旅の途中


「いったいどこまで行きゃ、終わるんだっ」
はぁはぁと荒い息を吐きながら、フリックは目の前を行く男の背に吐き捨てた。吐く息が白い。深夜の山道は凍えるほどに寒く、手袋をしていても指先がかじかんで痛いほどだ。もうどのくらい二人して歩いているか。体力には自信のあるフリックも、さすがにそろそろ限界が近くなっていた。
「ビクトール、少し休憩しようぜ。何だってこんな夜中にせっせと歩かなきゃならないんだ」
「何だ何だ、もうバテたのか?お前、最近体力が落ちたんじゃねぇか?」
ちらりと後ろを振り返り、ビクトールがふふんと鼻で笑う。
「体力馬鹿のお前と一緒にするな」
「まださっきの休憩から3時間ほどしかたってねぇぞ」
「……あのなぁ」
フリックははーっと肩を落とすと足を止めた。
「夕飯を食って、2時間ほど仮眠をとって、それから3時間歩いて、少しだけ休憩をして、それからまた3時間…。普通の人間なら疲れて当然だろうがっ!!」
そうか?とビクトールは首をかしげ、まぁそうかもしれねぇなと肩をすくめてようやくその場に腰を下ろした。フリックはやれやれとその隣で足を投げ出す。
ビクトールは肩にかけていた袋の中から小さな湯沸し代わりの鍋と飲み水を取り出すと、あっという間に火を起こし湯を沸かした。携帯用のカップに茶葉を淹れ湯を注ぐ。この地方独特の甘い香りが辺りを漂った。
「ほらよ」
「ああ」
こんなに歩き続けているというのに、まったく身体が温まらないのは、気温が低いせいだ。季節はもう冬である。しかも夜中となれば寒いのも当然だ。
フリックはカップに口をつけると、ふーっと立ち上る湯気を飛ばした。
「しっかし寒いなぁ」
思い出したようにビクトールがつぶやく。
「寒い。夜明け前のこの時間が一番寒い」
フリックはあまり寒さに強い方ではない。できればこの時期、しかも夜中に外など出歩きたくなどないのだ。
同盟軍にいた頃は、リーダーのお供で季節や時間など関係なく出歩いていた。仕事だから、と思っていたからそれほど苦痛でもなかったが、今こうしてビクトールと二人、気の向くままに旅をしていると、そんな我慢などしたくないと思ってしまう。
「温まるな」
厚手の手袋越しにも暖かさが伝わってくる。熱い液体が身体の中に入り、じんわりとした温もりにほっとする。
「寒けりゃもっとこっちに来いよ」
ビクトールがほらほらと手招く。フリックはじろりと睨み、嫌なこったとばかりにそっぽを向いた。
「けっ、可愛くねぇな」
「いい歳した男を掴まえて可愛いもクソもあるか」
フリックの言葉にビクトールはニヤリと笑った。別に姿形が可愛いなどと言うつもりは毛頭ない。フリックは誰が見ても立派な戦士だ。整った顔立ちはしているものの、決して女性ぽいわけでもない。それでも、その言動や、ふとした拍子の表情が、どうにも可愛く見えてしょうがない時がある。そんなことを思うのはお前だけだ、とフリックは呆れたように舌打ちするが、まぁそういうのは惚れた何とやらである。
「なぁ、どうしてこんなに急がなくちゃならないんだ?」
フリックはずっと疑問だったことをようやく今になって口にした。
別にあてなどない旅である。
どこへ行くとも、いつまでに行くとも、決められたわけでもないし、決めるつもりもない。
都市同盟領を出てあちこちを訪れ、時に昔の仲間を訪ね、しばらく留まることもあれば、すぐに旅立つこともあった。
急ぐ必要などどこにもないのだ。時間は山ほどある。久しぶりに誰に気兼ねすることもなく、のんびりと旅をしていたのだ。
二人が国境近くの村に辿り着いたのが三日前。しばらくここで旅の疲れを癒そうかと話し合ったところまでは良かった。
それが、いきなり「これから宿を出る」とビクトールが言ったのだ。
いずれ旅立つつもりだったのだから、別に村を出ること自体に文句があるわけでもない。けれど、どうして夜になってから出かけなくてはならないのか。
まったく分からない。
「別に急いでるわけじゃねぇよ」
ビクトールの返事に、よし、とフリックは膝を叩いた。
「……じゃあ今日はここまでにしようぜ。別にわざわざ夜歩く必要もないだろ。おかしな魔物がいないとも限らない。いくら俺たちでも夜はさすがに分が悪い」
「この辺りには魔物は出ないって聞いたぜ」
ビクトールがあっさりと言う。そうかい、とフリックはそれ以上は追求するのをやめた。別に魔物が怖いわけでじゃない。ただこの寒さの中をこれ以上歩きたくないだけだ。だが、ビクトールが行く気ならば、どうしたって止めることなどできないだろう。へらへらしてそうで、案外と頑固なところがある男だ。そう言えば、きっと「お前だって相当なもんだ」と返されそうではあるが。
「もうちょっとだけ付き合えよ」
ビクトールが宥めるように笑った。フリックが寒さが嫌で言ってることを知っているのだ。
「あと少しで頂上だ。そこまで言ったら休むことにしよう」
「わかったよ。どうせ嫌だって言ったところで、無駄だろうしな」
「よく分かってるじゃねぇか」
「何年つるんでると思ってるんだ」
「長いよなぁ」
「長い」
初めて出会ったのはもう10年ほど前のことだ。
