<故郷を思う>
カミューがシュウたちとの会議を終えて執務室を出たのは、そろそろ日も暮れようかという頃だった。両手いっぱいの資料を抱えて廊下を歩いていると、中庭へと続く石段にナナミがぽつりと座っていることに気づいた。
その横顔がどこか淋しそうに見え、カミューは足を止めた。
「ナナミ殿」
声をかけられたナナミは飛び上がらんばかりに驚いて振り返った。そしてそこにカミューの姿を見つけると、ほっとしたように肩の力を抜いた。
「なんだー、カミューさんか。びっくりした」
「驚かせましたか、申し訳ありません」
誰もが見惚れる綺麗な笑みを浮かべ、カミューがナナミの隣に腰を下ろした。長い足を持て余し気味に地面へと伸ばし、手にしていた書類を脇に置く。
「カミューさん?」
ナナミが困惑した表情を浮かべてカミューを見る。
「少し休憩です。今日の会議は時間がかかったので、さすがに疲れました」
「シュウさんの会議っていつも長いからね。お疲れさま」
素直な労いの言葉に、カミューはにっこりと笑う。
「何を考えてたんですか?」
「え、えーと、今日の晩御飯は何かなぁって」
「……本当に?」
同盟軍の盟主の義姉であるナナミはいつも元気いっぱいの少女だが、それが彼女のすべてではないことにカミューは気づいていた。この本拠地の中で、いったいどれだけの人間がそのことに気づいているのだろうか。そして、気づいている人間がどれほど彼女の力になってやれているのだろうか、とも思う。
「ずいぶんと淋しそうに見えましたが、何か辛いことでもありましたか?」
「…………」
「ナナミ殿?」
「あのね、カミューさん、カミューさんはマチルダじゃなくて、グラスランドが故郷なんだよね?」
「ええ、そうです」
「帰りたいって思うことある?」
「………そうですね……ありますよ。もうグラスランドを離れてずいぶん経ちますが、やっぱり時々夢に見ることがあります」
「夢に?」
「ええ。マチルダとグラスランドはまったく違うんです。気候も風土も、もちろん言葉や風習。そこに吹く風も、夜の星も、野に咲く花も……」
懐かしい風景を思い浮かべながらカミューは遠く離れた故郷のことを思った。もうどれくらいあの乾いた大地に足をつけていないだろうか。自ら選んで離れた故郷だが、やはりそこは特別な場所なのだ。
「そっか……私だけじゃないんだね」
ナナミはほっとしたように笑った。
「………ナナミ殿は戻りたいのですか?」
ナナミたちはキャロの街で育ったと聞いている。追われるようにして出てきたあの街を、やはり懐かしく思っているのだろうか。
「故郷を思って、淋しくなったのですか?」
カミューが問いかけるとナナミは慌てて手を振った。
「ううん、淋しいことはないの。だってここにはディランもいるし、それに一緒に闘ってくれる仲間もいっぱいいるし、淋しくなんてない。でも……でもね、時々やっぱりキャロの街に帰りたいなって思うことがあるの。あの街で、ディランとジョウイと三人で笑ってた頃に戻りたいなって思うの」
「………」
「淋しくなんてないよ。そうじゃないんだけど……」
そうですか、とカミューはうなづいた。
戻りたいのはあの場所ではなく、楽しかったあの日々なのだ。気丈に振舞っていても彼女はまだ16歳の少女だ。幸せだった故郷での日々を懐かしく思うことをいったい誰が責められるだろうか。
「戻れますよ」
「え?」
「必ず戻れます。だからどうかそんな顔をしないで、いつものように笑っていてください。貴女が笑っている顔が、私はとても好きですよ」
カミューがナナミを覗き込んで優しく笑うと、ナナミは一瞬の後に真っ赤になった。ありがとう、としどろもどろに答えるナナミの可愛らしさに、カミューは胸が温かくなる。
「さぁ、夕食に行きましょう。今日は私が御馳走しますよ」
「ほんと?嬉しいなぁ」
明るい声はもういつものもので、ナナミはカミューの荷物を半分持つと、うきうきとレストランへと歩き出した。
いつか自分もグラスランドへ戻ることになるのだろうか。
その時、自分の横に彼はいてくれるのだろうか。
カミューはふとそんなことを思った。
一緒に来てくれと、恐らく自分は言えないだろう。彼にすべてを捨てさせることはきっとできない。
けれど、やはり見せたいと思うのだ。
あの広大な大地を。吹き抜ける風を。そしてそこにある果てなき自由を。
「故郷か……」
赤く染まった空を見上げて、カミューは久しぶりに遠く離れたグラスランドのことを思うのだった。
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