」
 目を閉じて、カミューは咥内を荒らす舌の感触と、淫らに動くビクトールの指に神経を集中させていた。10日間、マイクロトフの不在で持て余し気味だった欲求は一気に高まり、身体の奥が疼くように熱くなる。
 触れ合った唇は時折離れ、追いかけるように差し出される舌を味わうように舐める。
 ビクトールは一旦カミューのものから手を離すと、もどかしそうにカミューのベルトを緩め、下衣を膝元まで蹴り下ろした。
「……っ」
「さて、と……じゃあ、じっくりと楽しむとするか……」
 どこか楽しげな表情を浮かべて、ビクトールがカミューの耳朶を食むようにして囁いた。その言葉にカミューはうっすらと微笑んだ。



 こいつはいつもこんな風に声を殺しているのだろうか、とビクトールはふと思った。
 おざなりに抵抗をしてみせたカミューの手首を一纏めに押さえ込んで、ビクトールは手にしたカミューの花芯をゆったりと擦り上げていた。親指の先で先端を円を描くようにくすぐると、ぬるりとした蜜が指先を濡らす。次第に快楽を兆しを見せ始める花芯の熱さに、ビクトールは喉の奥で笑いを洩らす。
「……ぅ……ん……っ」
 中心を弄る指の動きに合わせて、カミューが緩く首を振ると、ぱさっと蜂蜜色の髪がシーツに広がった。首筋が仄かに朱に染まり、ふわりと体温があがっていることから、感じているのだと分かるものの、どこか苦行に耐えているようなカミューの表情に、ビクトールは小さく舌打ちした。
「声……出せって……」
 きゅっと少しきつく握りこむと、カミューは閉じていた目蓋を開けて、潤んだ瞳でビクトールを睨んだ。
「気持ちいいなら、素直に声出せって……」
「うる……さ……っ……あっ…!」
 ビクトールは戒めていたカミューの手首を解くと、その手で力なく投げ出されていたカミューの白い両足を半ば持ち上げるようにして抱えこんだ。
「な、に……っ……」
「お前がどんな声で鳴くのか、ちょっと聞いてみたいんでな……」
「やめ……っ…」
  何もかもを目の前に曝け出してしまう形になる格好にさすがのカミューも身をよじろうとするが、がっしりと抱え込まれて身動きができない。
 ビクトールは上体を屈めると、カミューの腿の内側に舌を這わせた。
 生暖かいその感触に、びくっと反応してカミューは手近にあった枕を叩きつけた。さして威力のないその行為に、ビクトールはうっそりと顔を上げ、そして困ったように苦笑した。
「フリックと同じような抵抗の仕方するんだなぁ」
 足癖が悪いところまでそっくりだぜ、と暴れるカミューの足を押さえつけ、ビクトールは先ほど舐めた柔らかな内腿に噛み付いた。
「はぅ…っ…」
 子犬が甘噛みするように、左右の脚の付け根近くまで唇を移動させるが、肝心なところには触れようとしない。熱い吐息が触れるたび、感じ入ったように花芯は震え、先端に粒となって溢れていた蜜がつぅっと流れ落ちた。
「舐めて欲しいか?」
「っ……」
 ずいぶん感じてるみたいだしなぁ、と含み笑いを洩らして、ビクトールは人指し指で緩く勃ちあがったものを撫でた。息を呑んで、カミューはきつくシーツを握り締めたが、それでも意地でも声を出そうとはしない。

(案外と強情なヤツだ…)

 いつもどこか冷静で、我を忘れたりすることなどないように見える彼のことを乱してみたくて、ビクトールは肩で脚を押さえたまま、そっと花芯を舌先で舐め上げた。
 ひくつく先端が溢れる蜜を吸い取り、ゆっくりと口内に含む。とたんに硬度を増したものをしゃぶるようにして唇で愛撫すると、カミューは小さな叫びを上げて、ぎゅっとビクトールの髪を掴んだ。
「ん、んぁ…っ…!」
 強弱をつけて吸い上げると、次第に漏れる声にも快楽の色が滲んでくる。とろりと溢れる蜜を何度も飲み込み、先端から裏側をしつこいくらいに舐めつづけると、カミューはきゅっと脚を閉じようと身を捩った。簡単に達することができないようにビクトールが根本を押さえると、ぐいっと力任せに前髪を引っ張られた。
「いてぇな」
 ビクトールが思わず顔を上げると、涙で潤んだヘイゼルの瞳に睨まれる。
「さっさと…」
 大きく胸を喘がせて先を強請るカミューに、ビクトールはぺろりと唇を舐めた。
「お前がいい声で鳴いたらな」
「…っ!」
 言うなりビクトールはそれまでの緩慢な愛撫から痛いほどに激しいものへと切り替え、わざと音を立ててしゃぶり立てた。
「い…やぁ…んぅ…っ…」
 いつもとは違う舌の動きに翻弄され、カミューは大きく背を反らして与えられる快楽に耐えた。何も考えずにのぼりつめてしまうには惜しいほどの快楽。もっと、と思う反面、自分がどうなるのか分からない恐怖に気が狂いそうになる。
 ちゅぷちゅぷと水音が響くたび、カミューはもう嫌だと声を上げた。
「や…ぁ…あ、もぅ…イきた…ぃ…」
 微かな懇願にビクトールはゆるりと根本を戒めていた指を解いた。
 喉の奥で吸い上げると、カミューはあっさりと熱を放った。大量に吐き出された白濁をすべて飲み込むことはせず、自らの指へと吐き出すと、ビクトールは閉ざされた肉の狭間を濡らすようにして押し開いた。
「ひぁ…っ…ん、んん…」
「力抜かねぇと辛いだけだぞ」
 そんなことは分かっている。けれど自らが放ったものでぬめる太い指が、身体を割り開いていく痛みは何度経験しても慣れることはできない。
 それがすべてを許した男ならともかく、今自分を苛んでいるのはビクトールだ。
 マイクロトフではない。
 ただそれだけなのに、すべてを許して身体の力を抜くことができない。心のどこかで、受け入れることを拒否しているのだろうか。

