<告白>

「あらカミューさん」
図書室の入り口のカウンターで細々とした雑用を片付けていたエミリアが顔を上げると、そこには鮮やかな真紅の騎士服に身を包んだカミューが立っていた。カミューはにっこりと笑うと、少しばかり申し訳なさそうにエミリアに声をかけた。
「先日お願いしていた本が届いたと聞いたもので。こんな時間に申し訳ありません」
そろそろ本拠地のレストランでは夕食が始まろうかという時刻だった。
エミリアはいいえ、と立ち上がると、奥の棚から分厚い本を手に取った。
「どうぞ、お待ちかねだったんですよね」
「ありがとうございます」
手にした本はずいぶん古いものだった。あちこち綻びているが、おそらくエミリアが丁寧に修復したのだろう、ずっしりと重いそれは、しっくりと手に馴染み、どこか懐かしい匂いがした。
「それにしてもよく手に入りましたね、マチルダにいた頃でも、この本だけは手に入らなかった」
カミューの言葉に、エミリアがにっこりと笑う。
「シュウさんが腕利きの交易商だったっていうのは本当なんですね。おまけに無類の本好きで。今でもあちこちの商人に頼んでは、めずらしい本を集められてるみたいだし。そのおかげで、この図書室は本当にたくさんの本で溢れかえって、子供たちも喜んでるんですよ」
「そうですね」
同盟軍の本拠地には貧乏な軍にはそぐわないほどの立派な図書室があった。カミューは初めてここに足を踏み入れたとき、そのあまりの充実ぶりに感嘆したものだった。マチルダの図書室にも負けないほどの量とその質。大人向けのものだけではなく、子供たちにも読める本もたくさんあった。
この図書室のために、軍師のシュウが私財を投じていると知り、カミューは少なからず驚いた。
彼は字の読めない子供たちのために、エミリアに命じて読み書きの勉強をさせているという。自分がそうして世界を知ったように、本を通じて、まだ見ぬ世界を知ってほしいと、そのためにはまず読み書きが必要だと言ったらしい。
もしかすると、彼は軍師よりも人を教える方が向いているのかもしれない。そんなことを言えば、きっと嫌な顔をするだろう。何しろ表向き、彼は子供は嫌いだと公言しているのだから。
「ありがとうございました。なるべく早く返却します」
「ごゆっくりどうぞ、そんな難しい本、誰も借りたいって言わないと思いますから」
では、と立ち去ろうとしたカミューを、エミリアが呼び止めた。
「あの、さっきマイクロトフさんが来られたんですけど、まだお帰りになってないので、中にいらっしゃると思いますよ。声をかけられてはどうですか?」
そろそろ閉館の時間だし、とエミリアが目で訴えている。せっかく図書室に来てくれたのを追い出すのは忍びないが、かといって退室してくれなくては自分も帰ることができない。
カミューは分かりましたとうなづくと、マイクロトフがいるという奥の部屋へと歩き出した。
マイクロトフが好んで読むのは歴史の本か、戦術の本だ。しかしどちらのコーナーにも彼の姿はなかった。いったいどこにいるのだろう、と首をかしげ、カミューはぐるりと辺りを見渡した。時間も時間だけに、もう人影はない。静まり返った室内に、カミューの靴音がだけが響く。
「おかしいな」
まさか、とは思いながらも、カミューは子供向けの本がそろえられている部屋へと向かった。そっと中をうかがうと、ソファに深く腰掛けたマイクロトフの姿がそこにあった。
そして、その隣にはナナミの姿もあった。
「ここにいたのか」
苦笑しつつ近づくと、気づいたマイクロトフが、しっと人差し指を口元で立てた。
見ると、マイクロトフの隣に座るナナミはぐっすりと眠り込んでおり、その頭をマイクロトフの肩に預けていた。
「おやおや」
「いつの間にか眠ってしまってな。動けなくなってしまったのだ」
マイクロトフが困ったようにささやく。けれど、口ほどには困っていないだろうことはすぐに分かった。
同盟軍の盟主であるディランの義姉にあたるナナミは、いつも元気いっぱいの女の子で、誰に対しても物怖じせず、明るく声をかけてくる。マイクロトフがそんなナナミのことを、妹のように大切にしていることを、カミューは知っていた。
カミューはマイクロトフをはさんでナナミとは反対側に腰かけた。
「ここのところ遠征が続いていたから疲れているのだろう」
熟睡するナナミの顔を覗き込み、カミューは静かに言った。
「どうして一緒に?」
「ああ、俺が来たときには、もうナナミ殿はここにいて、偶然会ったのだ。読みたい本があるが、読めないといって」
「読めないって?」
ナナミは字は読めるはずだ。マイクロトフは手にしていた本をカミューに見せた。
「それは……」
「この本が読みたいと言ってな」
その表紙を見たとたん、カミューは思わず笑みを浮かべた。懐かしい文字。それは故郷グラスランドの文字だった。内容はグラスランドに伝わる寓話集である。
「珍しい……、どうしてこんな本がここに?」
「シュウ殿は本当にいろんな本を手に入れるのが趣味のようだな」
マイクロトフの手から本を受け取ったカミューは、ぱらぱらと中を開けてみた。小さな頃に、母親に読んでもらったことを思い出す。グラスランドの言葉は、マチルダでもこの都市同盟領内でも使われることはない。
この本を読める人が、いったいどれほどいるのか。
「俺なら読めるんじゃないかとナナミ殿に声をかけられたのだ」

