未経験区域


ハンフリーとの歳の差は16だけれど、そんな歳の差を感じたことはまったくない。
いや、まったくないというのはやっぱり少し嘘かもしれない。
ジェネレーションギャップというのは、どんなにがんばっても存在してしまうのである。何しろ生きてきた長さが違う。子供の頃に経験したことも違うし、流行っていた遊びも違う。お互い話がかみ合わないこともままあるのだけれど、それでも別に気にしたことなどなかったのだ。
その夜までは。


「どうしたシーナ、えらい沈んだ顔してよ」
「……何だ、熊か」
ちらりと視線を上げ、そこにビクトールがいるのを確認すると、シーナはぷいっとそっぽを向いた。今は何の悩みもなく呑気に酒を飲んでいる男と話をする気分ではないのだ。ビクトールはシーナの向かい側に座ると、ぺちんと額を叩いた。
「いてっ」
「何を拗ねてんだよ。元気だけが取り得のお前が暗い顔してちゃあ気になるだろうが。どうした、何か嫌なことでもあったのか?」
「別に」
「嘘つけ。いいから話してみろよ」
どうせつまんないことで悩んでるんだろう、とビクトールは軽い気持ちでシーナをうながした。
レオナの酒場は今夜も大賑わいで、少しくらい込み入った話をしたところで誰にも聞こえたりはしないであろう。未成年のくせしてしょっちゅう酒場に入り浸っているシーナのことを、最初は叱っていたビクトールだが、最近ではすっかり諦めてしまった。酒を飲むことが目的ではなく、ただ賑やかな雰囲気の中にいたいだけなのだと分かったからである。
3年も前から知っているシーナはいつものほほんと馬鹿ばかりやっている放蕩息子だが、ビクトールはそんなシーナのことをそれなりに気に入っていた。頭は悪いが、その言動に嘘はない。何だかんだ言っても誰にでも優しいし、金もちの家で大切に育てられた子供らしく意地の悪いところもない。
シーナもビクトールには信頼を置いていて、悪態をつきながらも懐いている。
だから、というわけではないけれど、根っからお祭り好きなシーナが暗い顔をしていると、どうにも気になって仕方がない。ビクトールはグラスのビールを一口飲むと、何やら考え込んでいるシーナの口を開くのをじっと待った。
「なぁ、ちょっと聞きたいんだけどさ」
やがて観念したかのように、シーナがビクトールへと身を乗り出した。
「おう、何があった?」
「ハンフリーのことなんだけどさ」
「………」
「何だよ」
「けっ、お前とハンフリーの痴話喧嘩の話なんて聞きたかねぇよ。どうせ、またお前がくだらねぇ我侭言ってハンフリーを困らせてるんだろ?」
ビクトールは聞く気は失せたとばかりに席を立とうとする。その手首をシーナががっちりと掴んだ。
「何だよっ!先に聞きたがったのはあんただろっ!ちゃんと人の話聞けよ」
「聞いた俺が馬鹿だった。お前がうだうだ悩むのはハンフリーのことしかねぇんだよなぁ」
あーあー、と溜息をついて、ビクトールは再びどかりと椅子に座った。こんな簡単なことをどうして忘れていたのだろうか。脳天気なシーナが悩むのはたいていハンフリーがらみの時である。
今でもどうしてこんなことになったのか理解に苦しむのだが、シーナはハンフリーといい仲なのだ。
解放戦争時代からハンフリーのことをよく知っているビクトールは、今でもそれが人生最大の不思議だと思っている。シーナがハンフリーのことを気に入るのは何となく理解はできる。本人は否定するだろうが、十分にファザコン気味のシーナのことである、年上のハンフリーのことを好きになってもおかしくはないのだが、どうしてあのハンフリーがシーナを選んだのか謎である。恋人にするにはあまりにも子供すぎる、と思うし、実際周りの誰もがそう思っているのに、二人は意外と上手くやっているのだ。まぁ仲がいいのは悪いことではないのだが。
「で、何だよ。喧嘩でもしたのか?」
諦めてビクトールが聞くと、シーナは少しばかり唇を尖らせ、低く唸ってテーブルに突っ伏した。
「どうした」
「…あのさ」
「ああ?」
「昨日ハンフリーとえっちしたんだけどさ」
「あー、やだやだ。想像したくねー」
「想像なんかしなくていいよっ!事実だけ聞いてりゃいいんだって!」
シーナが顔を上げてむーっと頬を膨らませる。
「で、どうしたって?」
ビクトールが嫌そうに先を促すと、シーナはくいくいとビクトールを手招いた。周りには聞かれたくないのかビクトールの耳元に顔を寄せ、こそこそと囁いた。
「え?何だって?」
「だから、もう何度も言わせるなよっ!ちゃんと聞こえてたんだろっ!」
ビクトールは赤くなるシーナにニヤニヤと笑った。シーナの告白の内容はベッドの中での話であった。つまり昨夜、シーナにとっては未経験のことをあれやこれやとされたというのだ。それなりに知識はあると思っていたシーナにしてみれば、衝撃的なことだったのである。
「いいじゃねぇか、何の問題があるっていうんだ?」
ビクトールはつまらなさそうにシーナの告白を笑い飛ばした。
「毎回毎回同じことされるよりも、たまには違う体位とか、シチュエーションとか、そういうものは必要だろうが。お前も同じ男なら分かるだろ」
「そりゃそうだけど」
「別に変態的なことをされたわけでもあるまいし」
「当たり前だろ、あんたじゃあるまいし、ハンフリーにはおかしな性癖はないよ」
シーナがさらに赤くなって小さく怒鳴る。
んじゃあ何が問題なんだ、とビクトールは首を傾げた。別に初心な小娘でもあるまいし、今さら少々変わったことをされたところで何を思い悩むことがあるというのだろうか。飽き性のシーナが飽きないように努力しているのだとしたら、ハンフリーのことを誉めてやりたいほどである。
