<約束は守る>
ざわめく人ごみをかき分けるようにして、カミューは空いたベンチに腰を下ろした。夕暮れ時、教会前の広場はミサに訪れる人で溢れ返っていた。
「あと10分か」
ポケットに手を入れたまま、カミューはマイクロトフがやってくるであろう方向を見て、白い息を吐いた。
昨夜、マイクロトフが突然言い出した。
「カミュー、明日のイブの夜、一緒に教会へ行かないか?」
あまりに突然のことだったので、カミューはきょとんとした。明日はクリスマスイブだ。騎士団の中にも、夜には城下へ降り、教会へ足を向ける者もいる。けれど、マイクロトフがイブの夜に、教会へ祈りへ行くなどという話は聞いたことがなかったのだ。
「……神を信じる男だったか?」
「いや、そういうわけではないのだが」
「では、何だ?」
「聞いた話なのだが、イブの夜の教会は、それは見事に装飾がされていて、目を見張るような美しさだそうだ」
「へぇ」
「お前にも見せてやりたいと思ってな」
「……ふうん」
「見たく…ないか?」
不安げにカミューの様子を窺うマイクロトフに、カミューは苦笑した。
「そうだな、見てみたいかな」
カミューがそう言うと、マイクロトフはひどく嬉しそうに笑った。本当のことを言えば、教会の装飾にはそれほど興味はなかった。イブの夜に、神に祈るような趣味もなかったし、この寒い中、城下へ降りるのも面倒だった。
けれど、マイクロトフがやけに嬉しそうな顔をするものだから、行ってもいいか、という気になったのだ。
「寒いな」
足元からしんしんと冷えてくる。あと10分。マイクロトフが来れば、暖かい教会の中へと入ることができる。
街のあちこちにはクリスマスらしい色とりどりの飾りが施され、一つ二つと灯されていくランプの光が、柔らかくそれらを照らした。
次々と人々が教会の中へと入っていく。
マイクロトフは現われない。
あのマイクロトフが遅刻だなんて珍しい、とカミューは首にしたマフラーに鼻先まで顔を埋めて目を閉じた。
そうしてどれくらい経っただろうか。
冷たいものが、カミューの頬に触れた。
何だろうと目を開けると、ひらひらと空から白いものが降っていた。
「……雪?」
どうりで寒いと思った、と次から次へと舞い降りてくる白い雪に目を細める。
約束の時間はもう1時間も過ぎていた。あのマイクロトフのことだから、5分と遅れずにやってくるだろうと思っていたのだ。たぶん、息を切らして大急ぎでカミューの元へやってくる。そう思って待っていたのだが、
「さすがにこれは……もう来ないか…な……」
最初はいったいいつまで待たせるつもりだ、と苛立ったカミューだったが、あのマイクロトフが約束を忘れているとは思えない。きっと急な執務が入ったのだろう。だからマイクロトフに腹を立てたりはしないけれど……
「…………」
何となく帰るきっかけをなくしてしまった。10分ほど待ったところでさっさと帰ればよかったのだ。もうすぐ来るだろうと思っていたせいでこんな時間になってしまった。
こんな寒空の下、いったいどうして寒さに震えながら彼を待っているのだろうか。その理由は嫌というほど分かっていて、その不毛さに我ながら呆れてしまう、とカミューは肩を落とす。
教会の中から人々の歌声が聞こえてきた。どうやらミサも終わるようだ。
「……私は何をしているんだろうな」
こんな風に、いつも彼のことを待っているような気がする。
こうして待っていれば、いつか彼が自分の元へとやってくると信じている。
愚かしいと思いながらも、どうしても彼のことを諦めきれない。
「帰るか……」
カミューが立ち上がったその時、遠くから大声で自分の名を呼ぶ男がいた。
「カミュー!」
必死に走ってくるマイクロトフ。雪で濡れた地面がぴしゃぴしゃと音を立てた。カミューの前までやってくると、マイクロトフはがばっと頭を下げた。
「すまんっ!!!」
「………」
「出かけに……副長に呼び止められしまって……どうしても書類の整理を、手伝って…くれと……言われて……」
はぁはぁと肩で息をして、上目使いにカミューを見るマイクロトフ。吐いている息は白いのに、その頬は赤かった。
もうカミューが帰ってしまったと思ってもおかしくない時間だった。それなのに、きっと城から全速力で駆けてきたのだろう。
自分との約束を守るために。
カミューはふっと表情を和らげて微笑んだ。
「………びしょ濡れだ」
「え……あ、ああ………」
普段と変わらない声色で、カミューが首にしていたマフラーを外すとマイクロトフのかけてやる。よほど慌ててきたのか、マイクロトフは見ている方が寒くなるような薄着だったのだ。
「……カミュー、怒ってないのか?」
おずおずと尋ねるマイクロトフに、カミューは軽く肩をすくめた。
「そりゃあ、怒っていたさ。お前は私に風邪を引かせるつもりかってね……」
だけど……、とカミューはしっとりと微笑んだ。
「でも、お前は約束は守る男だから」
「………っ」
「だから、待っていればいつか来るだろうと思ってね」
「……すまないっ」
何度も詫びる男に、カミューはもういいよ笑う。
こんな風に、たぶんこの先も、この不器用な男は何度でも自分のことを待たせるのだろう。けれど何があっても、彼は約束を守って自分のもとへとやってくる。
そう信じることができる。
彼は自分の元へとやってくる。
それは泣きたくなるほどに胸を締め付ける事実だった。
カミューはマイクロトフを促して街の中心部へと歩き出した。
「さぁ行こう。暖かいものでも飲まないことには本当に風邪を引いてしまいそうだ」
「そうだな」
「あぁ、マイクロトフ」
「うん?」
足を止めたカミューが、真っ直ぐにマイクロトフを見つめる。
「お前、どうして私がまだ待っていると思ったんだ?」
「………」
マイクロトフは驚いたように目を見張り、すぐに呆れたような笑いを零した。
「何故って……お前も俺との約束は必ず守る男だからな……だから、必ず待っているだろうと思ったんだ」
屈託のない笑みに、やっぱり少し胸が痛んだ。
では、「どうして私がお前との約束を守るのか、その理由は分かるかい」と尋ねれば、マイクロトフは何と答えるのだろうか。
その答えを知りたいのか知りたくないのか。
カミューは自分自身でさえも答えることのできない気持ちを持て余していた。
降りしきる雪にマイクロトフの姿が滲んで見える。
それが涙のせいだと気づいた時、カミューはもう、自分の思いを押さえつけておくことはできないだろうことを知った。