(マイクロトフでは…ない…)

 カミューは泣きたくなるほどの切なさに唇をかみ締めた。
 何故彼ではない男に身を任せているのだろう。
 ただ飢えた肉体を静めるためだけに、こんな風に脚を広げ、あられもない声を上げ。
 カミューは嗜虐的な思いに身を震わせた。
 そんなカミューのことをビクトールは確実に追い上げていった。二本含まさせた指を中で開き、かき回すように動かすと、カミューは細い声を上げた。
 先ほど放ったばかりのものは再び形を変え、最奥を抉るビクトールの指を濡らす。淫らな光景に下腹部が痛いほどに張り詰めているのを感じて、ビクトールは忙しなく下衣を寛げた。
「もう入れていいか?」
 ぐいっと両足を左右に開かされ、カミューは一瞬怯えたような表情を見せた。
 どれほど解せばいいのか、恐らく個人差があるのだろうとは思うものの、まだフリックが受け入れられる状態よりは固い気もする。フリックが相手なら、泣きだすまで舌と指で蕩かしてからしか挿れたりはしない。少しでも痛みがなくなれば、とそう思うからだ。
 だが、今抱こうとしているのはフリックではない。
 目の前のまだ固く閉ざされた蕾に欲望をねじ込んで、痛いほどの締め付けを味わってみたい。そんなどこか残酷な思いに突き動かされ、ビクトールはひたりと滾った切っ先を押し当てた。
「あ、…無理…っ…やめ…」
「黙って感じてろ」
 ゆっくりと開花され蕩けた其処に膨れきった雄芯が突き立てられ、カミューはひゅっと喉を鳴らした。
「……っ! あ、ああ…ぅ…ッ!」
 ずっ、と一息に半分ほどが埋め込まれ、あまりの衝撃に悲鳴も途中で途切れた。まだ十分解れていないうちに圧倒的な力で捻じ込まれ、込み上げる異物感に吐き気さえするほどだった。
「ああっ……ん、んぅ……」
「馬鹿、息つめんな、力を抜け……」
 痙攣するほどに締め付けられ、ビクトールも思わず眉を顰めた。それでも上体を倒して、薄く開いたままのカミューの唇に口づける。吐息さえも絡め取るように深く口づけ、ゆっくりと腰を進めると、カミューは震える指先でビクトールの肩を掴んだ。
 先ほどまでさんざん指で解されていた後孔は、ビクトールのものを柔軟に飲み込んでいく。狭い肉壁は淫らに蠕動し、中を擦られる快楽に打ち震えていた。
 一番奥まで飲み込ませてしまうと、ビクトールはカミューの感じる辺りを探るために、緩く腰を動かし始めた。
「んん……っ…ああっ……ッ…」
「ここか?」
「い…あぁ……ん、んぅ……」
 ある一点で、カミューの身体が跳ね上がると、ビクトールは何度もそこばかりを突き上げた。浅く深く、激しく抽挿を繰り返され、カミューは甘く嬌声を放った。
 ずり上がる肩を押さえられ、肌のぶつかる音が部屋に響く中、ビクトールの下腹部に擦られたカミューの花芯からとろとろと透明な雫が零れ落ちた。
「いや……っ…んぅ…ああっ……」
「どうして欲しいんだ?言ってみろ……」
「……っ……も…っと……」
 生理的な涙に視界がぼやける。
 敏感な部分を徹底的に攻められ、カミューは頭の芯が白くぶれ始めていた。
「もっと……奥……擦って……っ…」
 ぎゅっと背中を抱き寄せ、自ら両足をビクトールの腰に絡め、カミューは貪欲にその快楽を貪った。求められるままに、何度も勢いよく最奥まで肉棒を埋め込み、ビクトールはカミューの腰を抱え込んだ。
「やぁ……はぁ、は…ぅ……ん、んん……っ」
 繋がりあった場所からはぐちゅぐちゅと濡れた音が立つ。ビクトールの動きに合わせるように腰を揺らめかせ、カミューはもうそこまできた極みの瞬間を待った。
「ん……んぁ…マイク…ロト……フ…っ…!」
 思わず口をついて出た名前に、はっとしたようにカミューは閉じていた目蓋を開けた。
 視界にいるのはビクトール。カミューの焦点の合わない目が、気まずそうにそらされる。濡れた前髪をかきあげて、ビクトール低く笑う。
「いいじゃねぇか……俺に抱かれながら違う男のことを思うなんざ…背徳的でぞくぞくするぜ」
「……っ…」
「もっと呼んでみろ……マイクロトフってな……」
 ビクトールは片手をシーツにつき、半身を起こすと、ぐるりとカミューの身体を回して片脚を引き上げた。
