酒場
「なぁ、まずいんじゃないか?」
目の前の相棒のシャツの裾を引っ張り、声をひそめてフリックが囁いた。そんなフリックに、しっとビクトールが指を立てる。
「静かにしろよ、誰かに見つかるとまずいだろ」
言われたフリックが慌てて、きょろきょろと辺りを見渡す。その姿はケチな泥棒のように見えたが、今の二人はまさしくその泥棒であった。
場所はレオナの酒場。時刻は深夜3時。同盟軍の本拠地内はすでに誰もが寝静まっており、物音一つしない。そんな中、ビクトールとフリックの二人は足音を忍ばせて、鍵のかかった酒場の扉を開けようと試みているのである。
その理由は簡単で、要するに酒が欲しかったのである。
夕食時から二人して調子よく酒を飲み始め、気づくと近来まれに見る量のアルコールを摂取してしまっていた。部屋の酒がすっかりなくなっても、まだ飲み足りず、酔った勢いでマチルダからやってきた騎士団長二人の部屋を訪れた。もうベッドに入っていたらしいカミューは不機嫌を隠そうともせずに、酔っ払い二人に買い置きのワインを突き出した。
「今のお二人に何を言っても通じないでしょうから、明日、ゆっくりと話し合いましょう」
二人の泥酔ぶりを目の当たりにしたカミューは心底うんざりとしたように言い捨てた。ビクトールもフリックもカミューの怒りには頓着せず、もらったワインを大切そうに抱えて部屋に戻った。
ものの1時間もしないうちにそのワインも飲み干した。さすがにもうそろそろやばいだろうと思ったフリックが、もうお開きにしようとビクトールに提案したが、それはあっさりと却下された。
「お前だってまだ飲み足りねぇだろうが、ほら行くぞ」
「ああ?行くってどこへ?」
「決まってんだろ、酒といえば酒場にあるもんだ。行こうぜ」
「はぁ!?」
嫌がるフリックの手をとって、酔っ払いのビクトールはレオナの酒場へとやってきた。
当然酒場はもう閉店しており真っ暗だった。しかし、ここにはお目当ての酒が嫌というほどあるのだ。とりあえず酒の飲み過ぎてまともに頭が働いていない二人である。自分たちがやろうとしていることがレオナにバレたら大変だということには気づいていない。かろうじて「これはまずいだろう」と思うことのできるフリックでさえ、ビクトールに、
「大丈夫だ、酒の一本や二本なくなったってバレりゃしねぇよ」
といわれて、それもそうかと思うほどに酔っていた。
「よし、開いた」
かちゃりと小さな音をさせて酒場の扉が開いた。ちょろいもんだとにんまりと笑って、ビクトールが鍵穴に差していたピンを放り捨てた。
二人は周りに誰もいないことを確認すると真っ暗な酒場に忍び込んだ。
毎晩通っている酒場である。どこに何があるかなどとっくに承知済みだ。二人は迷うことなく、いつもレオナが立っているカウンターの中へと足を向けた。
「おい、こっちだ」
ビクトールが小声でフリックを呼ぶ。暗闇の中目をこらすと、ビクトールの手には酒場で一番いい酒が握られていた。
これは立派な犯罪じゃないのか?とフリックは眠気と闘いながら考えたが、目の前にいい酒があるという誘惑には勝てなかった。このあたりが酔っ払いである。
「………ここで飲むか?」
「それはさすがにまずいんじゃないか?」
「じゃ部屋に戻るか」
ビクトールが大事そうに酒瓶を胸に抱え込んだ。その時、かつかつと足音が近づいてくるのに気づいた。
「おい、やばいぞ」
慌ててビクトールがフリックとともにカウンターの下に身を隠した。息を潜めて足音の行方をじっと窺う。足音は酒場の前でぴたりと止まった。二人はぎゅっと肩を寄せ合い、気配を消した。
「あれ、開いてるじゃないか」
聞こえてきた声はルックのものだった。いつも宵っ張りで、時折夜中に本拠地の中を見回っているという噂はどうやら本当らしい。ルックは滅多に足を踏み入れることのない酒場に入ると、何か異常がないかというように内部を見渡した。