シーナは少し考えたあとに噛み締めるようにして言った。
「何ていうかさ、ハンフリーは俺の知らないことをいっぱい知ってるんだなとか思うとさ、ちょっとショックっていうか。それがさ、普通の日常のことならさ、そりゃハンフリーの方が年上なんだし、いろんなこと知ってても当たり前だと思うんだけどさ。でも、えっちのことでそういうのを見せ付けられるとさ…何か……嫌だったんだ」
「あのな、知ってて当然だろうが、お前、自分とあいつの歳の差を分かってンのか?」
ビクトールが呆れた表情を浮かべ、グラスを引き寄せる。閨のことでハンフリーよりシーナの方が物知りだったらそれはそれで問題ではないか?
「お前が生まれた時にゃあ、あいつはもう一端の剣士だったんだぜ。お前と出会うまでの間に、いったい何人の女と……」
言いかけたビクトールはシーナの視線に口を閉ざした。今にも泣き出しそうな目をしたシーナに、それ以上からかうことはできなくなってしまったのだ。やれやれ、と苦笑して頭をかく。
「しょうがねぇだろ、どう頑張ったって、あいつとの間の時間は埋められねぇんだ。いいじゃねぇか、あいつが今まで何人の女とやってようが、何の関係があるっていうんだ?今のあいつは、お前のもんだろ。それでいいじゃねぇか」
「わかるけど、でもやだ」
「お前なぁ」
いい加減にしろと怒鳴りかけたビクトールを遮ってシーナが言い募る。
「だって、好きなんだもん。ビクトールの言うことはそりゃもっともだとは思うけど、でもそういうのは頭じゃ分かっても気持ちじゃ納得できないんだ。はいそうですかって涼しい顔してられる方がどうかしてるだろ!違う!?」
「………んじゃあ、どうしろってんだ」
「………どうしようもないけど」
「けっ」
ビクトールの言うことはよく分かる。分かりすぎるほど分かる。16も年上のハンフリーが、シーナと出会うまでの間に、どこで誰と何をしてようと、そんなこと責めることなんてできやしないし、ヤキモチ妬く方がどうかしているのだ。分かっているのに。
「シーナ」
「何さ?」
「安心しろ、ハンフリーはお前も知っての通り真面目なヤツだからな、俺たちとは違って、お前が考えてるような女遊びはしてねぇよ。フリックといい勝負だと思うぜ、あの淡白さはよ。それが、何をどうトチ狂ったか知らねぇが、どうやらお前とのことは本気みたいだし、別に悩むことなんてねぇよ。今までの経験は全部お前のためのものだったってことにしておけ。要はあれだ、誰かを好きになるってことは、どんなことでも、いかに自分に都合のいいように思えるかってことなんだ。お前得意だろ、そういうの。お前はな、何も考えずにハンフリーに甘えてりゃいいって。自分じゃどう思ってるか知らねぇが、どう見てもハンフリーの方が一枚上手だと思うぜ、年齢のことだけじゃなくてな」
いつもシーナに振り回されているように見えるハンフリーだが、ビクトールからすれば、全部分かった上でハンフリーはシーナに振り回されてやっているようにしか見えない。不器用そうに見える男だが、実際は要領良くシーナの我侭をかわしているに過ぎない。そういうことを、シーナはちゃんと分かっているのだろうか。
「ま、いいじゃねぇか、ぐだぐだ言ったって、ハンフリーはお前のことちゃんと好きみたいだしよ、幸せでけっこうなこった」
「………」
シーナはまじまじとビクトールを眺めた。次第に笑いが込み上げてくる。これはもしかして慰められているのだろうかと思うと、どうにも笑えて仕方ない。何だかんだ言っても、ビクトールは優しいのだ。そして人のことをよく見ている。
「笑うな」
「そうか、何でも自分のいいように思えばいいのか。すごい。うん、それって幸せになる一番いい方法だよな。さすがビクトール、伊達に年は食ってないね」
どうせ自分の知らない昔のハンフリーのことなど、今さらどうすることもできないのだ。それならば、これから先、自分と一緒にいるハンフリーのことをどうにかすればいいのだ。知らないことなど何もないと言えるほどに、そばにいればいい。
「よし、元気になった」
「……単純なヤツ」
ビクトールはあーあとつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ビクトール」
呼ばれて振り返ると、そこには噂のハンフリーが立っていた。どうやらシーナのことを迎えにきたらしい。ビクトールは席を立つと、ぐしゃぐしゃとシーナの髪をかき乱した。
「お迎えもきたことだし、さっさと部屋に帰れ。ハンフリー、ここの払いはお前のツケだ。シーナのつまんねぇ相談に乗ってやったお代としちゃあ安い方だぜ、まったく」
ぽんぽんと肩を叩いて酒場を出て行くビクトールを見送ったハンフリーは、いったい何の相談をしていたんだ、とシーナに聞いた。
「何でもないよ」
にっこりと笑って、シーナは飛びつくようにしてハンフリーの腕にしがみついた。
「ビクトールが言うには、俺はハンフリーに甘えてりゃいいんだってさ。どう思う?」
「………」
「今、余計なことを言いやがって、とか思っただろ?」
「いや」
「でも、俺に甘えられるの好きだよな?」
「……お前、いったい何の相談をしていたんだ?」
「それは内緒」
さぁ部屋に戻ろう、とシーナはハンフリーを促す。
ほんとはちょっといいと思ったのだ。
自分の知らないことを知っているハンフリー。その意外性にくらりとくる。
うんと年上の恋人を手に入れる醍醐味はそこにある。




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