<果たせなかった約束>
約束を果たせなかったら、あいつはやっぱり怒るだろうか……
頬に感じた冷たいものに、マイクロトフはゆるゆると目を開けた。それは音もなく、マイクロトフの目の中にもふわりと舞い降りた。
どんよりと濁った空が木々の隙間から見え、そこから降る雪。今年初めての雪は、あとからあとから舞い降りて、マイクロトフの肩に薄く積もっていく。
(マイクロトフ)
耳元で最愛の人の声がしたような気がして、マイクロトフは思わず笑みを洩らした。彼がここにいるはずはない。彼は今頃は本陣に戻っているはずだ。
無事に辿り付いていて欲しいと、ただそれだけを願う。
今まで何度も彼と共に戦地に赴き、正義のため、何より愛する祖国のために、剣を振るってきた。
そしてこれからも彼に背を預け、彼の背を守り、共に戦っていくはずだった。
(だが、もうそれも無理なことか……)
一つ息を吐く度に、指の隙間から溢れる鮮血。斬りつけられた痛みはもう感じない。ただ暖かい血のぬめりが…ただそれだけが、マイクロトフをこの世に繋ぎとめる唯一の証となっていた。
(約束だ……)
いつか、彼が言った言葉を思い出す。
(この闘いが終わったら、マイクロトフ、一緒にグラスランドへ行こう)
そう言って彼は笑った。
草原を渡る爽やかな風にも似た彼の笑い声。マイクロトフが愛して止まない彼の少しはにかんだ笑顔。そんなものが目蓋の裏に鮮やかに甦る。
他愛ない約束は、二人の間では当然訪れる未来のこととして、それからもずっと暖め続けられていた。
(すまない、カミュー……)
もう、あの約束は果たせそうにない。
できるならば、いつまでも一緒にいたかった。
そばにいて、彼のことを幸せにしてやりたかった。どれほど言葉にしても足りないほどに、彼のことを愛していたから。
(愛している…)
それは永遠に変わることのない真実で、たとえこの命がここで絶え果てても、その想いは消えることなく彼を包みこむだろう。
だから許して欲しいと、そう願うのは傲慢なことなのだろうか。
(約束を果たせなかったら、あいつはやっぱり怒るだろうか……)
そう思ったとたん、マイクロトフの心臓はどくんと高鳴った。
彼は怒ったりはしない。
彼はきっと泣くだろう。
人前で涙など流さない彼のことは、誰よりマイクロトフが一番良く知っている。
だからこそ、彼の泣く姿が手にとるように思い浮かぶ。
彼はきっと泣く。
声も出さず、ただ静かに涙を流すだろう。
何故なら、彼は自分のことを誰よりも愛しているからだ。
自分が彼を愛するのと同じ強さで、彼もまた自分のことを愛しているからだ。
「くそっ……」
マイクロトフは渾身の力で立ち上がった。ぼたぼたと溢れた血が落ち、地面へと吸い込まれていく。
まだ立ち止まることはできない。
彼に涙を流させることなど、絶対にさせられない。彼を泣かせることなど、絶対にあってはいけないことなのだ。
いつか二人でグラスランドへ行こう。
あれを…あの約束を、「果たせなかった約束だった」などと、彼に言わせるわけにはいかない。絶対に。
マイクロトフはそれまで寄りかかっていた大木に背を預けたまま空を仰いだ。
しんと冷えた空気を縫って舞い散る汚れのない雪。
その静かな美しさに一瞬目を奪われ、そして大きく息を吐く。
戻ろう…彼の元へ。
二人で交わした約束を果たすために。