喧嘩の夜
「どう考えてもナナミの方が悪いと思うんだけど」
同盟軍の盟主であるディランの一言に、フリックはやれやれと溜息をついた。
こいつはもしかしてジュースで酔っ払ったのか?と疑ってしまうほどに、今夜のディランはいつもの彼らしくない愚痴を零していた。
つい先ほど、いつものようにレオナの酒場へ行こうとしていたフリックは、途中ばったりとディランと出くわしたのだ。
見るからに腐っている様子のディランに、つい「どうした?」と声をかけてしまった。
何か悩み事があるなら相談にのるぞ、と。
ディランは少し考えたあと、じゃあ遠慮なく、とフリックと共に酒場についてきた。というより、酒場以外の場所へ行こうとしたフリックを、無理矢理引っ張ってきた。
普段なら子供が酒場になんか来るんじゃない、と一喝するレオナも、今夜はフリックと一緒ということもあって大目に見てくれたようだった。もちろん飲み物はジュースだけである。
お腹が空いたというディランのために軽い食事を注文し、フリックはワインを口にした。しばらく黙々と食事をしていたディランは不思議そうにフリックを見た。
「何も聞かないの?」
「何か話したいことがあるなら話せばいいし、話したくないなら話さなくてもいい。相談にのるなんて言っちまったのはいいが、実はお前の悩みを解決できるかどうか、自信はないんだ」
屈託なく本心を曝け出すフリックに、ディランはにこりと笑って、そして言った。
ナナミと喧嘩をしたのだと。
「へぇ、姉弟喧嘩なんてめずらしいな」
「……滅多にしないんですけどね」
どこか沈んだ表情を見せるディランに、フリックは苦笑した。
ナナミとディランは血のつながった姉弟ではないが、そんなことはこれっぽっちも感じさせないほどに仲がいい。毎日のように他愛ない口喧嘩を繰り返してはいるものの、決して本気で喧嘩などはしたことはないのだろう。親を亡くし、養ってくれていたゲンカクをも亡くし、頼れるのはもうお互いしかいないのだから、それも当然なのかもしれない。
この同盟軍を率いる少年は、いつも前向きで年齢に見合わない落ち着きを持っているというのに、今夜の彼はどうも子供っぽく見えて仕方がない。やはりナナミと喧嘩したことは、彼には堪えることなのだろうか。
(子供っぽく…っていうか、実際まだ子供だしな…)
本当なら、まだ親に甘えて暮らしていてもおかしくはないのだ。普段は忘れているけれど。
「で、喧嘩の原因は何なんだ?」
フリックはワインのビンを引き寄せると、グラスに注いだ。もちろんそれは自分のためであり、ディランのグラスにはオレンジジュースを注いでやる。
ディランはうーんと低く唸ったあと、上目使いにフリックを見上げた。
「あのさ、フリックさんは、ビクトールさんが戦闘に行く時、どんな気分でいる?」
「うん?」
「自分は本拠地に残って、ビクトールさんだけが戦闘に出ていく時って、どういう気持ちで見送るの?」
「………それは、どういう質問なんだろう」
ナナミとの喧嘩に、自分たちが絡んでいるのだろうか。
ディランのことを川で掬い上げてから、共に行動をすることが多くなった。気がつくとディランはこの同盟軍の盟主となり、この闘いの行方を握る人間となっている。
たとえそれが、彼が望むことではないにしても。
フリックたちのせいではない。最初からそうなる運命だったのだと言われても、何となく自分たちがディランたちをこの闘いに巻き込んでしまったような気がして仕方がない。
だから、というわけではなかったが、自分たちのできる限りのことを彼にはしてやりたいと思っているのだ。それがどんなつまらない悩み事であっても、相談に乗ってやりたいと思うのだ。
もし、フリックたちのことが原因で、ディランとナナミが喧嘩したというのならなおさらである。
しかし、今の質問がどういう意味合いのものなのか、フリックにはさっぱり分からない。
「やっぱりさー、心配なのかな?ビクトールさんほどの傭兵でも、フリックさんは心配する?」
「……あー、そりゃまぁ……なぁ……」
ディランの言葉にフリックはうーんと腕を組んだ。
傭兵稼業なんて本当にいつ命を落としてもおかしくはないから、ビクトールが戦場へ出かける時は、やはり多少の心配はするのだ。いや、正確には心配とは少し違う。
いつ死んでもおかしくはないと、どこかで覚悟をしているのだ。
これが最後に交わす言葉かもしれないといつも思っている。
これが最後の口づけかもしれないといつも思っている。
それでも、送り出さないわけにはいかないのだ。
引きとめようとは思わない。そんなことができるとも思っていない。
諦めているわけではない。そういうことではないのだ。
心配ではない。ただ覚悟をするだけだ。
けれど、それをディランに分かってもらういい言葉が思い浮かばない。
「ナナミが最近すごく心配性になっちゃって、困ってるんですよね。ほら、ちょっと前に怪我したから、それから妙にそばにいたがるし。出かける時は必ずパーティに入れろってうるさいし」
ディランがはーっと溜息をつく。
「そりゃ、心配する気持ちも分からないわけじゃないけど、でも戦闘に出たら、少しは危険も伴うものだし、そういうことを考え始めたら、ずっと本拠地の中で小さくなってなきゃならないでしょ?そんなことできるわけないのに、ナナミは『できるだけ前には出るな、お姉ちゃんが前に出る』って」
「ふうん」
「それこそできるわけないのに。どう考えたって、ナナミより俺の方が強いでしょ?ナナミのことを守るのは俺の方でしょ?でもナナミは譲らなくて。それで、さっきちょっと口論になったわけです。たいていのことは俺の方から謝りますけど……その方が面倒じゃないから……でも、今回は簡単には謝れないですよ。だって、俺は間違ってないし」