「あっ……くっ……ああっ…」
 太い楔に真横からずんずんと突き上げられて、カミューは耐え切れずに二度目の快楽を解き放った。細い腰が悦楽に震える様を見ながら、ビクトールは自らも解放させようと抽挿の速度を上げた。力の抜けたカミューは激しい衝撃についていけず、されるがままにビクトールへと身体を差し出した。
 痺れるような快楽が背筋を駆け上がる。
 もう限界だという瞬間を待って、一際奥まで自身を埋め込むと、ビクトールはカミューの中に思うままに飛沫を散らした。
「ふぅ……っ……」
 二度三度と軽くグラインドさせて、最後の一滴まで出し切ると、その心地よさに思わず吐息が洩れる。体内に放たれた熱い白濁の感触に、カミューは小さくうめくと、無意識のうちに内部を締め上げた。
「何だよ…まだ足りねぇのか?」
 ずるりとカミューの中を満たしていたものを抜き取ると、くぷっと小さな音を立てて、放ったばかりの精液が溢れ出した。さんざん抜き差しされ、ふっくらと膨れた蕾は痛々しかったが、それさえも劣情を呼び起こすには十分すぎる淫らさだった。
「……あなたは……」
 まだ整わない息のまま、カミューが足元であぐらをかくビクトールを睨んだ。
「いつもフリックさんをこんな手荒に抱いているのですか?」
「いや?ちゃんと相手に合わせてるつもりだぜ?」
「………」
 ニヤリと笑って、ビクトールは力の入らないカミューの腰を高く掲げさせた。
「な…っ…ん……!」
「一度で終わりだなんて言うつもりじゃねぇだろうな」
 蕩けた蕾を指で広げ、ビクトールはつぷっと指を差し入れる。ぐるりと回すと、放ったばかりの残滓流れ出てくる。
 閉じようとするカミューの脚を押さえて、ビクトールは柔らかな双丘を撫でた。
「マイクロトフはどんな体位が好きなんだ?」
「……っ」
「後ろからか?それともお前が上に乗って好き勝手にしてるのか?」
「………」
 答えないカミューに喉の奥で笑い、ビクトールは力任せにカミューの腰を引き寄せると、胡座をかいた自分の脚の間に座り込ませた。
「あああっ……んぅ……っ……!」
 絶妙ともいえる位置合わせでカミューは再びビクトールのものを飲み込まされた。自らの体重で先ほどよりも一層深く含まされ、カミューは緩く首を振った。
「……たまんねぇな……」
 透き通るほどに白いカミューの項。汗でしっとりと湿った蜂蜜色の髪。無駄な肉のついていない綺麗な背中。ビクトールは抱き締めるようにしてその背に口づけると、カミューの脚の間へと手を滑らせ、ゆっくりと弄り始めた。
「んんっ……あっ……ん……やぁ……っ」
「誘ったのはお前だってことを忘れるな……」
「……ふ…っ…あなたこそ……」
 カミューは回れた腕を掴んで、自ら緩く腰を回し始めた。
「あなたこそ……私に溺れないでくださいよ……」
 返された台詞にビクトールはすべてを忘れた。





 目覚めた時、すでにカミューの姿はどこにもなかった。
 しばらくぼんやりと薄汚い天井を眺めていたビクトールは、やがてのろのろと起き上がった。寝乱れたシーツには彼の温もりさえ残っていない。
 昨夜のことはすべて夢だったのではないかと疑ってしまうほどに、情事の匂いは綺麗に消されていた。
「……あいつらしいな」
 後悔などしていない。
 けれど、いったい何故こんなことになったのか、いくら考えても分からない。
 見え透いた挑発に乗って、カミューを抱くなんてこと、まともな神経じゃ考えられないことだ。
 ただ飢えていたから。
 そばにあった肉欲を満たしてくれる相手の手を取った、ただそれだけだ。
 
(感情を伴わない性行為に意味なんてない)
 
 けれど、とビクトールは思う。
 何の意味もなくとも、始まってしまう関係はある。
 
(溺れないでくださいよ)

 どちらがどちらに?
 これは始まりだ。
 それだけははっきりと、ビクトールには分かっていた。

 越えてはいけない境界線を越えてしまったのだ。
 これは、始まりだ。
 


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