<一輪の白い花>


吐く息が白かった。
三月にも入ったというのに、北に位置するマチルダの春はまだ遠く感じる。
しんと冷えた空気に、マイクロトフは無造作に羽織ったコートの襟を合わせた。
目立たないようにと選んだ黒のコートは、マイクロトフによく似合うとカミューがプレゼントしてくれたものだった。

(男ぶりが二割増って感じだな)

満足そうに笑ったカミューの顔が思い浮かぶ。思わず口元が緩んで、マイクロトフは気を引き締めた。何しろ、これから団長としてはあるまじきことをしにいくのだ。
ロックアックス城を出て、まっすぐに坂道を下る。しばらく歩き続け、マイクロトフは路地を曲がり、細い裏道をさらに進んだ。
向こうから歩いてくる人と擦れ違うのがやっとの細い道を、うつむき加減に歩くマイクロトフは、誰が見ても不審人物である。
栄えある青騎士団長だと言っても、誰も信じたりはしないだろう。

(今夜こそ……)

祈るような気持ちでマイクロトフは目的の場所までたどり着くと、空を仰ぐように顔を上げた。高い塀から少しだけ覗いているその木の枝に、まるで漆黒の闇を照らすかのように、それは花をつけていた。

(ああ、よかった)

春を告げるその花は、まだ堅い蕾が多い中、一輪だけ美しい姿を見せていた。
ほっと息をついて、マイクロトフはきょろきょろと辺りを見渡した。
誰もいないことを確認して、マイクロトフは意を決した。



小さなノックの音に、カミューは顔を上げた。
こんな夜更けにやってくるのは彼しかいない。するりと暖かなベッドから抜け出して、カミューは彼のために扉を開けた。やはりそこにいたのはマイクロトフであった。
「マイクロトフ、出かけていたのか?」
黒のコートに身を包んだ彼からは冷たい空気が漂っている。
「こんなに冷えてるじゃないか」
手を伸ばして触れた頬は、氷のように冷たい。カミューはその冷たさに身をすくめて、彼を中へと招き入れた。
「どうしたんだ?どこへ行っていた?」
早寝を身上としているマイクロトフがこんな夜更けまで外に出ているなんて、何かあったのだろうかと心配になる。しかし、マイクロトフはそんな心配は他所に照れたような笑顔を見せた。
「お前にプレゼントがある」
「うん?」
突然何だろう、と首を傾げるカミューの目の前に差し出されたのは、
「………木蓮…?」
一枝に咲いた白い花に、カミューは目を見開く。密やかに咲く美しい花は微かに甘い香りを漂わせ、カミューを魅了する。
「白木蓮だ。お前に…見せたくて……」
「………」
こんな夜更けにどこへ行っていたのかと思ったら、これを取りに行っていたのか。差し出された枝を受け取り、カミューはそっと抱き締めるようにして花の香りを嗅いだ。時折街角で見かける白い花に、いつも目を奪われていたのを知っていたのだろうか。華やかな花よりも、密やかに匂う花に心を奪われていたことを。
「綺麗だな」
「ああ」
「ありがとう」
マイクロトフは満足そうにうなづいた。しかし、次の瞬間、カミューはその秀麗な眉を顰めた。
「ところでマイクロトフ、これ、どうしたんだ?」
「え?」
「枝ものの花は売っていないだろう?」
「う、うむ」
「……もしかして盗んできたのか?」
「……人聞きの悪いことを言うな。……少し、その春を借りてきただけだ」
明後日の方向を向いたまま早口でいう男に、カミューは思わず吹き出した。
青騎士団長ともあろうものが、花泥棒なんて……と思わないでもなかったが、春を借りてきたという言い方は気にいった。
「美しい花に免じて不問に付すよ。青騎士団長殿」
「それは…かたじけない……」
カミューは小さく笑ってマイクロトフの冷たい頬にそっと口づけた。
白木蓮の香りが二人を甘く包み込んだ。



BACK