「……無用心だな。鍵くらいかけておきなよ」
見るものが見れば、扉の鍵がこじ開けられたことはすぐに分かったであろう。けれど、ルックはそういうことに気づくような生活はしていないので、酒場の主人であるレオナが鍵をかけ忘れたのだろうと結論づけたようだった。
ぴしゃんと音をさせて扉を閉め、ルックは再び足音をさせて酒場から遠ざかっていった。小さくなる足音を息を殺して聞いていた二人は、完全に足音が聞こえなくなるとほっとしたように肩の力を抜いた。
「ふー、やれやれだぜ」
ビクトールがおどけたように言うと、フリックもまた緊張を解いて、小さくしていた足を伸ばした。
「見つかるとかと思った」
「まったくな」
「………」
「………」
ぷっとフリックが吹き出した。
「何だよ」
「こんな夜中にいったい俺たちは何をやってるんだろうな。酒を盗もうとして、ルックの足音にびくびくして、どう考えてもまともじゃない」
「そりゃそうだ」
ビクトールもまた笑い、フリックと二人してしばし肩を揺らした。ひとしきり笑いあうと、何だかもう酒は不要のものに思えてくるのも不思議だった。
どうやら欲しかったのは酒ではなくて、ちょっとしたスリルだったようである。狭いカウンターの下、ビクトールがフリックの肩を抱き寄せる。
「なぁ、フリック。酒を盗むよりももっとすごいスリルを味わってみたくねぇか?」
「……何だよ」
もっといいこと、と囁いて、ビクトールがフリックに口づけた。アルコールで熱くなった舌先を味わう。いつもならすぐに突き飛ばしているであろうフリックも、妙な高揚感にされるがままに乱暴な口づけに応えた。圧し掛かろうとするビクトールの顎に手を張り、フリックは濡れた唇を開いた。
「酒を盗んだ程度じゃ殺されることはないだろうが、こんなところでおかしなことをしたら……」
「おかしなことぉ?」
ビクトールがむっとしたように唇を尖らせる。
「………をしたら!俺たち、間違いなくレオナに殺されるぞ」
フリックの言うことはいちいちごもっともだ。
ビクトールはちぇっと舌打ちすると、それでもまだ名残惜しそうにフリックに口づけをせがむ。酔っ払ったフリックは拒むことなく、それを与えた。
「なぁ部屋に戻ろうぜ」
「戻ってどうすんだよ」
「決まってんだろ、ベッドに潜り込んで、二人で朝まで楽しむ」
「……俺は寝ちまいそうだけどな」
フリックが言うと、ビクトールは得意気な笑いを浮かべた。
「んなことさせるかよ。覚悟しろ」
「ふん、まぁお手並み拝見といくか」
甘いというよりはどこか好戦的な雰囲気を漂わせて二人が立ち上がる。忍び込んだ時と同様、足音をさせないように、そっと酒場の扉を開けた。
「あ、お前それ…」
ビクトールに手には一本の酒瓶が握られている。やっぱりまだ飲むつもりなのかと半ば呆れつつも、その半分は自分も飲むのだろうな、とも思う。
やっぱり明日、レオナには怒鳴られるのか。レオナの長い説教は正直なところ勘弁してほしかったが、かといって酒を置いていけという気もなかった。こうなれば部屋に戻って酒を飲み干して、ビクトールと二人、レオナの説教を受ける覚悟を決めた。
「酒と恋人と甘いセックスか、最高だな」
なぁ、と同意を求めるビクトールに、まぁ否定はしないけどなとフリックが渋々うなづく。
「……明日になったらすっげぇ後悔しそうだけどな」
先の心配を今からしてどうすんだ、とどこまでも楽天的にビクトールは笑う。
なるほど、確かにそうだ。
壊された扉と盗まれた酒。
カミューの説教とレオナのお小言。
とりあえず今はそういうことは考えないことにして、朝まで一時の快楽を味わうべく、二人は酒場をあとにするのだった。
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