言えないひとこと
さてどうしたものか、とフリックは部屋を出て考えた。
しばらくの逡巡のあと、階段を降り、レオナが経営する酒場へと向かうことにした。
「あ、フリックさんおはよー」
朝食を終えたばかりのナナミがフリックを見つけて声をかけてきた。
「ああ、おはよう」
「これからご飯なの?」
「あー、まぁな」
「今日の朝食はオムレツだったよ」
「そりゃ楽しみだな」
「……フリックさん、どうしたの?朝から暗いよー。何か悩みごとでもあるの?ナナミさんに言ってごらん?」
フリックは一瞬打ち明けそうになって、思い直した。
「いや、別に何でもない」
「そう?」
じゃあまたあとでね、と言ってナナミは満面の笑顔を見せて去って行った。ナナミにかかると誰でも悩みを抱えているように見えるんだろうなぁと思う。まぁ元気なことはいいことである。
途中、何人もの仲間たちと朝の挨拶を交わしつつ、フリックは酒場へと辿り付いた。
「レオナ、いるか?」
声をかけるが、どうやら誰もいないようで中はしんとしていた。レオナは夜遅くまで働いているのに朝も早い。その日の仕込みを早々に終わらせて、昼間にゆっくりするのが好きらしいのだ。しかし、この時間にここにいないとなると、もしかするとレストランで朝食を取っているのかもしれない。
「ついてない」
フリックは手にしていたシャツをテーブルの上に置くと、そのままいつもレオナがいるカウンターの中へと入り、勝手知ったる何とやらで引き出しの中を探った。
ほどなく中から小さな箱を取りだし、それを手に、近くの椅子に腰を下ろす。
「あー面倒臭ぇな……」
レオナが戻ってくるまで待とうかとも思ったが、今日はリーダーのお供で出かけなくてはならないのだ。そうそうのんびりしているわけにもいかない。
しょうがない、と諦めて箱を開けたところに、タイミングよくレオナが戻ってきた。
「おや、朝っぱらからどうしたんだい」
「あ、悪い、勝手に借りてるぜ」
フリックは手にした箱をレオナに見せる。レオナはそれを見て、ああというように笑みを零した。
その箱はレオナが常備している裁縫セットだった。引き出しの中にそれがあることは誰もが知っていることであり、それを勝手に取り出したからといって謝る必要などないのだ。
どうやらフリックはシャツのボタンが取れてしまったようで、裁縫道具を借りにきたらしい。テーブルの上にはシャツが3枚ほど乗っている。
レオナは朝一番に本拠地にやってくる業者から仕入れた野菜を床に置くと、フリックの手から針と糸を取り上げた。
「お貸し、危なっかしくってみてられないよ」
「悪い」
素直にシャツと裁縫道具をレオナに渡し、フリックは助かった、というように息をついた。
料理も掃除も洗濯も、一通りのことなら何でもできるフリックだが、どうも裁縫というやつは苦手なのである。あの細くて小さい針に糸を通し、ちまちまと縫っていくのがどうも面倒でならない。普通に生活していても、何時の間にかボタンは取れてしまう。今まで騙し騙し着てはいたが、さすがに3枚のシャツのボタンがすべて取れてしまっては重い腰を上げざるを得ない。
レオナに裁縫道具を借りようと思ったのは事実だが、本当はこうしてレオナがやってくれるかもしれない、と淡い期待を抱いていたのである。
そんなフリックの考えなどすべてお見通しのレオナは、器用に糸の端に玉を作ると、慣れた手つきでシャツの袖口にボタンをつけていった。
「助かるよ」
「これくらい。みんな何だかんだ言っては繕い物を持ってくるからねぇ」
どうやら城の連中も考えることは同じらしい。姉御肌なレオナのことである。頼まれれば嫌だとは言わないから、日に何個もボタンをつけているのかもしれない。そう思うとやはり申し訳ないという気もしたが、こういうことはやはり女性に頼んだ方が早いだろう。
さっきナナミに頼もうかとも思ったが、あの料理の腕前を考えると、裁縫もできないかもしれないと思い直したのだ。
すいすいと一つ目のボタンをつけ、レオナは二枚目のシャツに手を伸ばす。
「あんたが頼めば、ボタンくらいすぐにつけてくれる女連中は山ほどいるだろうに。あの元気のいいニナとか」
