<この世の果て>
マイクロトフのことが好きだと気づいた時、カミューはひやりと心が冷えるのを感じた。ただの「好き」ではない。それは強いて言うならば女性に対して抱くような、ちゃんとした肉欲を伴った感情で、けれど今まで付き合った誰にも感じたことのない、カミューにとっては初めての「愛情」とも呼べる想いだった。
女性に対しての愛情と決定的に異なるのは、彼の想いはもちろんのこと、その身体をも手に入れたいと思った時、自分は彼を抱きたいわけではないのだと確信したことだった。女性ならば話は簡単だが、彼は自分と同じ男で、一人の立派な騎士で、そしてかけがえのない親友でもあった。自分よりも有に一回りは大きな男を好き好んで抱くような趣味は、ありがたいことにカミューにはなかった。
では彼に抱かれたいのかと言えば、やはり男としての本能なのか、それも違うような気がして、いったい自分は彼を相手に何をしたいのか、カミューは出口のない迷路に迷い込んだような不思議な気持ちになってしまうのだ。
閉ざされた騎士団の社会の中で、同性に抱く愛情は友情の延長であり、一時の気の迷いだと思いたかった。
彼はあまりにもカミューには眩しい存在だったからだ。
彼の清廉さに憧れないわけにはいかなかった。彼の正直さに心を傾けないわけにはいかなかった。彼の騎士としての理想に感動を覚え、そして時に憤りを覚え、それでもやはり目を背けることはできなかった。
彼の優しさに、彼の厳しさに、彼の弱さに、彼の強さに、カミューはいつしか心を奪われてしまったのだ。
一時の気の迷いなどではなかった。
それはもう誤魔化しようのない事実で、どれほど認めたくないと思っても、彼のことを欲しいと思う気持ちは熱く胸を焦がした。
自分はいったい彼をどうしたいのだろうか。口づけて、その肌に触れて、そして身体を繋げたいと、そんなことを望んでいるのだろうか?
答えは見つからなかった。見つからないまま、カミューはマイクロトフのそばにいた。本当の想いを隠したまま、彼のそばにいた。そうするしかできなかったのだ。
「どうした?最近のお前は変だな」
「え?」
ふいに話しかけられ、カミューは顔を上げた。正面に座るマイクロトフは足を組み、くつろいだ様子でカミューのことを見つめていた。いったいいつからそんな風に見つめていたのだろうか、とカミューは戸惑いを隠せない。
「何を考えていた?カミュー」
「……別に何も、ぼんやりしていただけだよ」
言葉を濁すカミューに、マイクロトフはそれ以上は何も言わなかった。手にしたグラスを口にして、強めの酒を喉へを流し込む。
カミューはそんなマイクロトフをそっと盗み見た。
最近彼は急に雰囲気が変わった。半年に渡る国境警備から帰ってきた彼の姿を見た時、カミューは一瞬別人かと思ったほどだった。
長期間の遠征の厳しさを物語るように、まだどこか幼かった彼の面影は精悍さを増し、子供っぽかった彼の笑みはどこか淋しさを滲ませる大人のものへと変わっていた。彼はカミューの知るマイクロトフではなくなっていた。
そんなマイクロトフに再会して、カミューは自分の恋心を知ることになった。
では、好きになったのは、それまでのマイクロトフなのだろうか、それとも変わってしまったマイクロトフのなのだろうか。
どちらも同じマイクロトフだ。カミューが知らなかっただけなのだ。マイクロトフの中の成長を、彼の変化を。あまりにも近くにいすぎて気づかなかった。半年という時間はそれを知らしめるには十分な時間だったのだ。
士官学校時代からの付き合いの二人なので、一緒にいてもお互い好き勝手なことをすることはよくあるし、相手を放ったまま考え事をすることもある。
だから今夜、ずっと黙り込んだままのカミューに、マイクロトフがその理由を聞いてきたのは珍しいことだった。
「カミュー、お前は……俺に何か隠し事をしているだろう?」
「隠し事?」
「そうだ……それくらい、俺にも分かるぞ」
「長い付き合いだからね」
微かにカミューが笑う。
でも、それが何かは分からないだろう。
分かるはずがない。マイクロトフに、こんな自分の想いは理解できるはずもない。そんなカミューの胸の内を読み取ったかのように、マイクロトフが続ける。
「俺に、話してくれないか?カミュー」
「………」
「隠し事はしないでほしいんだ」
カミューはそれはできないよ、と小さくつぶやいた。それは決して口にしてはいけないことだ。彼への想いがどんなものか、自分でも分からないのに、それを彼に告げるわけにはいかない。彼が欲しいと、それが何を意味するのか、カミューでさえ困惑しているというのに。
思い悩んでいる様子のカミューのことを、彼は心配しているのだろう。けれどその理由が自分なのだと知れば、マイクロトフはいったいどうするのだろうか。
親友からの恋心を受け止められるほど彼は世慣れてはいないし、カミューもまたそんなことを望んではいない。
「カミュー…」
なおも問い詰めようとするマイクロトフを、カミューが静かに制した。
「マイクロトフ、私はお前には何も隠し事などするつもりはないけれど、それでもやっぱり口にはできないこともあるんだよ。どれほど乞われても、決して口にしてはいけないことがある」
「ここには俺とお前しかいない、それでも?」
「それでも」
「では、どうすれば話してくれる?」
変わらない生真面目な口調のマイクロトフに、カミューは思わず苦笑を洩らす。
「そうだな……この世界が終わる時に…もしお前と私が一緒にいることがあれば、話せることもあるかもしれないね」
そこはこの世の果てだ。この想いを口にしたとたんに、自分は彼を永遠に失うことになるだろう。それは、カミューにとっての世界の終わりを意味することだ。
マイクロトフはしばらく黙っていたが、やがて静かに立ち上がった。うつむくカミューの隣に座り、膝の上についた手の中に顔を埋めた。
「カミュー、俺が何も知らないと思っているのか?」
「……え?」
「俺が、お前の気持ちを何も知らないでいると、本当に思っているのか?」
低く告げられる言葉に、カミューは狼狽した。ゆっくりと顔を上げ、カミューを見るマイクロトフは、どこか傷ついたような表情をしていて、それがカミューのことをさらに追い詰め、混乱させる。
「何を…知っているというんだ……いい加減なことを……」
「逃げるな。逃げても何の解決にもならない。お前が言わないのなら、俺が言ってもいいんだ」
「やめてくれ」
思わずカミューはソファから立ち上がった。大きく肩で息をして男を見下ろす。
いったい何を言おうというのだ。
マイクロトフが自分の気持ちに気づいているはずがない。それでも、目の前の彼の目はまるですべてを知っているようで、揺らぐことなくカミューのことを見つめている。恐かった。カミューは初めてマイクロトフに恐怖を覚えた。
「カミュー」
マイクロトフはそっとカミューの手を取ると、ぎゅっと両手の中で握り締め、何かを乞い得るように告げた。
「今のこの世界を終わらせれば、そうすればカミュー、また新しい世界が始まる。ただそれだけのことだ。この世の果てなど、どこにもない」
「………」
「俺が、終わらせたりなどしない」
その瞬間、カミューは彼がすべてを知っているのだとはっきりと分かった。
知っているのだ。彼は知っている。
その場に崩れるようにしゃがみこんだカミューにマイクロトフが告げたのは、世界の終わりを告げる言葉だったのか、それとも始まる言葉だったのか。
恐れていたこの世の果ては、本当にどこにもないのだろうか。
誰か教えて欲しかった。