大きな戦いをくぐり抜け、何度か命を落としそうになり、道が分かれそうになったこともあったし、実際しばらく離れていた時期もあった。
けれど、結局こうして一緒にいる。たぶん、これから先も。
「そろそろ飽きてきたか?」
「そうだな」
「おい」
ビクトールが眉をひそめる。フリックは小さく笑うと、カップに湯を注いだ。
「飽きた、というのとはちょっと違うけどな。何ていうか、今更お前のことで驚くことはないだろうなと思ってるだけだ。お前の考えることはたいがい想像がつくし、たぶん俺は文句言いながらもそれを受け入れるんだろうし。10年も一緒にいれば、当然といえば当然だけどな」
「………」
「おかしなもんだな、人の縁っていうのは」
まさかこんな風に長い時間を共にすることになるなんて思いもしなかった。
初めて出会ったあのときは。
こんな風にそばにいることが一番安心するようになるなんて。
「フリック」
「うん?」
「そろそろ行くぞ」
いきなりビクトールは立ち上がると、カップに残った茶で火を消した。これ以上座り込んでいると、本当に身体が動かなくなる。フリックは白い息を一つ吐いて、ビクトールのあとを歩き出した。
夜明けは近かった。
鬱蒼とした木々の間からはまだ何の光も見えない。
そうしてどれくらい歩いたか。突然足を止めたビクトールの背にぶつかりそうになって、フリックはおい、と思わず声を上げた。
「ここにしよう」
「何が?」
「まぁ見てろって」
ビクトールが視線を向ける方に、フリックも視線を向けた。そこは何もない草原だった。
この山を越えれば、グラスランドにつながる大地へと降り立つことになる。
今度はどこへ行こうかと考えた時、かつて一緒に戦った友が移り住んだという地を訪ねてみようかというとになった。
グラスランドはまったく想像できない未知の地でもあった。
いったい何があるのか。分からないままに、二人で旅するのは楽しかった。
とうとうここまで来ちまったか。
フリックは何とも言えない気持ちで目の前の大地を見下ろした。
「本当に何もないな」
思わずつぶやいたフリックの脳裏を横切ったのは、ずいぶん前に経験した砂漠超えだった。あの時も地平線には何も見えず、ただただ砂の世界が広がるだけだった。今度は砂ではなく草原だというだけましかもしれない。少なくとも渇きで死ぬことはないだろう。
「そろそろだぜ」
「うん?」
ほら、とビクトールがゆっくりと地平線を指さした。
白い一筋の線が、地平線に広がる。ゆっくりとその線は左右へと伸びていき、次第に眩しい光が姿を現し始めた。
太陽の光はそれまでの闇を一転して新しい朝へと変えて目の前に差し出す。
今までにも日の出は見たことがある。
けれど、こんな風に高い場所から、新しい朝の訪れを目にすることはなかった。言葉にできないほどの美しい風景を、フリックはしばらく呆けたように見つめていた。
あっという間に辺りは明るい光に包まれ、それまでの寒ささえも柔らいでいく。
知らずに涙が溢れていることに気づいて、フリックはビクトールに知られないように袖口で拭った。
「な、すげぇだろ?」
ビクトールがフリックの耳元で得意気に言う。
「ああ、すごい」
「宿のオヤジに教えてもらったんだ。この時期は空気が澄んでるから、頂上からの眺めは本当に一見の価値があるってな。お前と一緒に見たくなってな、けっこうな距離があるから、どうしても夜には歩き始めなきゃならなかったんだ」
「どうして教えてくれなかったんだ?」
「教えたらつまんねぇだろ?」
楽しそうにビクトールは笑い、眩しさに目を細めた。
しばらくそうして太陽が昇るのを見つめていたが、すっかり明るくなると、ようやく満足したように大きく伸びをした。
「いいもん見たな」
「ああ」
まったくだ、とフリックはうなづく。
「一緒に見ることができてよかっただろ?」
「……そうだな」
これからも、ビクトールと一緒に今まで知らないことを経験するのだろう。そのたびに、こんな風に胸が震えるのだろうか。
涙が溢れることがあるのだろうか。
きっと一人ではだめなのだ。
ビクトールと一緒でなければだめなのだ。
「お前と一緒じゃなきゃだめなんだろうな」
まるでフリックの考えを見透かしたように、ビクトールが言った。そして、その目を覗き込むようにして、軽く口づけてきた。フリックと視線が合うと、いたずらっぽくニッと笑う。
「さー、じゃあちょっと寝るか。さすがに疲れた」
ごろりとその場に横になり、ビクトールは目を閉じる。
「これを見るためだけに、俺たちは夜通し歩いたのか?」
「まぁそうだな」
「……物好きな」
「はは、まぁたまには感動ってのも必要だ。飽きられちゃ困るしな」
なるほど、と言ってみたものの、何だかおかしくなってフリックは思わず笑ってしまった。ビクトールのことなら何でも知ってると思っていた。けれどたまにこうして思いもしないことをやらかしては驚かされることがある。
10年くらいじゃまだまだなのかもしれない。
旅の途中でよかった。
これからもまだ、新しい何かを知ることができる。
フリックはビクトールの横に座り、美しい朝の光の暖かさに目を閉じた。



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