レオナの言葉にフリックは腕を組んで首を傾げた。
「ニナねぇ、あいつもナナミと同じで裁縫なんてしそうにないな」
レオナが呆れたようフリックを見る。
「まったくあんたは女のことをちっとも分かっていないねぇ、これだからダメなんだ。女ってのは好きな相手のためなら苦手なことで喜んでするもんだよ」
「ふうん、そんなもんかな」
どこか納得のいかない様子のフリックに、レオナはくすりと笑った。
「ほんと、呆れるね。そんなだから、いつまでたってもあのむさ苦しい男とつるんでなくちゃならないんだよ」
「……」
むさ苦しい男、というのがビクトールのことを言っているのだということはすぐに分かった。この本拠地に来る前からレオナは一緒にいたのだ。ビクトールとフリックのことなら何でもよく知っている女である。二人が人にはちょっと言えないような関係であることも気づいているだろうが、かといって特別何を言うわけでもない。ビクトールにとってもフリックにとっても、レオナは心を許せる良き相談相手であった。
「いい歳して、いつまでも一人ってわけにもいかないだろうし、あんたもそろそろいい相手を探してみたらどうだい?取れたボタンをつけてくれるようなさ」
「え?何だ、いきなり」
少し怯むフリックに軽く肩をすくめ、レオナは3枚目のシャツを手にした。
「ビクトールはあんたのことを大層気に入っているようだけど、あんたが本気で別れたいって言えば、それを邪魔するような男じゃないと思うけどねぇ」
「………」
「どうだい?その気はないかい?あんたにその気があるのなら、あたしがいい子を紹介してやってもいいんだよ」
にっこりと笑うレオナに、フリックはようやく自分がからかわれていることに気づいた。
「人が悪いな、レオナ」
「あはは、あんたの困った顔はほんとに可愛いねぇ」
勘弁してくれ、とフリックはぐったりと椅子の背に沈み込み、レオナは心底楽しそうに声を上げて笑った。これは朝っぱらからボタンつけなどさせられた腹いせなのだろうか。「はい、出来たよ」とシャツをフリックに手渡し、裁縫道具を箱に仕舞いながら、レオナはぽつりとつぶやいた。
「あんたが別れたいなんて言うわけないか…」
「別に俺は……」
「もっとも好きだとも言わないんだろうけどねぇ」
「………何の話だよ」
「あんたが言えないひとことの話。ビクトールもいろいろと大変だ」
フリックは深々と溜息をついた。別に言えないわけじゃない、ただ言わないだけだと反論しようかとも思ったが、薮蛇になりそうなのでやめた。
「お、こんなところにいやがった」
店の入口からビクトールがひょっこりと顔をのぞかせた。どうやらフリックのことを探していたようで、不満げな表情をしていたが、そこにシャツがあるのを見るとさらに表情を曇らせた。
「あー、お前ばっかレオナにそんなことしてもらいやがって、レオナ〜、俺も破れちまったシャツがあるんだがよー」
「はいはい、あとで持っておいで。あんたたち、これからも二人でつるんでるつもりなら、一人くらいは裁縫ができるようになった方がいいんじゃないのかい?いつまでも頼られても困るんだけどねぇ」
レオナがやれやれといったようにビクトールとフリックを軽く睨む。けれど、言葉とは裏腹にどこか楽しそうな口調である。
「だとよ、フリック。がんばれよ」
「何で俺なんだっ!お前がやれよ」
「どっちでもいいよ。あんたたちはほんとに朝っぱらからうるさいねぇ」
さっさと出ておいき、とレオナが二人を追い払った。
酒場をあとにしたフリックはシャツを手にしたままビクトールとレストランへと向かった。
「ずいぶん難しい話してたみてぇじゃねぇか」
何を話し込んでたんだ、と探りを入れてくるビクトールをフリックは軽く受け流した。
好きだなんて口にすることは、本当はひどく簡単なことだ。
言えないわけじゃない。ただ言わないだけだ。
言葉よりももっと確かなものがあると思うから。
「裁縫ねぇ、ま、できなくても死にはしない」
「同感」
フリックがうなづく。
まだまだレオナに世話になる日々は続きそうである。
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