(マイクロトフさんなら、この本読める?)

そう言って差し出されたグラスランドの本。
何故ナナミがこの本を読みたいと言ったのか、その答えは簡単だ。カミューに淡い恋心に近い感情を抱いているナナミ。彼が幼い頃に読んだであろう本を読んでみたいと思うのは不思議なことではない。

(綺麗なところだね、グラスランドって)

本の挿絵に描かれたグラスランドの風景は、確かに魅入ってしまうほどの美しさである。
じっと見つめるナナミの横顔に、マイクロトフはふと思った。きっと自分の知らないところで、ナナミは同じような眼差しでカミューのことを見つめているのだろう。美しいカミューに想いを寄せる女性は多いが、もしナナミに想いを告白されたら、カミューはどうするだろうか。
自分と同じようにナナミのことを大切に思っているカミューは、それまでの女性に対するのと同じように、あっさりとその想いを突き放すことができるのだろうか。
「それで?お前はこの本が読めたのかい?」
カミューの問いかけに、マイクロトフは我に返った。
「うむ、子供向けの本だったからな、俺の知っている言葉で何とか…」
「ふうん」
「だが、やはり難しくてな、途中で分からなくなってしまった」
ここだ、といってマイクロトフが途中のページを指差す。
「お前がグラスランド語が読めるなんて知らなかったよ」
「お前の故郷の言葉だ。勉強をしておけばいずれ役立つ」
「どうして?」
「一緒に行く時に、言葉が分からないと困るだろう」
さらりと何でもないことのように口にした言葉に、カミューは小さく笑った。
いつか一緒にグラスランドへ行こう。
もうずいぶん昔の約束を、マイクロトフは大切にしていて、そして時々カミューのことをこんな風に喜ばせるのだ。
カミューはマイクロトフが読めなかったという話を声に出して読み始めた。
ゆっくりとカミューの口から零れるグラスランドの言葉は、普段聞きなれない不思議な響きがした。まるで音楽のようだと、マイクロトフはカミューの声に目を閉じる。
「こうして聞いていると、お前の声にはグラスランドの言葉が似合っていると実感するな」
「え?」
「お前が話していると、とても綺麗な言葉に聞こえる。お前がグラスランドの言葉を話すのが、俺は好きだ」
マチルダでは滅多に聞けなかった。カミューはどんな時でも決して故郷の言葉を使おうとはしなかった。それがどれほど大変なことか、マイクロトフにだって容易に想像がつく。
けれどやはりカミューにとってグラスランドは特別な地なのだ。
マイクロトフにとってはそれが嬉しくもあり、少しばかり寂しい気もした。
「とても綺麗な言葉だ」
「意味が分からなくても?」
「ああ」
「酔狂なやつだな」
「そうでもない」
お前のことが好きだからな、と笑うマイクロトフの肩に、カミューは頭を乗せた。
「そんな告白、初めて聞くな」
「初めて言うからな」
ふうん、とカミューは満足そうに笑う。
「おいカミュー」
「うん?」
「そろそろ閉館の時間ではないのか?のんびりしている場合では…」
と言うものの、左側には眠り込んだナナミが、そして右側には眠ったふりをするカミューがいる。まったく身動きの取れなくなったマイクロトフが低くうなる。
「カミュー」
助けてくれ、というマイクロトフに、カミューはつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「無粋なヤツだな、少しは喜んだらどうだ?」
「何を?こんな状況で何を喜べと……」
「両手に花だろ?」
少しは喜べ、とカミューが言う。
確かに両手に花には違いない。だが、両手ではなく、片手の花で十分だとマイクロトフが言うと、欲がないな、とカミューは楽しそうに笑った。





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