月夜


まだ宵の口だった。
シュウに呼び出され、次の戦略の打ち合わせを行なっていたフリックは、ようやく解放されて薄暗い廊下を一人歩いていた。長い時間、あまり楽観的にはなれない戦況について話し合っていたため、気分はすっかり滅入っていた。勝つためには何が必要か。卑怯だと思えるような手段も時には講じなくてはならない。当然それは成すべきことではあったし、それくらいのことで落ち込んだりはしないが、かといって楽しいものでもない。

(シュウは毎日こんなことばかり考えているんだな)

戦場で戦うよりもよほど骨の折れる仕事だ、とフリックは溜息をついた。
自室へ戻るか、それとも酒場へ行くか。さほど腹は減っていなかったが、考えてみると雑用に忙殺され昼から何も食べていない。まだレストランは賑わっている頃だ。行って腹を満たし、その足で酒場へ行けば、いつものメンバーが迎えてくれるだろう。そこへ行けば暗い気持ちなど吹き飛ばしてしまうほどの騒がしさと笑いがある。その中心になっているであろう相棒と一緒に飲めば、沈んだ気持ちも少しは明るくなるに違いない。
そうしよう、と決めたフリックが何気なく中庭へと視線を向けると、数人の人影が動いていることに気づいた。ぎくりとして足を止め、窓から身を乗り出して目を凝らす。まさか敵が…と一瞬過ぎった思いはすぐにかき消された。
「……ちっ…」
舌打ちして、フリックは足早に階段を降りた。青いマントを翻し、中庭を抜けて先ほどの人影を探す。薄闇に紛れて本拠地の門から走り去ろうとしている者に、フリックは手を伸ばした。
「ナナミっ!」
「わーーーっ」
心底驚いたような声を上げ、ナナミは首根っこをつかまれて振り返った。そこにフリックがいることに大きく目を見開く。
「フ、フリックさん、どうしたの?」
「どうしたの、じゃないだろう。こんな時間にどこへ行くつもりだ。そこのお前たちもだ」
そう言ってフリックはナナミの少し前で立ちすくむ女の子たち……テンガアール、ビッキー、メグ、アイリ、ニナが、首をすくめる。
恐い顔のフリックに、ナナミは小さな声で答える。
「えーと、ちょっと散歩に」
「散歩?」
嘘をつけ、とフリックがじろりとひと睨みする。日が暮れてから本拠地の外へ出るなど、襲ってくれと言っているようなものである。おまけに女の子ばかりで外へ出るなど、いったい何を考えているのだろうか。じーっとフリックを見上げていたナナミは、ぱっと両手を合わせた。
「お願い、フリックさん!見逃して!」
「見逃せるはずがないだろう。さっさと部屋へ戻れ」
「えー!!お願いー。だって今日じゃなきゃだめなんだもん!」
「だから何が?」
「お花見!!夜桜を見に行くの!もう今日が最後だもん。雨が降ったらもう桜は散っちゃうよー」
花見だと?フリックはその答えに脱力した。桜の花が満開なのはフリックだって知っている。花見をするなら今日が最後だろうということも知っている。だからといって…
「何で夜に出かける必要があるんだ!」
「夜桜は夜に見るものでしょ!」
きっぱりと言い返され、確かにそうだと一瞬納得しかけたフリックだがすぐに首を振った。
「だが、女の子ばかりで暗くなってから外に出るのはだめだ。危ないだろう、何かあったらどうするつもりだ」
「えー!じゃあフリックさんが一緒についてきてくれれば問題ないよね」
「えっ!!」
そうよそうよと全員がうなづく。ニナなどは満面の笑顔である。フリックはうっと言葉につまり、少女たちからの痛いほどの視線に耐えていたが、やがて肩を落とした。
どうせナナミたちに何を言っても無駄なのだ。ここで無理矢理引き止めても、きっとあとでこっそりと抜け出すに違いない。それならば一緒に行った方がましだろう。
「わかった。だが桜を見たらすぐに戻るからな」
「はーい」
やったね、と少女たちが嬌声をあげる。こうしてフリックがお目付け役となり、夜桜見物へと出かけることとなった。
生暖かい春の夜だった。
頬を撫でる風は柔らかく、足元からは芽吹いた草のむっとする匂いが立ち昇る。雨が近いせいだろうか。空にはまだ雲一つ見当たらないが、どことなく気持ちの悪い暖かさがあった。季節が変わり、ずいぶん日が長くなったとはいえ、夜になると辺りは墨を刷いたような闇が包み込む。本拠地の明かりが次第に小さくなると、少女たちは手にした灯りに火を点した。

(春ってのはこんな感じだったかな)

フリックは大きく息を吸い込んだ。毎年この時期は何ともいえない居心地の悪さを感じてしまう。もどかしいような、胸の奥に何かが燻っているようなそんな感じ。

(春は苦手だ……)