「………」
間違ってない、と言い切る割には、ディランはどこか不安そうにフリックのことを伺っていた。間違っていないと思う、けれどナナミの言うことも理解はできる。だからどうすればいいのか分からないというところだろうか。
フリックは手を伸ばすとディランの髪をくしゃりと撫でた。
「大切な相手のことを心配するのは、どんなことをしたって止められることじゃないだろ」
「………」
「ナナミが、お前のことを心配するのは、それだけお前のことを大切に思っているからで、たぶんナナミも本当は分かってるさ。小さい頃ならともかく、今となってはお前の方が力もある。それも分かってる。分かってるけど、不安なんだよ」
「それは…うん、そうなんだろうけど……」
「うん。お前も分かってる。ナナミも分かってる。でもどうしようもない。だからそんなことで喧嘩なんてする必要はない。お前がどれほど強くなったって、ナナミが心配しなくなることなんて有り得ない。そういうもんだ。諦めて、素直にはいはいって聞いていた方が利口だぞ」
「そういうのって、事なかれ主義っていうんじゃないの?」
「危険回避能力って言うんだ」
なるほどね、とディランは笑った。
「だけど、フリックさんはビクトールさんのことを心配はしないんですよね?それは、ビクトールさんが強いから?俺もナナミが心配しないくらいに強くなればいいってことなのかな」
「俺とビクトールの場合は参考にはならないだろうな」
「?」
分からないという顔をするディランに、フリックは苦笑した。
「覚悟するっていうのは、けっこう難しいもんなんだ」
「……?」
たぶん、どんな言葉にしても自分のビクトールとの関係を正しく伝えることはできないだろう。
でもそれでいいと思っている。
「それにな、ディラン」
「うん?」
「お前のことは、俺たちが守る。必ず守る。だから心配しなくていいって、そうナナミに言えばいい。俺たちだけじゃない。この本拠地に集う連中全員が、ちゃんとお前のことを守るから」
「………」
「だから心配しなくていいって、ナナミに言っておけ」
フリックの言葉に、ディランは大きく目を見開いた。瞬きもせず、何か不思議なものを見るようにじっとフリックを見つめる。そしてやがて小さく、うんと頷いた。
「ありがと、フリックさん」
「早く仲直りしろよ」
わかった、と笑い、ディランは酒場を出て行った。
残ったフリックは、果たしてあれで良かったのだろうかと低く唸った。どこかの誰かさんみたいに、心に響くような上手い言葉など思い浮かばない。ありきたりな台詞ばかりで、ディランはちゃんと納得してくれたかどうか。
こういう時にスラスラと洒落た言葉が出てくるといいのだが、どうも自分にはそういう能力は備わっていないようだと溜息が漏れる。
「よぉ、フリック」
とんと肩を叩かれ顔を上げると、ビクトールがいた。今までディランが座っていた席に座ると、レオナに向かって大声で「ビール」と叫んだ。
「どうした、難しい顔してよ」
「あー、さっきディランのヤツが……」
フリックはディランとナナミが喧嘩をしたらしいということをビクトールに話した。ビクトールは話を聞き終えると、ふうんと笑った。
「可愛い喧嘩じゃねぇか。俺たちがやる命がけの喧嘩とはわけが違う」
「……」
ビクトールは運ばれてきたビールを一息に飲み干した。確かにフリックがビクトールと本気で喧嘩をする時は、最終的には剣を抜くこともあるので、命がけと言えなくもない。ビクトールはつまみの枝豆を口にしながらのんびりと言った。
「でもまぁ、ナナミの気持ちは分かるし、こればっかりはなぁ……。戦争なんてもんに首突っ込んでる間は、どうしたって心配はするもんだろうよ」
「そうだな」
「で、お前は?俺のことをちったぁ心配してくれてるのか?」
ディランと同じ質問をするビクトールは、ニヤニヤと笑うばかりでどこまで本気で聞いているのか分からない。
「……お前は、俺が戦闘に出る時、心配したりするか?」
ビクトールの問いかけには答えず、フリックは逆に聞き返してみる。お前はどうなんだ、と。ビクトールはその言葉に片眉を上げ、うーんと考え込んだ。そして腕を組んだまま低く言った。
「心配……とは少し違うな。お前がそう簡単に死ぬわけねぇって思ってる……のもあるが、そういうンじゃなくてよ、何ていうか………」
「………」
「上手くは言えねぇけど、心配とはやっぱり違うな……。もっとこう……」
「覚悟」
「おう、それだそれ」
すっきりした表情を見せ、ビクトールはレオナに二杯目のビールを注文した。
自分たちにとって、心配と覚悟は裏表なことなのだ。
ビクトールが感じていることは、きっとフリックも感じていることと同じなのだ。
お互いのことを、もちろん大切に思っている。危険な場所へ赴く時には心配もする。
できればいつでもそばにいて、何かあれば手を貸したいと思っている。
けれど、たぶんそれは自分たちの間には不要なことなのかもしれない。
必要なのはただ覚悟をすることだ。
「ディランのこともナナミのことも、俺たちがちゃんと守ってやらなくちゃな」
「おう、当たり前だ」
ビクトールはくしゃりと笑い、フリックが手にするグラスにかちんと自分のグラスをぶつけた。
あの二人はちゃんと仲直りをしただろうか。
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