そんなフリックに比べ、前を歩く少女たちの足取りは軽い。楽しそうな笑い声が夜の草原に広がり、本当にちょっとそこまで散歩といった錯覚を起こしてしまう。フリックは周囲に気を配りながらその後ろを歩いた。もしモンスターが出現したら、フリックがほとんど一人で対峙しなければならない。この辺りに出現するモンスターならば、フリック一人でも十分仕留めることができるだろうが、何があるかは分からない。油断は禁物だと注意を払う。
「ねぇ、フリックさん」
「うん?」
「たまには夜の散歩も気持ちいいよね」
「……」
ナナミのお気楽な台詞に、フリックは苦笑した。
「気を抜いてるとモンスターが現われるぞ」
「大丈夫だよ、ナナミさんはこう見えても強いんだから。この辺りにいるモンスターくらい、あっという間にやっつけちゃうよ」
「そういう過剰な自信は……」
「いいからいいから。あ、ほら、あそこだよ、桜並木!」
ナナミが指差した先には、夜目にも美しい桜の木がひそりと立っていた。
「ああ…綺麗だな…」
思わずフリックは頬を綻ばせた。なるほど、こんな風に夜の散歩に出てくるだけの価値はある。少女たちも歓声を上げて、花のそばへと駆け寄った。
わざわざ花を見るためだけに出歩くような趣味はフリックにはなかったし、ビクトールも花より団子という男なので、本格的な花見などしたことはないが、それでもこうして今を盛りと咲き誇る桜を見ていると、やはり気持ちが和む。
桜というのは不思議な花だ。
「綺麗だねぇ」
ほーっと溜息をついて、ナナミがしみじみと言う。昼にみんなで酒を飲みながら騒ぐ花見も楽しいが、こうして静かな夜の花見もいい。
「昔、まだじいちゃんが生きてた頃に、こうして桜を見にきたことがあったな」
隣に立つナナミが、昔を懐かしむような表情で、少し考えたあとに言った。
「あの時も暖かくて、今夜で桜は最後だからって、ディランと二人を連れてってくれた。まだ小さかったから夜に出かけるのが嬉しくて。3人で……、楽しかったな」
「………」
「懐かしいなぁ……、ほんの少し前のことなのに、何だかずっと昔のことのように思える。あ、でもね、別に昔の方が良かったってわけじゃないんだよ。あの時は3人だけだったけど、今はこんな風にみんなと一緒に桜を見ることができて、それはすごく嬉しいし楽しい。だって家族がたくさんできたみたいでしょ」
「……ああ」
「ディランともよくそんな話をするんだよ。じいちゃんが死んじゃって、二人きりになっちゃったけど、でも今はたくさん家族がいるみたいだねって。口うるさいお父さんや優しいお母さんや、弟も妹たくさんいるみたいですごく楽しい。本拠地にいる仲間の人たちは、きっとみんなそう思ってる」
僅かの間に、ナナミを取り巻く状況は大きく変わってしまったのだ。弟のディランは大きな力に動かされ、今、同盟軍の盟主として仲間たちを率いている。けれど、それは彼自身が引き寄せた運命のようにも思うのだ。ナナミは知らないうちに大きな時代の流れに飲み込まれてしまい、必死に溺れないようにと自分の力で泳いでいるような、そんな感じがしてならない。望んだ戦いではないのに、それでもいつも笑っている。
自分たちが守ってやらなくてはならないのだ。
この戦いに集う仲間たちのことを家族のようだと言う彼女のことを、自分たちが守ってやらなくてはならない。そう思うと、先ほどまでのシュウとの会話の中で感じていた気鬱が溶けていく気がした。
闘う気力というものは、案外と簡単なことで沸き上がるものだな、とフリックは笑みを零した。
「フリックさんはお兄さんて感じだね。心配性でちょっと怒りっぽい」
「手のかかる妹たちばかりだからな、心配もするさ」
こつんと頭を叩くと、ナナミはぺろりと舌を出して肩をすくめた。
「でも優しいもんね」
こうして突然の花見に付き合ってくれるくらいに。
そう言って、ナナミはフリックの元からニナたちの輪の方へと走り出した。
もちろんここに集うのは本当の家族などではない。この戦いのために、同じ志を持つ者が一時的に集ったにすぎない。戦いが終われば、今のまま一緒にいられるはずもない。それでもナナミの言いたいことはよく分かった。
ただ敵に勝つために闘っているのではないのだ。
こんな風に春が訪れるたびに、大切に思う人と花見をすること。
そんなちょっとした出来事を楽しむことができること。
目の前の戦いにだけ目を向けてはいけないのだ。何のために戦うか、大切なのはそういうことだ。
さっと吹きぬけた風に桜の花びらが舞う。
静かで綺麗な月夜だった。





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桜の時期にアップしようと思っていて忘れてた!




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